第七章 弟にはなれないよ

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 そして月曜日。  午前中の授業は全く頭に入ってこなかった。テストが返ってくるくらいだから大丈夫だったけれど、ずっとドキドキして春奏さんのことしか考えられなかったのだ。  告白とは恋という病気の荒療治だと思う。自ら死の淵を覗くような気分でもある。周りが見えなくなるほどの精神病を、強い痛みを伴ってでも治療しようというもの。僕は怖い手術を前にした患者なのだ。  早く昼休みが来てほしいような、そうでないような。結論が出るのは怖いけれど、ずっとドキドキしているのは苦しい。もう死んでしまいそうな気分だ。  たとえダメであっても、今までどおりLEENを続ける。だからこれで終わることなんてなくて、ただの一歩でしかないはずだ。そう思って気持ちを落ち着かせようとするけれど、なかなかうまくはいってくれなかった。  ようやく昼休みになると、僕はサギに声をかけてから一人で外に向かう。もちろん、手には春奏さんのためのお弁当を持っている。  やって来たのは渡り廊下の階段下にあるベンチだ。いつもの場所。すぐに教室を出たので、春奏さんよりも先に着くことができた。  校庭のほうを向くベンチは多いけれど、ここにあるのは学校を囲っている塀のほうを向いている。  だからか、多くの生徒はこのベンチに気づかないらしく、穴場になっていた。美和ちゃんのお気に入りの場所で、三人でもよく使っているらしい。  他の場所なんて思いつかないし、死角になりやすいから理想的でもある。今日もまだ誰もいない。ここが僕の決戦の場所になるのだ。  僕はベンチに腰を下ろす。今日はいい天気だ。空を見上げて目を細めると、白い光に包まれるような感覚になる。ふわっと非現実へと連れていってくれそうなきらめき。  でも、僕はたしかにここにいて、それはいつもの自分でしかない。弱い僕のまま。あるがままの姿でやるしかないのだ。  ふと冷静になる瞬間がある。すると、よく考えると昼休みに告白なんて、と考えてしまう。勢いづいて何かをすると、後になって不安になるのだ。  いけない、ここで躊躇していたら言えなくなってしまう。今日言うって決めたんだ。やり遂げないと。  思えば、春奏さんも勢いづいたあげく、不安になることがあると言っていた。僕に対する最初のLEENがそうだった。  失敗や弱点が、僕と春奏さんをつないでくれた。だからきっと、これでいいんだ。僕はそう言い聞かせた。  それにしても時間が長く感じる。昼休みになってずいぶん経った気がするのに、春奏さんはまだ現れなかった。  昨日あんなに楽しみにしていたから、忘れてはないと思う。何かあったのだろうか。  スマホを確認しても、春奏さんからの連絡は入っていなかった。時計は昼休みになって五分経ったことを示している。感覚ほど過ぎていないけれど、やっぱり遅いのは遅い。  ふいに、足音が聞こえる。僕はそれだと決めつけて、立ち上がって待ち構えた。 「ご、ごめん……遅れた」  すると、疲れた感じの春奏さんが現れた。なんかいつもと違う。 「ううん。よかった、来てくれて」 「ちょっと色々ありまして……」 「そこまで急がなくてよかったのに」  そう言いながら、僕はこれ以上不安にならなくて済んだことにホッとしていた。 「……なんか、くーくんのほうが女の子っぽいよね」 「え?」 「なんかワードが……しかも手作りのお弁当を持って待ち構えてるわけだし」  ……ああ。なんとなくわかってきた気がする。 「もう! そう思っても言わなかったらいいのに!」 「ごめん……ぷっ、ふふふっ――」  なぜこれから告白しようという相手に女の子扱いされなくちゃならないんだ、まったく。  それにしても、今日の春奏さんはレアだ。ある意味いつも通り……そうか、LEENでの春奏さんっぽいのだ。  僕らは同じベンチに腰を下ろす。そして、お弁当を差し出し合った。しかし、春奏さんはすぐにそれを引っ込める。 「ちょっ、ちょっと偏っちゃってるかも」 「全然大丈夫だよ。走って来たの?」 「うん。待たせちゃったから……」  春奏さんは気恥ずかしそうな顔をする。