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序
「……どうなってるんだ、これ」
眼前に広がる町並みを目にして、僕は戸惑いの声を漏らした。
「ここ、本当に鵜野森町なのかな……?」
僕に続いて通りに出てきた日野さんも、同じように困惑している。
ただ一人。
「半分正解、半分不正解って所でしょうね」
最後に顔を出したウスツキだけを除いては。
僕の記憶違いでないのなら、現在地は鵜野森駅北口の一画にある雑居ビルの一つ。
一階に薬局が入っている場所のはずだ。
けれども、通りに出た僕達が振り帰ったその薬局が入っているべき場所には、何故か不動産屋が入っているようだった。
「駅前の風景も、何か所々違ってるみたい」
「とにかく、周辺を歩いてもう少し様子を見てみないと……」
気がついたら、僕ら三人だけがこんな雑居ビルの階段で眠りこけていたなんてこれまでの経験上、普通の状況でないのは明白だ。
ここから見える範囲だけに限っても、僕らがよく知る鵜野森町とは何かが違っている。
けれども家に連絡を取ろうとスマホを取り出した所で、僕も日野さんも画面に『圏外』の文字が表示されていたのを見て肩を落とした。
これではこの場から婆ちゃんやサクラに連絡をとる事はできない。
そうかと言ってホイホイ出ていくのもやや難がある理由が僕らにはあった。
見た限り時間帯も夜で、通りには千鳥足の会社員らしき人影がいくつか見られるあたり、だいぶ遅い時間のようである。
僕と日野さんでさえ、この時間帯にこのあたりを歩いていればお巡りさんの目に留まる可能性が高いのに、見た目小学校高学年くらいのウスツキ同伴となれば尚の事である。
交番のお世話になれば情報は早く集まるかもしれないけれど、僕らの知る鵜野森町と大きく何かが異なっていた場合、すんなり帰してもらえるかどうかがわからないのである。
「……ウスツキは何かわかってそうな顔してるけど、知っているなら教えてくれないか?」
「今の状況に私の権能が起因している事は知っているけれど、生憎ここがどういうものかまではわからないわね」
「――ねえ、二人とも。これ見て」
その時、日野さんが僕らを呼んだ。
不動産屋の物件案内の広告を見ていたらしい。
「何かあったの?」
「……これ、鵜原方面の物件広告みたいなんだけど……ほら、ここ」
日野さんが指さしたのは、大きめにスペースを割いた物件広告のようだ。
でも、それは特段不思議な話でもないだろう。
空き室があれば不動産屋としては当然広告を出すだろうし――
「……あれ? 鵜原ニュータウンって書いてあるけど……?」
鵜原地区は、僕が住んでいる鵜野森町とは線路を挟んで反対側の、比較的新しい住宅地である。
日野さんを含め、鵜野森高校の生徒にはそちら側に親の世代が引っ越してきた世帯が多く通っている。
圭一さんや爺ちゃん婆ちゃんが若い頃は駅に近い一部以外は湿地と林ばっかりだったらしいから、一番古い場所でもここ四十年くらいでできた町である。
「うん。でも鵜原がニュータウンなんて呼ばれてたのって、随分前のはずだけど」
「……随分前って?」
「……ええっと、多分、私達が小さい頃にはもうそんなふうには言われてなかったと思うから……二十年以上前じゃないかな」
僕は何だか嫌な予感がして、もう一度通りの方へ顔を出して周辺の建物の様子を注視してみる。
「……言われてみれば」
ようやく違和感の正体が何だったのか、わかってきた気がした。
「この町の景色、ちょっと古いんだ」
ざっくり見れば元々古くからの町だった駅前北口側はそれほど大きな変化をしていない。
けれどもいくつかの建物は今では新しいものに建て替わっていたり駅前の商業施設は改修されていたり、老朽化した建物は取り壊されて駐車場になっている場所もあったはずである。
僕が物心ついてからのせいぜい十数年の記憶で見ても、ここはそのあたりが軒並み、昔のままなのだ。
そういう部分は確かに、僕らが普段目にしている鵜野森町とはいくらか異なる時代の光景である事を示していた。
近年になって急速に開けた鵜原地区がある駅の南口方面はもっと差が顕著のはずだ。
「……つまり、この鵜野森町は二十年以上前の鵜野森町って事……?」
「かもしれない……って言うくらいしか、今は言えないけど」
僕と日野さんは顔を見合わせる。
正直、困惑している。
これまで何度か、人の記憶の中に残る過去の世界には、元・サトリであるレイカさんの権能を使って入った事がある。
けれど、今回はまたそれらとは様子が異なっていた。
あちらはあくまで記憶の中に作り出された仮想世界で、術者であるレイカさんがそれを解除する事で元の場所へ戻る事ができるものであったけれど、少なくとも今の状況にレイカさんは関与していないはずだ。
つまるところ、僕らは自分たちが置かれているこの空間の正体も帰還方法も、わからないままなのである。
「……まいったな。でもどうにかして戻る方法を探さないと……」
「でも、私達が生まれる前じゃ、知り合いも居ないしどうしたら――」
完全にノーヒント状態での探索をしなければならないらしい展開に頭を悩ませ始めた矢先。
「ふむ」
雑居ビルの階段を上階から、聞き覚えのある声の主が降りてきた。
薄暗い場所からわずかばかり通りの明かりが射し込む場所へ出てきて、その姿が顕になる。
「な……」
「あ……!」
「妙な霊気を感じて様子を見に来てみれば……」
ビロードの袴と言う、僕らがよく知るものとはちょっと異なる雰囲気の和装に身を包んではいるものの。
「サクラ!」
それは間違いなく、僕らの見知った顔だったのだ。
そうして僕がこの状況下で差し当たり最も頼りになるであろうサクラを見つけて喜びの声を上げた次の瞬間。
僕は自分がいつの間にか、途方もない力で壁に押し付けられている事に気が付いた。
「――小童。……その名を何処にて聞いたであるか」
「……何……なんだ……? いきな……り……」
僕の襟首を掴んだサクラの目つきは、僕らが普段喋っているサクラとはどこか違っていた。
なんというか、本来の獣のそれに少し近い雰囲気を放っている。
「今時座敷童が人の子らと一緒に居るのを見掛ける事になるとは思わなんだが……私の事を少なからず知っておるとなれば、このまま話も聞かぬうちに帰すわけにも行かぬであるな」
何が何やら理解が追い付かない。
この状況も、この先の展開も、まるで予想が出てこない。
……落ち着け。
そうだ、一度整理しなければ。
この異質な空間に放り出される事になった、そもそもの経緯を。
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