手編みのニット

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手編みのニット

「あら、大変!ここ、ひとつ、目が落ちてるわ。」 「えっ!本当ですか!?」 なんてこった。 またやり直しだ。 だいぶ編んだのに、またほどかなきゃならない。 (君のせいだよ、理恵… 君がこんな難しいものを編みかけていたから…) 苦い笑みを浮かべながら、俺は、毛糸をほどいていく… 突然の事故で理恵が逝ってしまってから、もう一年と半年が過ぎた。 君を失った喪失感はとても大きく、抜け殻みたいな一年を過ごしてしまった。 何も手に付かず、君のことばかり思い出して… このままじゃいけない。なんとかしないと… そんなことを考え始めた時、押し入れの中から編みかけのニットをみつけた。 『寒くなるまでに、編んであげるからね。』 編みあがるまではどんなのか秘密だって言って… まるで鶴の恩返しみたいに、君は夜遅くにひとりで部屋に閉じこもって編んでいた。 袋から出してみると、編みあがった後ろ身頃と編みかけの前身頃が出て来た。 白地にこげ茶色でトナカイの模様が入っている。 なかなか手の込んだ編み方だ。 理恵は几帳面な性格だったから、こんな中途半端で逝ってしまったのはさぞ心残りだっただろうと思った。 理恵はどんな気持ちでこれを編んでたんだろう? きっと、俺が喜ぶのを楽しみに、毎日、心を込めて編んでくれてたんだろうと思う。 (……暖かい……) 編みかけのニットには、理恵のそんな優しい心の温もりがこもっているように思えた。 俺は、毎晩、その編みかけのニットを触っては、理恵のことを思い出した。 家庭的で、真面目で頑張り屋で、しっかりしてるくせに、ちょっと抜けてるところがまた可愛くて… そんな彼女のことを思い出しているうちに、俺はそのニットが…理恵が可哀想に思えて来た。 せっかくここまで編んだのに、このままじゃただのゴミだ。 誰かに頼んで、編んでもらおうか… ネットで探せば、そう言う事をしてくれる人だってみつかるかもしれない。 でも…そうすると、形にはなるけれど、他人の手が入ったことで理恵の温もりが薄らいでしまうような気がした。 (どうしよう…) 何日か考えて…俺は馬鹿げたことを思い付いた。 そう、それは、俺が残りを編むこと。 理恵は、そうすることをきっと一番喜んでくれるのではないか…って。 そこからの行動は早かった。 俺は、編み物教室の扉を叩いた。 鍵編みと棒編みの違いさえわからないずぶの素人の俺に、この続きが編めるのかどうかはわからなかったが、とにかく出来るだけのことをやろうって思ったんだ。 先生には、事情を話した。 簡単なものではないけれど、焦らずに編んでいきましょう!って言ってくれて… 先生は、俺に編み棒の持ち方から親切に教えてくれた。 編んではほどき、また編んではほどき… 不器用な俺の編み物はなかなか進まないけれど… でも、きっといつかは完成出来るはず。 (気長に待っててくれよな…必ず、完成させるから。) 心の中で、理恵にそう呟いた。 ~fin.
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