1話 お肉食べたい

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1話 お肉食べたい

『お肉食べたーい!』    あなたがそう叫ぶ時、どんなお肉をイメージしていますか?  俺はね、焼肉!  そこそこのお値段のお肉をいっぱい食べる方の庶民的な焼肉。  ジュージュー焼いて、白いご飯と一緒にがつがつ食べるの。  ホルモンも好きだしハラミもロースもカルビも好き。  豚トロとか軟骨も好きだよ。  濃いめのタレに香ばしい香り!  タレにはコチュジャンとニンニク混ぜちゃう?  時々レモン汁で爽やかに?  ねぎダレもいいねー。  味噌だれに、辛めのタレもご飯がすすむから大好き。  あ、サムギョプサルもおいしいよね!  野菜を焼いてるの忘れて焦がしそうになったところを慌てて救出したり。  サンチュに巻く時キムチを入れるかナムルを入れるか迷ったあげく入れすぎてお口いっぱいになっちゃったりもするね。  締めはビビンバにする?  それとも、冷麺?  この勢いならどっちも食べれるかもしれないね!    ああ!  お肉食べたーい!    希望がおなかを空かせて、肉欲(お肉食べたい欲だよ)が最高潮の時のことだった。  ライが希望の待っている事務所に迎えに来て、そのまま外食に向かうという。  「どこに行くの?」と希望が聞いてみたら、  「肉食べるとこ」とライは答えた。  希望は思わず瞳を輝かせる。    お肉だって!?    希望はびっくりした。  こんな最高のタイミングでその提案、なんて素晴らしいんだろう。  さすがハイスペックな俺の彼氏。  ライさんは本当にわかってる。  大好き!  うんうん、と希望は一人で頷いた。  早速、「何から食べようかな!」と心を弾ませる。    キムチとナムルは頼みたいな!  結構好きなんだよねナムル。  ごま油とニンニクの組み合わせ、ほとんどの食べ物おいしくなっちゃうの不思議だね。  お肉はやっぱり牛タンからかな。  ネギいっぱい乗せて食べるのが好きだな。  レモン汁にちょん、とつけて食べるんだ。なんともいえないこりっ、さくっ、って感じの歯ごたえがたまらないんです。  次はカルビかな、ロースかな?  ああ、ホルモンもいっちゃっていいのかな?!  ライさんは冷麺食べるかな?  お酢は入れる派かな?  入れないかな?  ビビンバにするか、白いご飯にするか、クッパにするか、すごい迷う!  もういっそのこと、全部食べちゃう!?    ああ! お肉!  お肉食べたい!  おなか空いた!    希望はうきうきと弾んだ足取りで、期待に胸を膨らませ、車に乗り込んだのだった。      ***      それから数十分後、広い鉄板を前にして、希望は固まっていた。    まず席について、お肉を選ぶところから始まった。  産地と部位と焼き加減を聞かれて、固まっていた希望は勧められるままに選んだ気がする。  もうこの時点ですでに、希望の想像していたものとは違っていた。  白い制服に身を包んだシェフが、希望の選んだ分厚い牛肉を鉄板に乗せると、じゅう、と焼ける音が響く。  それ以外はとても静かな場所だ。  他の客もいたが、個室に通されたので、ライか希望が声を発さないのなら、静かである他ない。  品のいい、控えめなBGMが流れていて、ゆったりとした時と空間を演出している。  明るすぎない間接照明に、シックな雰囲気で統一された店内だった。  個室ももちろん、華美ではない装飾が優雅な雰囲気を崩さず邪魔もせず、贅沢なひとときを約束している。  肉の焼ける音、それをシェフが丁寧に調理する音、それさえも控えめで上品に聞こえてくるから不思議だ。    ……でも、違うんです……。    希望はきゅうっと唇を結んだ。  連れて来られたのは、ステーキ屋のようだった。  