そして遅くなった理由の説明を始めた。 「私、二人と仲良くなってから、いつも一緒にご飯食べてて。だから、お昼を他の人と食べるって言ったら、美和が食いついちゃって。私、理由を全然考えてなかったの」  なるほど、よくわかった。 「僕はサギに部活の人と食べるって言ってきたよ。僕らの場合は、いつも二人とは限らなかったから簡単だった」 「そうなんだ。私の場合、部活は美和と一緒だから使えないし、他の交友関係は薄くて思いつかなかった。だからめっちゃテンパっちゃった」  そんな危機を乗り越えてきたからこそ、ちょっとハイになってたりして。 「結局どうしたの?」 「ずっとあわあわしてたら、美和が勝手に勘違いしてくれた。……なんか、桝田くんが一人で教室を出ていったからみたい」  ということは、桝田先輩と食べるのを隠しているように見えたわけだ。僕としてはさらに焦らされることになりそうだった。 「じゃあ今度こそどうぞ」 「あ、うん」  交換を終え、春奏さんのお弁当を手にする。かわいらしいお弁当箱だ。多分、いつも使っているものだろう。  フタを開ける。すると、良い意味でスタンダードな感じのおかずと、ちょうど弁当箱半分ほどのご飯が現れた。かわいらしく盛り付けてあるけれど、たしかに少し偏っていた。  一方の春奏さんもお弁当のフタを開ける。しかし、すぐに閉じてしまった。 「……海老で鯛を釣るような」 「そんなことないよ」 「おかずの種類も多いし、すごい美味しそうだった。ご、ごちそうさま」 「食べてから言ってよ」  呆れるようにそう言って笑うと、春奏さんもにっこりとした笑みをくれる。僕は思い出したように緊張する。  春奏さんはLEENでキャラが変わる人だ。僕は僕で、そっちのほうが対応しやすかったりもする。もう春奏さんの冗談にだってツッコめるようになったし。  でも、今日は顔を合わせながら冗談が来るから、どうも難しい。 「じゃあ食べよっか」 「うん――あ、感想は食べ終わってからでいいからね」 「え? うん……ありがとう」  お礼を言われてしまう。別にそこまでのことじゃないのに。  春奏さんは、昔少し太っていた時期があったらしい。元々食べることが好きだからそうなってしまったようで、それが走るきっかけになったとか。  だからこそ、よく噛んで食べる強迫観念が強いらしく、食事中はしゃべらない。僕はそれを聞いていたし、実際無言で食べ続ける姿も知っているから、先に言っておいたのだ。  すると、春奏さんは顔を赤くしてうつむいた。 「……くーくん、私のことめっちゃ知ってるよね。私がLEENで言ってるからだってわかってても恥ずかしい」 「え? ……あっ! ごめん……」  顔に火がついたみたいになる。デリカシーがなかった。こんな日に限って……  すると、春奏さんはびしっと僕を指さした。 「あ、謝り癖」  手の動きと比例せず、LEENほどの勢いがない「謝り癖」の指摘。僕らは目を合わせて笑った。 「ふふふ。あ、お弁当ね。ほとんど残り物だし、冷凍食品も混ざってる……でも一応、卵焼きだけは自分で焼いたよ」 「そうなんだ。じゃあ、それを楽しみにしておくよ」 「やめといたほうがいいよ。お母さんや冷凍食品の足元にも及ばないから」  春奏さんは照れるように言う。でも、僕が大事なのは味じゃないのだ。 「足元に及ばなくても楽しむよ」 「えー」 「じゃあいただきます」 「いただきます」  そうして、僕らはようやく食べ始めた。  僕は、卵焼きが二つあることを確認してから、まずその一つを箸でつかんだ。  上手に焼けている。普段やらないのにこれなら十分すぎるというものだ。口に入れると、口の中に甘みが広がる。女の子が作る味、という感じだった。  横目で春奏さんを見る。僕の料理を食べてくれている姿は感慨深かった。  気合を入れたおかずは九品にものぼる。何も気にせず食べてもらいたかったから、母さんの大好物である油淋鶏以外は、低カロリーであるキノコやコンニャクを使ったり、油控えめのものにした。  嫌いな食べ物が一切ないという春奏さんだから、そういうものを喜んでくれると思ったのだ。  油淋鶏を口に入れる。すると、少し口元が緩んだように見えた。感想は後でいいと言ったけど、顔が感想を言ってくれるようだった。 