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「……まあ、また怒られそうだから止めとこう。クッくんはそういう浮いた話はないの? お姉さん、応援しちゃうよ」
春奏さんの反応に対し、美和ちゃんは意外とあっさり身を引いた。何かあったのだろうか。
そして、今度は僕に話が振られる。この場ではかなり困る質問だ。とにかく春奏さんにバレないように、美和ちゃんに追及されないようにしないと。
「いや、その、特には」
「むしろ、変な女が寄ってきてない? ちゃんと私を通さないとダメだからね」
「うちの母親みたいなこと言わないでよ……」
「あははっ」
美和ちゃんは機嫌良さそうに笑う。よかった、ただ僕をいじりたかっただけか。
チラッと春奏さんを確認すると、ジッと僕の表情をうかがっていた。僕は思わず目を伏せる。
「何? 春奏、なんか知ってるの?」
美和ちゃんもそれに目ざとく気づき、即座に質問する。
「えっ? ううん、別に」
春奏さんはそう言って、ストローをくわえる。何を考えていたのだろうか。
それを不審に思ったのか、美和ちゃんはにらむような目で春奏さんを見た。
「ちょっとー、ファンクラブ会員ナンバー〇号さん? 情報共有が必要じゃないですかー?」
冗談っぽく責める。ちなみに、春奏さんが〇号、美和ちゃんが会長と決まったらしい。
「そういえば二人はたまにLEENで話してるんだよね。クッくん情報を持ってるなら、ちゃんとこっちに流さなきゃダメだよ。規則違反ですから」
どうやら、美和ちゃんはそこに答えがあると思ったようだ。しかし、僕が春奏さんに恋の話をするわけがないので、そんなことはないはずだけれど。
「情報なんてないよ。……最近はLEENしてないし」
思わぬところで、僕の胸がズキリと痛んだ。やっぱり春奏さんも気にしていたらしい。
「あ、あの、ごめんね」
「え? いや、あ、謝ることじゃないし……」
反射的に出た謝罪に、春奏さんは明らかに困っていた。また謝り癖を指摘されかねない。
「なんか怪しいなぁ」
美和ちゃんは僕らのやり取りを見て口元をゆるめる。まるで下の兄弟を見ているお姉さんのような雰囲気。
「何が?」
「前より仲良くなった感じなのに、前よりギクシャクしてる感じがする」
その感想は正しいように思えた。僕のせいだ。
「そ、そんなことないよ」
「ふーん……そういやさ、クッくんって私たちとしゃべるときにドキドキしたりする?」
美和ちゃんは何かを思いついたように、話を転換させた。
「ドキドキ?」
「友達の超人見知りな子がね、男子相手なら全部ドキドキするから、ドキドキすることが恋じゃないって言うの。クッくんも同じようなタイプかなって」
無意識に隣を見る。すると、春奏さんは不満そうな顔を美和ちゃんに向けていた。それはやっぱり春奏さんのことのようだ。
「……そうだと思う」
片思いの相手が『私たち』に含まれる以上、参考になりそうな返答などできるわけない。
美和ちゃんの質問は、多分、春奏さんの気持ちを予想したものだ。つまり、異性としゃべるだけでドキドキすることを認めなければ、春奏さんが桝田先輩を好きだということになってしまう。
だから、僕は肯定するしかなかった。
「そんなふうには見えないなー。最初はそうだったけど、今は普通にしゃべってるじゃん」
「それは、みんなが接しやすくしてくれてるから」
実際、美和ちゃんはクラスの女子よりもよっぽどしゃべりやすい。今でも緊張していないわけではないけれど、普通にしゃべる分には苦労しなかった。
「でもね、その子にしゃべりかける男子だってやさしく声かけてるんだよ。そのたびに顔を赤くするとか、もう惚れてるとしか思えなくない?」
話が具体的になってきた。美和ちゃんは僕があの場面を見ていたと知りながら、僕に判定をさせるのか。あるいは、春奏さんの背中を押させようとしているのか。
春奏さんはストローをくわえながら、視線をトレイの上の敷き紙広告に向けている。自分は関係ない、というポーズだろうか。
「二年以上もクラスが一緒で、もう人見知りの限界を超えてる期間顔を合わせてるんだよ。それでもドキドキしてしゃべれない、なんて好きじゃないとありえないと思うんだよね」
よりわかりやすくなると、こっちの心まで痛んでくる。もし春奏さんの話じゃなかったら、美和ちゃんの意見を肯定していたかもしれない。無自覚の恋なのかな、と。
「わ、わからないよ」
「えー」
美和ちゃんはあてが外れたような顔をする。僕は頭をフル回転させて理由を考えた。
「あ、相手がすごい人気のある人で、しゃべりかけられるだけでも注目されるなら、ずっと緊張すると思う。その人のこと以上に、周りの視線が重圧になるから」
