第六章 私の気持ちってなんだろう

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 それから、時間を忘れるほど話が続いた。そうすると、僕がもっとも懸念していた桝田先輩のことも、自然な流れで訊き出すことができた。  なんでも、テスト期間になると、クラスでは桝田先輩のテスト前サポート係なるものが選ばれるらしい。それは、部活に勤しむ先輩を支えるために野球部の人が始めたようだ。  そして一年の三学期になると、その役目は同じクラスの女子が務めることになった。  きっと、人気者である桝田先輩と関わりたい女子が動いたのだろう、ということだ。  しかし、二年生になってそれを仕切ることになったのは、なぜか美和ちゃんだった。当然のように同じ中学出身である春奏さんの名前を挙げ、引き受けることになったという。  断ることもできたようだけど、最近は男子と話せるようになってきた(僕のことだ)から苦手克服できるようにがんばれ、と説得され、春奏さんは折れてしまったらしい。  そうして、僕が図書室で見たあの光景へとつながったのだ。  春奏さんはその役目をなんとかこなした。すると、それを見た美和ちゃんが活気づいてしまい、今まで以上に桝田先輩と関わらせようとした。その一つが、テスト最終日に実施されたカラオケ店での打ち上げだった。  いつもの三人のつもりだった春奏さんは、桝田先輩がいることに驚き、美和ちゃんに苦情を言った。それが、今日美和ちゃんが言っていた「また怒られそう」につながるようだ。  僕が二人の姿を目撃したのはその帰り道だったらしい。正直、嫉妬心は残る。でも、仲が縮まっていたわけではないことに、僕は安心した。  春奏さんは、それらのことを冗談交じりに愚痴った。愚痴と言っても、自身の不幸として自虐ネタのように話すので、僕も素直に笑えた。 〈 大変だったんだね〉 〈私、全然しゃべれなくて〉 〈送ってくれてる桝田くんに悪いなあって〉  春奏さんは、この話の中でしきりに「桝田くんに悪い」と言った。僕としてはそれが気になった。春奏さんはかなり桝田先輩のことを気にしていると思ったからだ。  夏菜的に言うと、春奏さんは桝田先輩にも好意を持っているのではないだろうか。あるいは本当の恋かもしれない。僕の中でそんな不安が生まれていた。 〈 中学の時は桝田先輩としゃべったりしてたの?〉  僕は勢いのままにそう訊いてみた。送ってから、妙にドキドキした。 〈中三の時のことかあ・・・〉  すると、今までマシンガンのようにLEENをくれた春奏さんのテンションが下がってしまった。訊いちゃダメなことだったのだろうか。 〈 あ、ごめん・・・〉 〈謝り癖!〉  こぼれた謝罪に、春奏さんは鋭く注意した。今日は何度もこうして叱られている。まったく、自分の癖の根深さには呆れてしまう。 〈 あ、うん・・・〉 〈ふふふ、もう五回目だよ!〉  回数をかぞえていたらしい。完全に面白がっていた。 〈全然謝ることじゃないんだよ。あんまりいい思い出がないだけで〉 〈私、転校してきて、うまくなじめなかっんだけど〉 〈最初に話しかけてくれたのが、桝田くんだったんだ〉  そうして、春奏さんは話しだした。それは、苦い思い出話だった。  中学三年生で転校してきた春奏さんは、自身の人見知りな性質に加え、受験のピリピリした時期ということもあり、なかなかクラスメイトと話すことができなかった。  初めに話しかけてくれたのが、最初に隣の席になった桝田先輩だったらしい。  しかし、中学の桝田先輩の人気は、僕の学年に広がっているほど大きかった。クラスになじめない転校生が、そんな人気者とだけ話しているという状況では、他の女子からの風当たりが強くなるのも必然だったらしい。  春奏さんは孤立した。  もっとも、いじめられたことはないという。そこははっきりと否定された。それは、忙しい時期だったのが良い方向に働いたのかもしれない。  その一年は、春奏さんにとっては苦しいものだった。そして、その象徴になってしまったのが桝田先輩だったのだ。 〈付き合ってるって噂が流れたこともあって〉 〈そのせいで結構辛いこともあって〉 〈桝田くんにもいっぱい迷惑かけちゃったと思う〉 〈 春奏さんのせいじゃないよ〉  桝田先輩の善意によって春奏さんが苦しむことになった。でも、どちらも悪くない。ただ運が悪かっただけだ。 