「すっごくおいしかった!」  食べ終わったあと、開口一番、春奏さんは力強く言い放ってくれた。 「春奏さんのもおいしかったよ」 「いや……これは釣り合ってないよ。詐欺って言われてもおかしくないくらい」 「そんなことないよ。僕って自分の料理かお店のしか食べないから、新鮮でうれしかった」  真知子さんの料理を食べることはあるけど、彼女はプロだからお店の感覚になる。だから、手料理と言えるものは本当に久しぶりだった。 「いつも自分で作るのって大変じゃない?」 「毎日じゃないし。それに、もう趣味みたいなものだから」 「そっかー」  むしろ手持ちぶさたで、食べてもらう人を欲してたり。それを言ったら食いついてくれそうだけれど、少し躊躇する。これからどうなるかわからないから。 「くーくんお手製のお弁当……美和が聞いたら羨ましがってくれそう。そうしたら、美和からも頼まれちゃったりして。もういっそお店でも開いちゃったらいいのに」 「えー、それは無理だよ……」 「ふふふっ」  春奏さんはとても楽しそうにしゃべる。ずっと笑顔だ。LEENでの春奏さんっぽいということは、それだけ自然体なのかもしれない。なんだかキラキラしている。  僕としては、大人しい春奏さんを想定していたため、少し困っていた。こんな春奏さんを見られるのはうれしいし、もちろん変わらずに好き――むしろこっちのほうが好きだけれど、言い出し辛さが格段に上がっているのだ。  せっかくこんなに上機嫌なのに、僕が落胆させるかもしれない。変わらないことを望む春奏さんを裏切ることになるのだから、気が重い。  それでも――だからこそ言わないと。他の人に変えられる前に。 「――聞いてる?」  ふと我に戻る。考え込んでしまって、春奏さんを無視してしまっていたようだ。 「ご、ごめん……なんだっけ?」 「ごめんね、一方的に早口でしゃべっちゃってた。なんか楽しくて」 「ううん、僕のほうがちょっとボーっとしちゃってて……」  時間も迫られている。昼休みはあとどれくらいあるのだろう。ゆっくり食べてたし、もうほとんど残っていないかもしれない。  ドキドキする。もう死にそう。頭が真っ白だ。顔も赤くなってるだろうし、こんな無様な状態では告白なんてできない。 「――どうかしたの?」  春奏さんの心配そうな声が聞こえる。こちらの緊張が伝わってしまったようだ。 「あ、あの……」 「なんか悩んでるの?」  僕はうなづきもせずに固まる。その通りだけど言えなかった。 「悩んでるなら力になりたいよ。私、くーくんに助けられてばっかりだし」  そんなことないのに。春奏さんの自信のなさと僕の恋心がすれ違っているだけだ。 「私にとって、くーくんは自分の弟みたいに大切だから」  春奏さんが少し照れるように言う。わかっていたこととはいえ、僕はショックを受けた。 「今思うとね、くーくんと律ってそこまで似てないんだ。顔の雰囲気は似てるけど、性格とか全然違うし。  でも、絶対に味方なんだっていう安心感が同じなんだよね。……重ねるつもりはないんだけど、私はくーくんのお姉さんになりたいなって」  告白する前に振られたような感覚があった。春奏さんは僕の姉になりたいという。  心が折れそうになる。でも、ここで諦めたらダメだ。春奏さんが僕を異性として見ていないなんてわかっていたことだ。だからこそ、僕は気持ちを伝えなければならない。  息をのむ。そして、春奏さんの望みをはっきりと否定した。 「……僕は、弟にはなれないよ」 「えっ?」  春奏さんは不安そうな顔をして固まった。もう後には引けない。 「――好きです」 「え? あ、ありが――」 「僕と付き合って、ください」  変なところで詰まってしまったけれど、ついに言ってしまった。もうこれで弟として仲良くという道は途絶えたのだ。 「あっ……えっと……」  春奏さんの顔も赤くなる。照れたようにも見えるけど、そこに喜びなんてない。困ったような顔だった。 「ごめん、せっかく言ってくれたのに。でも、好きな人の弟になって、他の誰かと付き合うのを黙って見てるなんて、僕には耐えられないんだ」  動揺して下を向く春奏さんに、僕は謝罪と言い訳のようなことを言った。それは謝り癖なんかではなく、心からの申し訳なさだった。 