とっさに出たそれは、我ながら悪くないものだった。自分に置き換えて想像するとありえそうだったからだ。
「なるほど、そういう緊張はあるかもね」
美和ちゃんもその意見を否定しなかった。ないことはない、くらいだろうけれど。
調子に乗った僕は、さらに言葉を続けることにした。
「……本当に好きなら、どんなに緊張してもしゃべりたいと思うよ。周りの目とか考えられなくなるし、その人のことが知りたくて仕方がなくなっちゃうから」
言ってから、チラリと隣を覗く。すると、春奏さんはこちらを見ていて、しっかりと目が合ってしまった。
思わず視線を下げる。しかし、そのほうがまずかったかもしれない。僕の言葉は、春奏さんに対しての行動の解説になってしまっていた。僕は懸命に表情を隠す。
「クッくんの恋はそんな感じなんだねー」
そして、そんな僕を見ると調子が良くなる人が目の前に……。ニヤニヤしてる美和ちゃんにこの話を膨らまされるわけにはいかない。
「み、美和ちゃんはどんな人が好きなの?」
そう切り出してみると、美和ちゃんは「お」と声を漏らし、思考しはじめた。
「私はねー」
「うんうん」
僕は興味深そうに相槌を打ち、美和ちゃんのおしゃべらー魂を促進する。すると、しゃべりたい欲が勝つのか、話がどんどん出てくる。案外、僕がいじられる展開を阻止することは簡単なようだった。
○
美和ちゃんの恋バナを堪能すると、ようやくお開きとなった。結局、サギと牡丹さんの件は答えが出るはずもなく、それは休日ののどかなお茶会として終了したのだった。
駅へ向かう美和ちゃんとは先の信号で別れ、僕と春奏さんは二人きりになった。それはとても久しぶりのことだった。
「押していくの大変だろうし、先に行ってくれても」
「え? ううん、押してく」
自転車で来ていた春奏さんだが、僕と一緒に歩いてくれるらしい。二〇分以上、二人きりで話せる。そんな機会がふいに訪れたのだ。
一緒にいられるのはうれしい。でも、どんな話をすればいいのだろう。浮かぶのは「告白」の二文字。でも、今日はとりあえず会話さえできればいいと思っていた。
しかし、二人きりの機会なんてないわけで、これが唯一のチャンスの可能性がある。このタイミング以外、告白することなんてできないかもしれない。そう思うと焦燥感に苛まれ、迷いが生じてきた。
ダメだ、告白のことを考えると普通にしゃべるのも難しくなる。僕の心臓がバクバクと音を立てて止まらない。
「テスト、どうだった?」
テンパっていると、春奏さんからしゃべりかけてくれた。僕はあわてて返答する。
「大丈夫だった、と思う。ごめんね、全然LEENできなくて」
「え? その――さっきも言ったけど、謝ることじゃないよ。むしろ、ごめんね」
また悪い癖が出てしまうと、今度は春奏さんからも謝られてしまった。
「春奏さんが謝るほうがおかしいよ」
「ううん。だって、毎日させて、テスト期間もさせようとしたわけだし。くーくん、気にしてるように見えたから……悪かったかなって」
さっきの僕の反応で、春奏さんに変な気を遣わせてしまっていた。僕はすぐに否定する。
「そんなことないよ」
「ううん。そもそも、くーくんが私とLEENする義務なんてないし。それに、私とばっかりじゃなくて、美和ともLEENしたいと思うし」
「あの、それは……」
「美和だってもっとしゃべりたいんだよ。くーくんのことすごく気に入ってるから」
「う、うん……」
さっきのこともあってか、春奏さんは妙に美和ちゃんとのLEENを薦めてくる。もちろん美和ちゃんとしゃべるのは楽しいのだけれど、そういう問題じゃない。
僕にとって、春奏さんと話すことに大きな意味がある。しかし、そのことを好意を除いてうまく伝えられるほど頭が回らず、ただ返事をするだけになってしまった。
「これからは美和にもしてあげて。私はたまにでいいし」
聞きようによっては突き放されているものなのに、その言葉にうなづいてしまう。今日の僕はいつも以上に弱かった。
道を曲がり、例の緩い坂道を上っていく。意気消沈した僕は、なおさら話せなくなっていた。
心なしか、春奏さんも元気がないように見える。美和ちゃんの恋バナのときは楽しそうにしていたというのに。
このまま無言だと、本当に話せなくなる。僕は何とか普通の話題を探してみる。
坂の途中、僕はこの前の夜を思い出した。あのとき、桝田先輩が自転車を押し、春奏さんは隣を歩いていた。やっぱり、自転車は男の僕が押さないと。
「あの、自転車代わろうか?」
「え? いいよ、大丈夫」
「大変でしょ」
「ううん。それはさすがに申し訳ないから」
僕の提案を春奏さんはやんわりと拒否した。僕は以前のように強引にはなれず、大人しく引き下がってしまう。
