第八章 春、奏で

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第八章 春、奏で

 Yシャツなんか着たりして、割と清潔感は出したつもりだ。午後はみんなで遊びに行くけれど、別に違和感も出ないだろうし、これがちょうどいいと思った。  待ち合わせには絶対に遅れないぞ、と気合を入れた結果、一時間前の出発になった。駅に着いた時点で三〇分以上余裕がある計算だ。  いつも通り歩いて向かう。時間に余裕はあるけれど、心には余裕なんてなくて、今でも緊張している。  結局、付き合っているのか確認ができないまま今日を迎えてしまった。毎日のLEENは続けていたのに一向に訊けなかった。露骨に避けられているように感じ、いつも通りの会話ばかりしていたのだ。  多分、午前は二人だ。二人で出かけられる。それだけでも、進歩しているのはまちがいないはず。行き先だって、僕を信用してくれているからこその場所だ。  緩い坂を下りながら、今日これからのことを考える。今日こそはちゃんと訊こう。そう気合を入れる。  すると、ふいに肩を叩かれる。僕はビクッと体を震わせてから振り向いた。 「くーくんっ」 「は、春奏さん!?」 「ごめん、驚かせちゃった?」  そこにいたのは春奏さんだった。予想していなかっただけに、早い遭遇は心臓に悪い。 「お、おはよう」 「おはよう。今気づいたけど、家近いんだし、待ち合わせは駅じゃなくてもよかったね」 「そうだね」  今日はまた、いつもともこの前とも違う雰囲気がある。それは色んな要因があり、一目でわかる部分もある。  まず髪型が違う。今日は二つのおさげがあり、珍しく白いハットをかぶっている。  そして服装も少し大人っぽい。淡いブルーのワンピースは、とてもよく似合っていた。 「……あの、髪も服も似合ってる」  恥ずかしながらも、男女のルールにのっとって、声を出して告げてみた。すると、照れるように笑ってくれる。 「ありがとう」  きっと僕の顔は真っ赤だろう。それを隠すようなつもりで前を向き、歩き出す。春奏さんも隣に並んでくれた。  いつも通り道路側になるように意識する。いつものリュックを背負っている春奏さんの手には、角底の青いトートバッグがあった。きっと、今から向かう場所で必要なものだ。 「荷物、持とうか?」 「いいよ、くーくんも荷物があるし。ありがとう」  僕も今日は目的があって、ショルダーバックをかけている。無理に言って気を遣わせるのもなんだし、ここはあっさり身を引くことにした。 「時間、かなり早いよ」 「……春奏さんよりも遅くなりたくなかったから」 「私も、先に着きたかったけど――引き分けだね」 「うん」  並んで歩くと、なんだか不思議な感じがした。何度もこうして歩いているのに、いつもとは全然違う。  それはきっと、服装や時間もあるだろうし気持ちの問題もある。春奏さんは今、僕の気持ちを知ったうえで近くにいてくれている。それが心地よかった。  他愛もない話をしながら駅まで歩く。あっという間に到着すると、予定より早いけど出発することにした。  切符代を出すと言ってくる春奏さんの申し出を断り、指示に従って切符を買った。電車に乗り込むと、ちょうど隣り合う席が空いていたため、並んで座った。  電車が動き出す頃には、春奏さんの表情は陰っていた。色々考えていることがあるのだと思う。僕は黙って外の景色を眺める。  流れる川。この辺りで見える川はみんなびわ湖につながっている。少し進むと湖本体も見えてきた。今日はこの向こう側へ行く。  ふと視線を車内に戻し、春奏さんのほうを見た。すると、春奏さんもびわ湖を遠い目で眺めていた。それは、どこか物悲しそうで、僕は目が離せなくなった。  湖が見えなくなると、ようやく視線がぶつかった。 「今日はごめんね」  僕はほほ笑みながら小さく首を横に振った。謝られるようなことは全然ないのだから。  僕たちが向かっているのは、律くんのお墓だった。