〈でも、それで桝田くんを避けるようになったりもして〉 〈なんか申し訳なくて〉  多分だけど、桝田先輩はその頃から春奏さんを想っていたと思う。話しかけたのも、一目ぼれしたからじゃないだろうか。もしそうなら、噂はどちらにとっても気の毒なものだった。 〈それなのに、桝田くんは高校に入ってからも変わらずに接してくれるんだよ〉  問題の春奏さんの気持ち。僕の中では、それが好意であることは確信になっていた。恋なのかどうか。それを追及すべきかどうか。 〈 優しいんだね。桝田先輩〉  遠回しに気持ちを窺う。 〈うん、とっても〉 〈カッコいいだけじゃなくて、すごくいい人〉 〈 そうなんだ〉  優しくてカッコよくてすごくいい人。そんな評価をしている人の恋心を知って、好きにならない理由なんてあるのだろうか。僕にはわからなかった。  あるいは、気づいていないのかもしれない。顔に出やすい僕の恋心に気づいていないとすれば、可能性は十分にある。春奏さんが鈍感なら、この場合はありがたいものだった。 〈だからね、私はどうしたらいいのかわからないの〉  しかし、僕の甘い考えはすぐに否定される。これは、明らかに桝田先輩の好意に気づいているからこそ出た言葉だ。核心に近づいている。 〈 付き合うか付き合わないかってこと?〉  訊いてしまった。次のメッセージが怖い。 〈くーくんも、桝田くんが私のことをまだ好きだって思うの?〉  しかし、そこには答えがなく、逆に訊き返されてしまった。字面だけを見れば怒っているようにも見える。でも、僕はそれを配慮しなかった。気になる二文字があったからだ。 〈 まだ?〉  僕は二文字をそのまま訊き返した。返事はすぐに返ってこない。一分と経っていないはずなのに、その間は長く感じられた。 〈美和には絶対に言わないでほしいんだけど、卒業前に告られたの〉  春奏さんは白状してくれた。自分が告白したような気分になって、僕はドキドキしながら指を動かした。 〈 返事は?〉  送ってから、無駄な質問だと気づいた。 〈釣り合わないよ〉  付き合っていたら、今こんな状況なわけがなかった。それなのに、妙にホッとしていた。 〈 釣り合わないことないと思うけど〉 〈私じゃ無理だよ〉 〈元々、私なんかが誰かとお付き合いするなんて難しいって思ってたし〉 〈でも、私なんかが断っていいのかなって悩んだりもして〉 〈でも、周りの視線が怖くて〉 〈だから断っちゃったの〉  たしかに、さっき聞いたような状況では、付き合うどころではなかったのだろう。僕にとっては幸運だけど、桝田先輩にとっては不運なことだ。なんだか喜べない。 〈それで、ずっと罪悪感があって〉 〈 断ることに罪悪感はいらないと思うけど〉  必死な僕は反射的にそう返した。 〈だって、桝田くんのこと考えずに断っちゃったから〉 〈それって相手に対してすごく失礼なことだと思って〉 〈しかも、転校してきた私に一番良くしてくれた人なのに〉  すると、三倍で返されてしまう。春奏さんの気持ちはわからないでもなかった。 〈最近、美和が桝田くんをけしかけてる気がしてて〉 〈私が美和に間を取り持ってもらってるように見られてるかもしれなくて〉 〈私、どうしたらいいのかわからなくて〉  ようやく、その言葉に戻ってきた。春奏さんは、桝田先輩との関係を美和ちゃんに急かされていることで困っている。  春奏さんは現状を変えたくない。でも、桝田先輩に対して好意があり、一度不本意な形で断っているから罪悪感もある。だからどうしたらいいのかわからないのだ。 〈 春奏さんの気持ち次第だと思うけど〉  送ってから、自分の言葉が投げやりなものに見えた。 〈私の気持ちってなんだろう〉 〈なんか、わかんなくて〉  春奏さんは悩んでいる。こういうとき、僕は春奏さんの助けになりたいと思っている。でも今だけは思わない。このことに関しては、春奏さんの背中を押すことはできないのだ。 〈 よく考えたほうがいいと思う〉  そう返した僕は、なぜか自分が卑怯者になったような気がした。そして、次に生まれたのは焦燥感だった。 〈そうだね。ありがとう〉  お礼など言われる筋合いはなかった。僕はただ結論を出してほしくなかっただけなのだ。  僕の中にある焦りは嫉妬を含み、一つの大きな決意をさせたのだった。
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