第一章 迷いと、不安と

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 3  実際、料理好きの日野さんが来てくれたことで婆ちゃんが三が日の準備に専念できると言うのは、婆ちゃん以外の家事スキルが壊滅的な我が家にとっては実務的な意味でもありがたい事だった。  何しろ僕も小中学校の家庭科で習ったものくらいが関の山だし、爺ちゃんも同列。  サクラに至っては更にカオスで、以前婆ちゃんが風邪でダウンした時など筑前煮を作ると張り切った結果、紫色の謎めいた何かが出来上がったのを日野さんが歴史の闇に葬ったと言う逸話があるくらいだ。  それに、鈴音にとっては「かかさま」と慕っている日野さんが数日ぶりに我が家に顔を出していたのが何より嬉しいのだろう。台所までくっついて行って、たどたどしい手付きながらも楽しそうに料理の手伝いをしていた。  僕も夕食の時間までの間、社殿へ行って爺ちゃんとサクラを手伝い、皆で夕食をとることになった。 「じゃあ、圭一さんとレイカさんは今年もまた温泉旅行?」 「そうみたい。今朝二人でウチに顔出して出掛けて行ったよ。日野さんによろしくって」  駅前の立地ならばともかく、古い商店街と隣接する住宅地だけの北鵜野森町で年越し目前に喫茶店を営業するのは客足的にあまり期待できないのだそうで、それならばと昨年に続き二人で温泉旅行へ出掛けるらしい。 「レイカさん曰く『圭一君が元気なうちに思い出いっぱい作らなきゃ』って事らしいけど」  当人を前にしてあの言動もレイカさんらしいと言うか何というか。 「フハハ、あれも別段嫌味で言っているわけではないのである。あやつはあやつなりに伴侶として選んだ相手の時間が、妖である自分と違って有限である事を受け入れ、それを楽しもうとしておるのであるよ」  サクラは笑って、小皿の漬物を摘まみ上げた。  そうなんだよな。  傍から見たら五十代後半の圭一さんと二十代半ばのレイカさんと言う、所謂歳の差カップルなのだけれど、実際に妖・サトリとしてこの世で過ごしてきた時間を含めたらレイカさんの方がずっと長いし、それはこの先も続いて行く。  そんな気の遠くなるような時間の中で、一際輝く大切な記憶を残そうとしているのだ。 「レイカさんと一緒になってからこの一年、圭一さんも毎日楽しそうですもの。いいことじゃない」 「フン、事あるごとに圭一から惚気話を聞かされる儂はたまったもんではないわ」  婆ちゃんにそう返しながらも爺ちゃんの口元も少し笑っているので、何だかんだで本気で嫌がっているわけではないんだろうな。 「いいな、温泉」  日野さんが羨ましそうに呟く。 「おんせん! かかさま、おんせんてなぁに?」  鈴音が興味ありげに食いつくと、日野さんは「んー……」と頬に指をあてて少し考えたあと、 「おーっきなお風呂……かな」 「お家のお風呂よりおっきいの?」 「そうだね」 「じゃあうみ! うみよりおっきい?」  ……スケールの変化が極端すぎる。 「海よりは小さいけど、とっても広いの」 「ふおぉ……」  鈴音の頭の中でどんな光景が広がっているのか定かではないけれど、本人が楽しそうなのでまあ良しとしよう。  しかし、温泉……温泉か……。 「ご主人が何考えてるか当ててやっても良いのであるぞ」  隣からニヤニヤ顔のサクラが、小声で言いながら肘で突いて来る。 「……言っておくけど、お前が言いそうな事は考えてないからな」 「ほっほーう。それが具体的に如何なるものか是非ご教授願いたいものであるな」  ……ぐっ、コイツめ……。 「ととさま! おんせんて、とーっても広いお風呂なんだよ!」  僕の横に来た鈴音がたった今、日野さんから仕入れたばかりの知識を胸を張って披露してくる。  サクラの相手をしていると墓穴を掘りそうなので、ここは鈴音の話に乗っかる事にしよう。  お茶を啜りつつ、鈴音に質問を返していく。 「おー、そっか。どのくらい広いのかな?」 「鈴音も、おねーちゃんも、かかさまもばばさまもサクラもいっしょに入れるんだって」 「楽しそうでいいね」 「ととさまとじじさまもいっしょね!」 「ブーッ!」  爺ちゃんは箸で持ち上げていた煮物を取り落とし、僕はサクラに向かってお茶を噴き出す。 「……何やってるんだか」  騒がしいやりとりを横目に、ウスツキは呆れ顔で味噌汁を啜っていた。  食事を終えてめいめい居間から出て行って、現在はお茶を噴いた手前片付けをしている僕と、それを手伝ってくれている日野さんだけである。  サクラは恨み節を垂れ流しつつ風呂に入って来ると言い、鈴音もそれに着いて行った。 「日野さんが居ると、やっぱり鈴音はいつもの三倍くらい元気だなあ」 「そんなに違わないでしょう?」 「いやあ、居ないときは日野さん自身はウチの様子見てないからあれだけど、鈴音も割と大人しいんだよ」 「そうなの?」 「今日は遅めのお昼寝から起きたら、居ないと思ってた日野さんが来ていたから余計にはしゃいでたのかもね」 「そうなんだ」  リアクションは控えめだけれど、そう言う日野さんの表情は少し嬉しそうだった。 「ウスツキはまだちょっと遠慮があるような気もするけどね」 「あの子は……お姉ちゃんだから。って言うか、鈴音と違って精神的には私達よりずっと年上なんだし、ある程度は仕方ないと思うけれど」  座敷童の変種である同一の個体から派生した二つの怪異・ウスツキと鈴音。  過去から切り離され新しくこの時代に生まれた鈴音は、その真っ新な心に日々、新たに見聞きするこの世界の姿を描いている。  鈴音が大好きな絵日記そのままに。  目にするもの全てを楽しみ、驚き、感動する。  その様は、未来を象徴するあの子の在り方そのものだ。  一方同じ怪異から派生したウスツキは、まだ少し僕らに対してどこか一線引いているような部分も幾分感じられる。  まあそのあたりは日野さんが言うように、過去の記憶を継承しているために、精神的に人間の子供とそう変わらない鈴音とは勝手が違うと言うのが大きいのだと思う。  けれど。  けれど果たして、それだけだろうか。 「上手く言えないけど、それだけじゃない気がするんだ」  将来に対して懐いている輪郭のつかめない不安。  現状に対して懐いているこのままでよいのだろうかと言う疑問。  今の僕の抱えているものとどこか近いものを、ウスツキも胸の内に秘めているように思える時がある。  それはきっと、半不死の身でありながら圭一さんとともに生きる事を選択したレイカさんのようには割り切れていない事で、いずれはウスツキだけでなくおそらく鈴音も直面する問題だ。 「ウスツキ自身が話してくれたら、それにはきちんと向き合ってあげないと」 「それは勿論だけど、私達はその前に、直面してる受験をクリアしないと」 「……せっかく僕ちょっといい話風にまとめたのに」  僕は思わず舌を巻き、再び向き合う過去問の山を思い出して肩を落として溜息を漏らした。
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