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※
璃狼が外に出たのは、特に理由があったわけではなかった。ただ、空気を吸いたくなっただけ。
「外に出てくる」
「こんな寒い日に散歩ですか? 灯りはいります?」
寺子屋で働く女性が微笑みかける。
「灯りは必要ない。遠くまでは行かないからな」
「わかりました。あまり遅くならないでくださいね」
「ああ」
外は冷え込んでいた。野性動物たちも眠りについていた。
「『外』の世界って、灰色の空もあるんだ……」
掠れた声が聞こえた。声の下方向へ足を進めれば、岩の上に座って空を見上げる子どもの後ろ姿が見えた。
美しい緋色の髪。人間ではとても珍しい色彩は、真っ白な世界に燃える炎のようだった。──璃狼は目が離せなくなった。
「ここでなにをしている」
話しかけても、子どもは振り返らなかった。
「空の観察、かな?」
顔が見たい。璃狼はまた雪を踏み締める。自分の足で三歩程の距離になっても、子どもは後ろを振り向かない。灰色の空を見つめたままだ。
息を吐く。
「……風邪をひくぞ」
「カゼ? それって美味しい食べ物なの?」
さらに一歩近づく。
「腹が減っているのなら、来い。おまえは空を観察しているのではなく、『死んだらこの空を飛べるのだろうか?』などとふざけたことを考えていただけだろう」
――初めて、子どもは振り返った。
その表情は空腹と寝不足で疲れきった、今にも倒れてしまいそうなものだった。しかし子どもの目は、キラキラと炎のように輝いていた。
子どもは自分を、楽しそうに見つめていた。
「お兄さん……にしては少し老けているね。でもおじさんにしては若いかな。まあ、いいや。お兄さん、当たりだよ」
疲れた顔をしているのに、表情はそう見えない。ニコニコと、子供らしく無邪気に笑う。
「俺は疲れているし、お腹も空いている。空を見ていたのも、雪が降る中、灰色の空を飛ぶのも幻想的でいいなあ、なんて考えていただけ」
子どもは岩の上から降りた。真っ赤な裸足の足が、少し凍った雪に沈んで痛む。
子どもは、男の足であと二歩だった距離を縮めた。
「わあ、よく見れば、お兄さん美形だね」
空ではなく背の高い男を見上げ、笑う。分かりやすい世辞だ。璃狼は眉ひとつ動かさずに子どもを見つめた。
「俺の名前は緋月。今は住むところがなくて困っているんだ。お礼はきっちり返すから、今夜一晩だけ泊めてくれない?」
適当な世辞を並べ、自分の要望を実に分かりやすく伝えてきた少年に、璃狼はまた深い溜息を吐いた。そして真っ直ぐに緋月を見つめる。
緋色の髪と瞳を持つ少年。人間社会で生き抜くのは難しいだろう。
彼を連れて帰るのに、璃狼が迷うことはなかった。
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