この道も、五時前なら車通りは少ない。原付大学生の姿はあるけど、渋滞さえしていなければ危険な存在でもないため、今は平和な時間だった。
しかし、僕の心は平穏ではない。この瞬間、僕の下の地面だけがぐらついているようにすら感じる。
僕は、今度は自転車のカゴに入っている荷物に目をつけた。いつものリュックの横に雑貨店の紙袋があったので、それについて話しかけるのは自然なことだと思った。
「……今日は、買い物に行ってたの?」
「うん、だから自転車だった。美和に呼ばれて、そのまま来たの」
なるほど。僕は質問を続ける。
「なに買ったの?」
「えっと……秘密」
残念ながら会話は続かなかった。いい質問だと思ったんだけど。ひょっとすると、あまり話したくないとか。それとも、詮索するようで感じが悪かっただろうか。
「……牡丹とサギくん、びっくりしたね」
すると、今度は春奏さんから話しかけてくれた。それは最も自然な話題だった。
「そうだね」
「もし二人が付き合うことになったとしても、今までどおりにいられたらいいね」
「うん……」
何度も口にしている、今までどおり、という言葉。さっき僕は賛同したけれど、それが僕にとって望ましいものなのかは微妙だった。関わりがなくなるのは嫌だけれど、このままでも苦しい。
「もうしばらく、このままだといいな。せっかく仲良くなったんだから」
それは、もはや願いのようだった。それほど春奏さんは現状を変えられたくないのだ。
もし僕が告白したら、春奏さんは困るだろう。本当に夏菜の言うとおり、僕次第で以前の関係のままでいられるのだろうか。
共感ばかりしていてはいけない気がした。少しでも春奏さんの気持ちを変えないと。
「……でも、美和ちゃんも言ってたけど、春奏さんが変わることもあると思うよ」
そう切り出すけれど、あまり僕の頭は働いていない。さっきの美和ちゃんの言葉をなぞっているだけだった。
「ないよ。私は変わりたくないもん」
「周りのこととかあるし。それに、桝田先輩のこととか」
僕はうっかり桝田先輩の名前を出してしまった。春奏さんは立ち止まる。
「……なんで桝田くん?」
「いや、あの……この前、図書室で一緒にいるところを見ちゃって」
「それは知ってるけど、桝田くんは関係ないと思う」
春奏さんは見るからにいら立って見えた。最悪だ。
「ごめん……ただ、僕が今までどおりLEENしてたら、二人の邪魔になることがあるような気がしたから」
もし、春奏さんと桝田先輩の関係が進んでしまったら、僕は失意のあまりLEENなんてできなくなるから、今までどおりではなくなってしまう。
そう思って出てしまった桝田先輩の名前だったけど、そのまま説明するわけにはいかず、話をつなげるためにはこう言うしかなかった。この理由も嘘ではないけれど。
「そんなわけないよ」
そう言って、春奏さんはまた歩き出した。僕は出遅れながらもすぐに追いつく。
「あの、ごめんね。変なこと言って」
「……ひょっとして、それでLEENしなくなったの?」
それは決して間違ってはいないけど、理由の本質は違った。そこにあるのは嫉妬という自分本位なものだった。
しかし、それを説明するのも気が引けて、僕は口をつぐむしかなかった。
「……なんか、わかんない。なんで美和もくーくんも、桝田くんを使って私を遠ざけようとするの……?」
早足になった春奏さんは、少し下を向いていた。顔を見られたくないのだと思った。
春奏さんは怒っている。でもその感情の芯にあるのは違う。それは、悲しみだ。だから僕の胸はズキズキと痛むのだ。
何か答えないと。頭はグルグルと回る。でも、言葉が出ない。出そうなものは投げやりな謝罪だけで、僕はそれを飲み込むのがやっとだった。
いつの間にかかなり坂を上っていて、バイパスの道路の信号に突き当たった。ここは交通量のためか、歩行者側の赤の時間が長い。もうすぐ家に着いてしまうから、なんとか今のうちに言葉を絞り出そうとした。
「……そんなことないよ。もっと近づきたい。僕はもっと……春奏さんとしゃべりたい」
車の通りすぎる音が途端に増えて、小さな声だと聞こえない状況になっていた。この声は春奏さんに届いていない。届ける声量も勇気も足りていない。
排気ガスの混ざったぬるい風に不快感を覚える。いつも待たされる信号だけれど、今日はやけに短く感じた。
青になると、春奏さんはすぐに歩き出した。そのまま無言でついていき、分かれ道に到着してしまった。
「……じゃあね」
そう言って、春奏さんは行ってしまった。あれから目も合わせてくれなかった。
「ごめんね……」
僕は春奏さんの背中に向けて謝罪することしかできなかった。その後、失意のまま帰路についた。
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