月明かりの下で

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月明かりの下で

 夢を見た。  最近、いつも同じ夢を見る。  広い庭が春の夜風に揺れ、桜がふうっと舞い散る。そこに、一人の若い女性が佇んでいる。艶々とした、背中まで届く綺麗な黒髪。肌は白く、鼻筋の通った美しい顔立ち。華やかな着物に身を包み、まるで時代劇のお姫様だ。  彼女は、月を見上げると、いつも微笑んで何かを呟いている。  瞼を開く。見慣れた天井だ。  窓から日光が射し込み、暗かった室内を明るく照らす。暖かい。朝だ。  夢は、いつも彼女の呟きで終わる。何を言っているのかは分からない。ただ、何度も同じ光景を見るうちに、いつの間にか俺は不思議と彼女に惹かれていた。  今日は、日曜だ。高校も休み。  特に予定はない。  気がつくと、俺は県立図書館へと向かっていた。無論、着替えと朝食は済ませている。  使い古した自転車を駐輪場に停めると、図書館の中に入る。受付をし、奥へ進む。  地上四階建てに、地下一階の構造をした、大きな建物だ。俺は、三階の歴史・文化のコーナーの棚へ足を運ぶ。  やはり、思っていた以上に、たくさんの著物がある。これは、探すのに手間がかかりそうだ。 「疲れた……」  思わず、小さく声を漏らす。  すでに百冊以上を調べたが、特に気になる記述は書いていなかった。それもそうだ。大した手がかりがあるわけでもないのに、無謀な挑戦だった。  しかし、諦めずにはいられなかった。それくらいに、俺の心は鷲掴みにされていた。  これで最後にしよう。そう思い、棚から本を手にする。平安時代後期の歴史をまとめたものだった。この地の貴族について、当時の様子を描いていた。  何ページかめくっていると、ある部分に目が止まった。 『一条を治める貴族、内前家』  そう見出しにあるページには、下段に奇妙な内容を見つけた。 『当時、朝廷と関わりの深かった内前家には結婚の申し出が後を断たなかった。しかし、頑なに断り続ける女性が一人いた。名を、内前雪乃。彼女には、不思議な力があったと言われている。それは、未来を見通す能力だ。彼女は、夜に必ず、邸内の庭に行き、月を眺める。その月の様子を見て、様々な未来を見通したそうだ。どのようなことが分かり、また当たっていたのかは定かではない。彼女の伝えた未来は、全て口伝のみであり、書物には一切記録がない』  この本は歴史書ではない。この地の歴史研究家と、ノンフィクションライターの共同著作だ。参考文献も多く、真っ赤な嘘ではないだろうが、どうにも怪しい。  ただ、内前雪乃という女性が気になった。  彼女の能力のこともそうだが、邸内の庭で月を眺めるという行動。夢の中で見た、あの女性と同じだ。  偶然。そう言ってしまえば終わる話だ。それでも、俺の心は感じていた。これは、単なる偶然なんかではないと。  一条は、今の俺たちが住む一条市倉木の辺りだ。内前家があったのは、どこら辺なんだろうか。文献を確認し、現在の場所と照らし合わせる。  驚愕した。  内前家があったのは、よく知っている場所だった。俺の家がある通りだ。  邸宅の敷地から察するに、俺の部屋がちょうど庭の辺りと同じ位置のようだった。  間違いない。あの女性は、内前雪乃だ。  そうとしか考えられなかった。 「まるでマンガみたいな話だな、ははっ」  興奮し、笑みが浮かぶ。  これでタイムスリップでもしようものなら、いよいよマンガや映画の世界だ。  まあ、さすがにそれはないだろうが。  俺は、心踊らせながら帰途につく。  家に戻ると、夜が待ち遠しかった。  夜になり、また同じ夢を見る。今日の夢は、いつもと少し違った。  目が覚める。月明かりが窓から射し込む。まだ真夜中だ。窓を開くと、俺はベランダに出た。  綺麗だ。ふと、そう思った。  見上げた先には、満月が顔を出している。時折、雲に隠れる様は幻想的で、夜風が心地いい。  夢の中で、微笑みながら彼女が何を言っていたのか分かった。 『青年が見えます。遠い先の未来でしょう。見たことのない家です。青年が月を眺めています。ああ、綺麗ですね。優しそうな瞳をした方。青年よ、月はお好きですか。私は今、あなたと同じ月を見ています』  彼女の声は優しく、その微笑みは美しかった。綺麗だった。この月のように。 「見ていますか。俺の姿は届いていますか。俺も今、あなたと同じ月を見ています」  何故か、涙が流れた。雫が滴り落ちる。  それは遠く、ひたすらに遠い。  どれだけ手を伸ばしても、この想いは届きそうにない。  千年前のあなたは、何を思い、この月を眺めているのだろうか。  その答えは、出そうにない。  月明かりの下で、俺はあなたに恋をした。  
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