第一章 迷いと、不安と

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 4  その後日野さんとともに過去問を解き続け、とりあえず今日はお終いとの事で自由の身になったのは、もう深夜帯になろうかと言う頃だった。  僕は部屋へ戻るため、日野さんは風呂場へ向かおうと客間を出た所で玄関の方へ向かう小さな人影が目に入った。 「今の、ウスツキ?」 「……多分」  日野さんと顔を見合わせ、出て行ったウスツキらしき人影をそろそろと追いかける。  玄関を出ると、その小さな人影は社殿の方へ消えて行った。 「こんな時間に何の用事だろ」 「わからないけど……」  神霊寄りの存在とは言え高密度な霊気体で実体化している以上、ウスツキも鈴音と同じく睡眠はとっているはずなので、もういい加減眠くなる時間だと思うのだけれど。  僕らはそのままウスツキが入って行った社殿の入り口から、こっそりと中を覗き込んだ。 「――――」  社殿の中央には、祭祀用の装いをしたウスツキが佇んでいる。  彼女が何事かを呟くと、明かりもつけていないはずの社殿の壁や床、天井、果ては何もない空間から青白い極小の光の粒が浮かび上がった。  それらの光はゆっくりとウスツキの頭上に寄り集まって、暗い室内にあって彼女だけを照らすように彼女の周囲を回り始めていた。  そんな姿を見ていると、鈴音の面倒を見たりしている時とは異なる、本来神性を帯びた存在であると言う事を改めて認識させられる。 「あれって、サクラがたまにやってたのと同じようなものなのかな?」 「……多分。アイツもここに集まる霊気を自分用に取り込んだりしてたみたいだし」 「ワン」 「……ワン?」  入口でコソコソ話をしていた僕らが聞きなれない声に振り向くと、巨大な犬のアップが目の前にあった。 「おおおおおぅ⁉」 「コ……コマ……?」  そこに居たのは、鵜野森神社の霊獣・コマである。  婆ちゃん曰く狛犬の霊獣との事なのだけれど、外見的には狛犬と言うより何故か紀州犬のそれに近い。  鵜野森神社の御神体が随分前に力を失ってから長らく休眠状態にあったらしいのだけれど、ここへ嫁いできた当時の婆ちゃんの力に反応して目覚めたらしい。  以来、婆ちゃんの霊力リソースを使って荒れた近隣一帯の霊脈の調律にあたっていたのだと言う話をしばらく前に聞いた事がある。  普段から霊気体でうろついているわけではないけれど、鈴音とウスツキと言う御神体の代行を可能とする神性が顕れた事で、最近では自由に姿を見せるだけの霊力を確保できているようである。  本来の姿はあまりにデカいため、人前に姿を見せる時はそこらの大型犬くらいのサイズで居るようにして貰っているのだけれど、今は夜中で部外者も来ないため、全長は本来の軽自動車くらいのサイズになっていた。 「び……びっくりした」 「……頼むから脅かさないでよ」  思わず座り込んで深く息を吐いた僕らだったけれど、 「脅かさないでは私の台詞だから」  当然と言うか、ウスツキに見つかってしまったようである。 「……アナタ達、こんなところに居たら風邪ひくわよ。中入りなさいよ」  そう言ってウスツキは僕らを一瞥すると、社殿の中へ戻って行った。 「グルル……」  反応に困っていた僕らの背中を、コマが鼻先でつっつくようにしてくる。 「入れ……って言ってるのかな」 「お、押すなって。わかったから」  コマに急かされつつ中へ入る。  サイズ的に入り口で引っかかるんじゃないかと思われたコマは、器用にサイズを縮小して後をついて来た。 「普段からその大きさで居たらいいのに」 「……」 「ナンデモアリマセン」 「はいはい。とりあえずそこ、座りなさいな」  電気をつけていない社殿の中は、先程ウスツキの周囲に浮かんでいた青白い光の粒のおかげで、ちょっとした間接照明でもつけているかのようになっていた。 「ちょっと待ってなさい」  そのまま目を閉じた彼女が何事かを小さく呟く。  婆ちゃんやサクラの扱う祝詞の類とは違う……恐らく人間には聴き分けることができない言語のようだった。  おそらくレイカさんがサトリの権能を使う時に謳うものと同じようなものだろう。  その言語に応えるように、ウスツキの身体から同心円状に薄い光の波のようなものが広がったように見えた。 「これで寒くないでしょう?」 「え? ……あれ、ほんとだ」  言われてみれば、急に自分の周囲の空気が温かくなったように感じられる。  日野さんも不思議そうに自分の頬を触ったりしていた。 「ウスツキドウジが持っていた権能の中でも、こういう小細工めいたのは大概私が継承してるのよ。鈴音が持って行ったのはあの一件以来発現してない未来観測と運命操作と、物理的な力が強いことくらい。尤も、前二つはあの子自身で制御できないから、発現しないでいてくれて助かるけれど」 「それって、ウスツキとコマとの三者一組で霊力バランスをとれるようになったからって話だったっけ」 「そうよ。そういう意味でも、今のこの境遇には少なからず感謝しているわ。あの子に過剰な霊気が溜まらないように私とコマで調整してやればいいのだし。お誂え向きにそのための霊気の使い道が、御神体の代行なんて仕事で用意されてるわけだし、ね」 「別にそのために御神体が空席になってたわけじゃないと思うけど……」 「わかってるわよ。気の持ちようの話。……って言うか、人の心配よりもアナタ達自身の方は大丈夫なわけ?」  あまり自分の事に触れられたくないのか、ウスツキは僕らの方へ話の矛先を向けてくる。 「僕らの?」 「そうよ。二人とも『悩み事抱えてます』って顔して、そんなんで来月試験だかなんだか知らないけど大丈夫? この時代の社会の仕組みはまだよく把握しきれていないけれど、結構大事なんでしょう?」 「……」  ウスツキの話に、僕は思わず首を捻る。  僕はまあ……悩み事は間違いなく現在進行形で抱えているし、思っていることが顔に出やすいと色んな人から言われるのでわかるのだけれど。 「……」  昔と比べて表情のバリエーションは遥かに多様になったとはいえ、基本ポーカーフェイスである事には変わりない日野さんの表情だけで、悩み事を抱えているなんてわかるものだろうか。 「わ……私は、別に……」  どうやら日野さんの反応から察するに、あながち間違いでもないらしいし。 「私はレイカと違って心象世界を覗き見るなんて芸当はできないから、アンタ達が何で悩んでるかまではわからないし、別に無理に聞き出そうとも思わないわ。だから――そうね、これで行きましょ」  ウスツキは何だか一人で結論付けたかと思うと、指先に青い光を灯す。 「――――」  そしてまた僕らには聴き取れない言語を小さく呟いたかと思うと、その光はパァッと弾けて僕と日野さんの身体に触れると溶けるように消えて行った。 「さ、もう今日は二人とも寝てしまいなさいな。私ももう今日は切り上げるから」  ウスツキのその言葉を聞いた途端、眠気が強まって来る感覚を覚えた。  別段昏倒するようなものではないけれど、他の事をしようだとか、何かに考えを巡らせようだとか、そういう類の事は全部投げっぱなしにしてでも布団に倒れ込みたくなるような気分である。 「ふわ……何かよくわからないけど、とりあえずそうするよ……」 「私も……」  僕と日野さんは同時に欠伸をし、コマに運ばれて家の中へ戻ったのを憶えている。  それから後の事は、何だか記憶が朧気になっていた。  ――そうだ。    そして次に目覚めた時。  僕らはどういうわけか、例の雑居ビルの中で目を覚ましたのだ。
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