今日の目的はお墓参りなのだ。  目を合わせると、春奏さんは口元を緩めてくれた。弱々しいけれど、温かい感じがした。 「その……律のこと――それと私のこと、聞いてくれる?」 「なんでも聞くよ」  話したいのなら――話してくれるのなら。僕は全部聞きたいと思っていた。  そして、春奏さんはゆっくりと話し出した。 ○  私の家は、いわゆる音楽一家だった。と言っても、お父さんは関係者ってだけで演奏はしないんだけど。お母さん主導で、子どもはみんなピアノを習うの。  お姉ちゃんはすごく才能のある人で、コンクールで何度も優勝してた。だから、お母さんの基準はそこになってたんだと思う。  それに比べて私はダメだった。全然上達しなくて、お母さんは早くも諦めようとしてたけど、お姉ちゃんは自分のプライドもあったからか、それでも私に教えようとしたの。  お姉ちゃんは厳しくて……四つ年上のお姉ちゃんに、叩かれたりしながらピアノをしてた。  それが本当に苦しくて……なんかストレスもあって、太って、余計にお姉ちゃんがきつくなって……結局、お母さんに泣きついて、小学校まででやめることができた。  二つ下の秋音は才能があった。ピアノが上手で、バイオリンにも目覚めて、今はそっちがメインになってる。だからお母さんもお姉ちゃんも喜んでた。比べられる私はきつかったけどね。  弟は二人いて一番下の弟が楽人(がくと)。学年としては五つ下になるかな。楽ちゃんも才能があると思う。まだこれからだけど。  そして、三つ下の弟が律。律は私とおんなじで、あまりピアノが上手じゃなかった。私のことがあったから、お母さんも早めに諦めて、やめさせようとしたの。  でも、律は諦めが悪かった。私よりもずっと音楽が好きだったから、まだ続けたかったみたい。違う楽器を試したりもしたけど、上手くいかなくて。  そしたらなんか、お姉ちゃんまで口を出してきて、お金の無駄だからやめろって。春奏と同じで才能無いんだって。  結局、律もこっちに越して来る前にやめちゃった。私、最初は自分だけじゃなくて安心してたんだけど、よく考えたら私がダメだったせいで早くやめることになったって気づいて、申し訳なかった。  そんなこともあって、律って結構ひねくれてて、ケンカとかでよく問題になってた。お母さんもお父さんも、お姉ちゃんまで叱りつけてたのを見たよ。  でもね、律は私には優しかったんだよ。  仲間意識があったからかな。転校してきて落ち込むことが多かった時期とか、心配そうによく話しかけてくれたんだ。  だから、他のみんなにとっては悪い子だったのかもしれないけれど、私にとっては本当に良い弟だった。  音楽をやめてからは、外で遊ぶことが多くなった。家にいづらかったんだと思う。私もそうだったし。だから律は、いつも帰ってくるのが遅かった。小学生の遊ぶ時間の限界まで外にいるみたいだった。  せっかくびわ湖の近くに越してきたからか、友達と釣りに行くようになった。釣った魚は見せてもらったことないんだけど、話はいっぱいしてくれたんだ。  中学に上がると、友達も増えたみたいで、しょっちゅう釣りに行ってた。そうなると帰ってくる時間がさらに遅くなっていった。  一回ね、遅く帰ってきたらみんな心配するよ、って言ったの。そしたら、楽器の音を聴くと腹が立つ、って。どうせみんな心配しないよ、って……言い捨てられちゃって、何も言い返せなかった。  私はその頃、ようやく苦しかった中三も終わって、美和や牡丹とも仲良くなって、ホッとしてた時期だった。だから、あと律のことだけ安心できたらなって思ってた。  そして、夏休みに入ってすぐ――律はしばらく帰らないって言って出て行っちゃった。  学校に行かなくていいなら家にいなくていい、って考えたんだと思う。ケータイとかも持たせてなくて、どこに行ったのか全然わからなかった。  その日は本当に帰ってこなかった。私は心配でお母さんに大丈夫かなって訊いたけど、まあしょうがないでしょ、って返された。