目の前の鉄板で焼いてくれるタイプの、とっても高級な方のお店だった。  鉄板の上で切り分けられたお肉は、艶っぽい濃いピンク色の断面を見せつけている。  しっとりとしていて、柔らかそうな色合いは食欲をそそると同時に視覚も刺激する。  味付けは塩胡椒のみとシンプルでお肉そのものの味を楽しめるが、お好みで使えるように岩塩・わさび・トリュフ塩等の調味料も用意されているようだ。 お肉は綺麗に並べられ、すい、と熟練のシェフのしなやかな動作で希望の前に運ばれてくる。  「わあ、おいしそう!」と希望は自然と素直に声を出していた。    でも、違う……。  これじゃないよぉ……!  こっちだと思わなかった。どうしよう。    希望は「肉を食べるとこ」とライに言われて、賑やかで、煙と香ばしい香りでいっぱいの空間、庶民的な焼肉屋さんを想像していた。  しかしここは、店内の装飾を見ても、客層を見ても、接客やシェフの技術、目の前の食材、どれをとっても、どう見ても、一流のものばかりだった。  想像とはまったく異なる場所で、心の準備もできていなくて、希望はただただ萎縮していた。    どうしよう、こんなつもりじゃなかったのに。  なんか超高そう……。  どうしよう……    希望も母が有名ブランドの社長だから、一流のものに慣れていないわけではない。でも、だからこそよくわかる。  ここは特別な日の特別な時間を過ごす為のものだ。  「焼肉食べたーい」とか「お肉食べたーい」とか、そんな男子高校生の気まぐれな食欲を満たすような、軽い気持ちで来るようなところではない。断じてない。  心の準備が必要なところだ。  しかし、よく考えたら、ライが騒がしい方の焼肉屋に行くはずがなかったのだ。    元々静かな方を好むし、そもそもあの存在感では、庶民的な場所やファミリー向けの場所などは場違いだろう。  むしろ、ライがそんなところにいこうものなら、和やかな雰囲気が一瞬にして緊張感に包まれてしまう気がする。  ああ、と希望は心の中で頭を抱えた。    俺とライさんじゃ生きてきた世界が違うから、わかりあえないってこと知ってたのに!  お肉食べたいじゃなくて「お値段そこそこでいっぱい食べる庶民的な焼肉屋さんで焼肉食べたい」って具体的に主張すればよかったね!!  ごめんねライさん!    最高級なお店に連れてきてくれたライを責めることはできず、希望は己を責めた。  希望は焼肉を食べたかった。  ものすっごく、焼肉を食べたかった。  焼肉を食べれると思っていたから、焼肉の胃だったのだ。  目の前のお肉はとてつもなくおいしそうだったが、胃が待っているのは焼肉だった。  焼肉を入れないと収まらないこの気持ち。  そういう時は誰にもあるだろう。  だがしかし、希望はそんな気持ちはぐっと押さえ込んだ。    希望がちらり、とライを見ると、目が合った。  訝しげというわけでもなく、ただただ希望を無表情で見つめている。  希望はいろんな感情を押し隠して、にこりと、いつものように笑った。 「おいしそうですね! いただきます!」  ライは何も答えなかったが、希望が両手を合わせてから箸を手に取るとようやく視線をそらした。  ほっとしながら、希望は一つのお肉を口に運ぶ。ほどよい弾力を歯で感じ、肉の旨味が口内に広がっていった。    ひぃぃおいしいよぉ……!!  お肉やわらかぁい! ずっと噛んでたい!!    希望は美味しさのあまり震えた。  望んでいたものではないが、一流のものは圧倒的に美味しい。  希望の心や気分など関係なく、美味しさという暴力でぶん殴られる。美味しい。    でも、焼肉、食べたかったぁ……。    美味しさで胃を満たされたのに、心は肉欲(焼肉食べたい欲だよ)がくすぶったままになってしまった。      ***
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