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男が案内したのは、山奥にある大きな屋敷だった。まだ建ててから年を経ていないのか、壁や門の傷は真新しい。
周りにたくさんの木があるため、春や秋になれば季節に合った風景が見られるだろう。
「へえ、お兄さんの屋敷って広いね。それに、いい場所に建ってる」
「食事と寝泊り付きの寺子屋をやっているからな。これぐらい広くないと、やっていられない」
「先生なんだ?」
「ああ。……寒いだろう、入るぞ」
男は門をくぐり、引き戸を開けて屋敷へと入る。緋月もそれに続いた。
薄暗い屋敷の廊下をしばらく歩くと、男は灯りの漏れている部屋の障子を開けた。
「あ、璃狼さん。おかえりなさい」
緋月は璃狼の後ろに立っていたため、部屋の中は見えていない。女性の声が聞こえるだけだ。
「梨桜。ちょうど良かった、頼みがある」
「なんの御用ですか?」
緋月は少し動いて璃狼と襖の隙間から部屋を覗く。中にいたのは、せいぜい多く見積もっても二十代前半と思われる女性だった。休憩をしていたのか、煎餅を食べて寛いでいた。
目立つ簪は付けていないものの、結い上げた焦げ茶色の髪の毛は、梨桜の顔を可愛らしく見せるのに十分な役目をしている。子鹿のように大きな丸い瞳も、同じように愛らしい印象を与えるものである。
「今日からこの屋敷に住む、緋月だ。早速だが、空腹で倒れそうなこの子に食事を作って欲しい」
「へえ、また拾ってきたんですか」
子供を拾ってくるのは、今までもあったようだ。梨桜の、あまり関心のなさそうな言葉で十分伝わる。
「今回はどんな子を拾って──!」
梨桜は部屋で煎餅を食しながら、首を動かして緋月を見つけた。瞬間、食べかけの煎餅が畳の上に落ちる。
「か、か、か……!」
「かかか?」
目を見開いて唇を震わせる梨桜に、緋月は首を傾げた。
そんな彼の様子に、梨桜の頬に朱がともる。それと同時に彼女は動き出した!
「可愛いィィィィ!」
梨桜は力の限りを出して、緋月に抱きついた。そして、頬をスリスリとする。
緋月はというと、突然のことに声も出せずにされるがまま、である。
「可愛い、可愛いわっ!」
梨桜は緋月の頬を両手で包み込むと、うっとりとした目で見つめた。
「この、柔らかい頬! 日に焼けていない白い肌に、男の子とは思えないくらいに大きめの目、小さな口! 珍しい色だけれど、この枝毛一本ない綺麗な髪を伸ばしたら、完全に女の子にしか見えないわ!」
梨桜はそこまで言うと、ほう……と感嘆のため息をついた。キラキラと輝く目が、緋月を映している。
「いつも、思っていたの。あなたのような男の子が来ないかしら、って……」
「ど、どうして……?」
緋月は梨桜の言動に気圧されている。
この時代──緋月の記憶では十九世紀初頭である──は、女性はおしとやかで品のある人が好まれていた。
それなのに彼女は、彼のその考えを変えるほどの、迫力たっぷりな性格の持ち主であったのだ。
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