お父さんもなんかホッとしたみたいだった。  実際ね、休祝日の前の日の夜とかはふらっといなくなって、友達の家に泊まることが多かったの。だから、二人が大して心配しなかったのも不思議じゃなかったんだ。  ……でも、結局そのまま帰ってこなかった。二日くらい経ってから、びわ湖に―― ○  そこまで語ると、春奏さんは言葉を詰まらせた。  その話の結末はわかっている。現在の状況からわかることだし、そういえば聞いたことがあった。  中三の夏休みの始業式。一人の男子生徒に黙とうした覚えがあったのだ。 「あの、もう――」  もういいよ、と言おうとしたけれど、僕はそれを飲み込んだ。春奏さんは聞いてもらいたいから言っている。僕がそれを止めるわけにはいかなかった。  しばらくうつむきながら固まった後、ゆっくりと顔を上げた。そして僕を見て口元だけ緩める。  それは、カウントされてるときにファイティングポーズをとるボクサーのような動きに見えた。相当無理をしているんじゃないだろうか。 「大丈夫?」 「うん……」  春奏さんはゆっくりと深呼吸をする。そして、また話し出した。 ○  ――びわ湖に浮かんでたって。連絡があった。  律はずっと友達とキャンプみたいなことしてたみたい。昼間は遊んで、夜はテントで寝てたんだって。  ……すごい大雨の日があって。他の友達は、今日はやめとこうって言って帰ったみたいなんだけど、律だけはそのままそこで泊まった。そのときに落ちちゃったみたい。  私はショックで呆然としてた。警察に行って確認するときも、顔を見ることなんてできなかった。律が死ぬなんて考えられなかった。私にとって唯一の味方だったのに、なんでって。  家族のみんなも悲しそうな顔してた。もう家を出てたお姉ちゃんも駆けつけてきて、おんなじような顔した。  お母さんは、かわいそうって言った。お父さんは、秋音と楽ちゃんの背中を撫でてた。お姉ちゃんは、しょうがない子なんだからって言った。  私、全部覚えてるんだ。  それを聞いて、私は……爆発したの。  みんな心配なんてしなかったじゃない? 音楽できない子なんていらないんでしょ? 本当はホッとしてるんじゃないの? 私も同じようになったほうがいい?  ……みんなが殺したんだ、って罵倒して。お母さんたちに酷いこと言っちゃった。  そこからはどうやって帰ったかも覚えてないんだけど、家に帰ってからは部屋にカギ閉めて引きこもってた。  家族を恨んで、どうやって死んでやろうかな、なんて思ってた。そのときに、私ってこんなに性格が悪かったんだって知ったよ。どうしたらみんなが苦しむのかって考えちゃったから。  自分のことも責めた。寂しいから早く帰ってきて、って言えば違ったのかな、とか。しばらく帰ってこないって言ったときに、ちゃんと引き止めたらこんなことにならなかったのかな、とか。私なら助けられたかもしれないのにって思うと、情けなくて腹が立った。  ずっと泣いて、泣いて。夏の暑い日なのに汗なんて出ないの。涙は出るのに。  そうして引きこもっていたら、脱水症状が出て倒れちゃった。  気づいたときには、私は病院のベッドで寝てた。起きた時、視界の中にはお母さんと秋音がいてね。秋音、すごい泣いてた。そのときに私、悪いことしたんだってわかった。  退院して家に帰ったら、すごい静かで。……これなら律も居心地よかったのかな、なんて思うとまた悲しくなった。  でも、私を助けるために部屋のカギを壊してたから、もう引きこもれなくってね。短い時間でこんなに家って変わるんだって思った。  それから、みんな私にすごく優しかった。はれ物みたいな感覚もあったけど……本気で心配されてるのがわかったし、お母さんには何度も泣きながら謝られて、秋音とは一緒にいる時間が増えて……なんか、家族らしくなった。 ○
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