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幕間 1 がぁるず・とぉく(妖)
「お主は眠らぬのであるか」
ガラス越しに駅前の街並みを見下ろす私に、声をかける者があった。
元はそれなりに値が張ったであろう大きな椅子の背もたれに寄りかかり、サクラがこちらを値踏みするように見ていた。
「……私は別に睡眠が必須の身体じゃあないの」
「ふむ。左様であるか。神霊寄りの妖である座敷童とは言え、やはり少々特殊な存在のようであるな」
「それは今のお役目柄、ね。……それと、一応厳密にはウスツキドウジ、よ」
「なるほど。それでこやつらからウスツキなどと呼ばれておったであるか」
サクラは毛布にくるまって寝ている夢路と咲を横目でチラリと見た。
雑居ビルの夜逃げテナントを再利用したサクラの根城は、お誂え向きにソファやなんかもそのまま放置してあったのが幸いして、想像よりは随分マシな状態だった。
それでもこの季節がら、人間の夢路と咲には堪える寒さに思われたので、今はテナント全体を私の結界術で外気と遮断している。
色々と混乱して気疲れしたのだろう、二人はソファに座っていくらもしないうちに眠りに落ちてしまった。
サクラはこちらへ視線を戻して、口の端を少し吊り上げる。
「……何かおかしいかしら?」
私が憮然とした声で聞くと、サクラは頭を掻きつつ、
「いやいや。奇妙な事もあるものだ、と思ったのでな。人間の中で神や妖の存在が薄れて行く一途のこの時代に於いて、あまりにお主はこの二人の中で当然の存在であるように見える故、少々驚いておる」
「……ぷっ」
サクラの言葉を聞いて、私は思わず吹き出してしまった。
「……何がおかしいであるか」
今度はサクラがジト目でこちらを睨む。
「ふふ、ごめんなさいね。毎日炬燵でゴロゴロしながら夢路から猫缶をせびっているアナタを知っているものだから、昔はこんな感じだったのね」
「……それは本当に私なのであるか?」
「嘘なんてつかないわよ。この子の祖父母も含めて、アナタはごく自然に、彼らの日常に溶け込んでいるのよ。少なくとも、私の知るアナタは、ね」
「……淑乃は」
「……?」
サクラの声の調子がやや重くなる。
「……やはり淑乃はその中に、おらぬのであるか」
「……」
その目には、形容しがたい複雑な感情が内包されているように思われた。
「……『やはり』、ね。という事は下に居る時に咲が見せたものって言うのは、やっぱり夢路の母親に関するもの……って事か」
「……あの娘の持っていた首飾り。私の知っておる淑乃が所有しているものと同じであった。そして、あの娘の持つ方の翡翠の石には、あやつの霊力そのものが宿っておったのである。……この時代からお主等の居る時代まで二十数年。あやつの身に何があった?」
「さあ、ね。私も詳細は聞かされていないの。夢路が子供のころに死別した、とだけ。あっちのアナタも来ていれば何か聞けたかもしれないけれど」
「……左様、であるか」
サクラは天井を見上げ、深く息を吐いた。
「信じられない?」
「……まあ、な。あやつの魂魄が持つ光は、死とは縁遠い様に思えていた故」
「人間の命は、人の共通意識から忘れ去られない限り半不死である私達よりもずっと脆いわ。どれほど強い霊力持ちでも、その枠組みからは逃れられない。それに――」
「……それに?」
「――いえ、何でもないわ」
私は喉元まで出掛かったある言葉を、口へ乗せる事無く飲み込んだ。
サクラはそんな私の表情の奥にあるものを知ってか知らずか、苦笑一つした後背もたれから身体を起こす。
「……で、お主はそんな事を私に言うために、あの二人をこの時代へ連れてきたわけではあるまい?」
「……あら、どういう事?」
「時間を超えるなどと言う怪異現象、有象無象の妖に起こせるものではない。私も含めてそんな真似はできぬ。神霊級の奇跡に近しい事を為せるとなれば、真っ先に考えられるのはお主であろう」
はぐらかしは許さないと言いたげな、射貫くような視線だった。
「……確かに、時間を渡ったのは私の権能よ。この時代へ狙って来たわけではないけれど。夢を見る事は昔から異なる世界との接点を持つ事だと言われているの。そして人の世に伝わる『枕返し』の怪異は、個の妖ではなく私固有の権能であると伝えている文献も多いらしいわ」
「ではそこで寝ておる二人を連れて、元の時代へ戻る事もできように」
「夢と言う形で時間を越えてここへ来たけれど、覚めるためには何か事を為さなければいけないの。この二人がここへ来た事自体偶然ではなく、それぞれが心に抱え込んでいたり、引っかかっていたりするものを解消するための――何か因果の糸で繋がったものが、ここにはあるのでしょう」
「……それを見つけねば、お主でも帰還はさせられぬと言う事、であるか」
「そうよ」
「ふぅ……。まあ良い。あの娘――咲と言ったであるか。あれの持つ翡翠の石に私の知り得ぬ未来の淑乃の霊力が宿っておる以上、この先に起こる出来事を知る機会があるやもしれぬ。それまでは力を貸すとするのである」
サクラはそう言い残して、部屋から出て行った。
あとには夢路と咲の規則正しい寝息だけが静かに聞こえている。
「……さて、どうなるやら」
二人の抱えたものが何なのか、それは私にも見通せない。
この二人が前に進むための何かを見つけられるかどうか。
「……鈴音の未来視が私に使えればよかったのだけれど」
窓ガラス越しに見える夜空の様に、それは何だかぼやけていて、遠くまで見通せそうになかった。
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