「ずっと好きで……しゃべってるだけでも幸せだった。  だからこのままでいいんじゃないかって思ってたんだけど――春奏さんは変わらないことを望むのかもしれないけど、ずっとこの気持ちを抑えて、伝えずに終わるのだけは嫌だったから」  声がどう出ているのかもよくわからない。きっとところどころ小さくなったり、早くなったり、震えたりしているだろう。それでも言葉を紡ぐ。 「だから……付き合ってください」  もう一度言う。答えを急かすつもりはないけれど、僕が春奏さんとどういう関係になることを望んでいるのかを、はっきりと伝えたかったのだ。 「なんで……私?」  絞り出したような言葉だった。僕は、それには悩まずに答えられる。 「一緒にがんばろうって言ってくれたから」  すると、ようやく春奏さんは顔を上げてくれた。 「そのときから……一緒に色んなことをがんばれたらいいなって思って――ううん、一緒ならがんばれるんじゃないかなって思ったんだ。  僕の弱い部分も、春奏さんは支えてくれるんだって。僕も春奏さんを支えられたらって。だからその、付き合って……ずっと一緒にいたい」  目が合う。今は逸らしちゃいけないと思い、しっかり直視する。春奏さんも逸らさずにジッと見てくれていた。  静寂。グラウンドから声がするけれど、それもすごく遠くのものに感じられる。今ここには僕たちしかいないようだった。 「……うん」  春奏さんはほとんど無表情で言った。たしかにそう言った。  僕は何がなんだかわからないような感じになる。 「……えっと」 「わかった」  さらにそう言う。両方とも、否定や拒否の言葉ではない。でも、告白を受けるようなものにも聞こえない。  ×じゃないってことは〇なわけだけど、うかつに喜べなかった。  ふいにチャイムが鳴り、僕は思わず体をビクつかせた。タイミングが悪すぎる。 「あっ! ごめん、次音楽なんだ! もう行くね!」 「え? うん……」 「お弁当ありがとう!」  春奏さんは逃げるように去っていった。本当に急いでいるのだろう。僕はあっけにとられながら、その背中を見送った。  断られなかった。でも、受けてくれたのかはよくわからない。そんな中、僕はどうやってこれからの時間を過ごせばいいのだろうか。 ○  午後の授業はほぼ無意識のまま過ぎ、部活は気が抜けて夏菜に叱られ、夕飯なんてとても作れずにレトルトで済ませると、あっという間に夜を迎えた。  昨日は最後になるかもしれないと思っていたLEENだけど、この状況だと果たしてどうなのだろう。いや、送るしかない。訊けばいいのだ。  OKってことなのかな? 付き合ってくれるのかな?  ああ、送れない。間抜けにしかならない。とりあえず普通の話をしてから、終わり間際にするとか、そういう手段が正解かも。 〈こんばんは〉 〈今日こそはと思って私から送ってみたよ〉  すると、ちょうど春奏さんからLEENが送られてきた。たしかに初めてだ。僕は心臓が破裂しそうなほどドキドキしながら指を動かした。 〈 こんばんは〉 〈実はちょっとお願いがあって〉  かしこまったような文章。まさか、今日のはやっぱりなし、とか。 〈次の土曜日、午前中ってひまかな?〉  すると、全然違う話が来た。少しホッとする。  その日は五人で遊びに行く日だ。時間は二時からだから、午前は空いてると思ったのだろう。 〈 大丈夫だよ〉  当然、僕は了承する。しかし、今日のことをすっ飛ばして予定を立てるなんてどうしたのだろう。 〈 何するの?〉  自然にそう質問した。 〈ちょっと行きたい場所があって〉 〈付いてきてくれないかなって〉  それって……デート? じゃあやっぱり僕らは付き合っているってことなのか。  訊くなら今か。そう思って文字を打とうとした矢先に、もう一文追加された。それは思わぬ行き先で、決してデートというものではなかった。 〈ごめんね、どうしても一緒に来てほしくて〉 〈どうかな?〉  覚悟がいる場所ではある。しかし、悩むことはなかった。 〈 もちろん大丈夫だよ〉  僕でよければ――そう思ったのだ。
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