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「んー……」  ゴロ、と寝返りを打った先にあたった柔らかな感触に思わず頬を摺り寄せてから、孝ははっとしたように目を覚ました。恐る恐る視線を向けると、思ったとおりの姿が静かな寝息に合わせて身体を緩やかに上下させている。  決して寝るつもりはなかったというのに、いつの間にか寝てしまっていた。今までずっと緊張を強いられてきたせいか、孝当人が思っているよりもずっと己は疲弊しているようだった。ついつい毛足の高い絨毯の上で寝ていたところに、闖入者がいつの間にか現れていたのだ。 「……アウディオン?」  小さく名前を呼ぶと、ピクリと大きく尖った耳が動く。やがて吸い込まれそうな美しい蒼が見えて、孝はようやく安堵したような心地になった。 「コウの様子を見ようと思っただけなのに、つい俺も寝ていたようだ」  大きな欠伸を一つして狼姿のアウディオンがゆったりと首を起こす。たとえ獣の姿をしていても、この大きな城――魔の国、と人間達が呼ぶという広大な国の主に相応しい威厳があった。 「ど、どうして今日はその姿なの? アウディオンって人間と狼、どっちが本当の姿なんだ?」  この城に帰還してからはずっと人の姿をしていた彼が、今は狼の姿になっている。孝が風邪を引かないようにとわざわざ獣の姿を取ってくれたのだろうかと考え、それは自意識過剰だろうと自身を叱咤して孝は『彼』に問いかけた。 「どちらも俺ではあるが、人と接する時は人の姿をするのが当たり前にはなっていたな。人間は、俺が四本足の姿をしていると酷く怯える。俺を初めて見た時に怯えなかった人間は久しぶりだ」  低く落ち着いた声音。執務を終えて来たのだろう、少し疲れたと言ってまたアウディオンが孝のひざの上へと(おとがい)を預けて目を閉じる。どこか甘えたようなその仕草に、孝も思わず微笑んで黒灰のたてがみを指で梳いてやる。  大きな獣なのに、夢だと思い込んでいたせいか少しもアウディオンのことは怖くなかった。彼が魔の国の王……恐らく、孝の世界では想像の世界で魔王と呼ばれるような存在だと知っても、だ。  彼の国にもアウディオンと同じような人と狼の姿を持つ者は他にいないらしい。特別な力を持つ存在はこの世界でも稀有なのだ。彼は彼が死ぬまでずっとあの人王のような者たちに狙われながら、戦っていくのだろうか。そう思うと、じんわりと視界が曇っていく。 「人の姿の方が良ければ、そちらの姿になるが……泣かないでくれ、コウ。お前の住んでいた世界に戻せなくなったのは俺の責でもある」 「違うよ」  ぽたりと自分の頬にあたった温かな雫に気づいたアウディオンが、頭をもたげた。そのまま困ったように孝の顔を覗き込んでくる。あの鉄格子の向こうに閉じ込められていた間、何か契機を見つけては自分がいた世界の話をしていたせいか、アウディオンは自国に戻ってから孝が元の世界に戻れる方法がないかを調べてくれているようだった。通常、異界から呼ばれた者はその者のあるべき場所……元いた世界が見えるものらしい。しかし、力が戻ったアウディオンでも、孝の住んでいた世界を追うことはできなかった。  孝がいくら口で言っても、アウディオンは「もう元の世界に帰れなくてもいい」という孝の言葉を信じてはくれない。その上、惜しみないくらいの優しさをいつまでも与え続けてくれる。 「オレは、アウディオンならどんな姿でもいいんだ。アウディオンが無事でいてくれるなら、いい。……あのさ、オレはこのままアウディオンの近くにいてもいいのかな? アウディオンは王様だし……オレ、見た目もパッとしないし、神子だとか言われたって力なんてないし。でも、夢の中で元の世界に戻れた時――オレ、アウディオンがオレの目に見えるところにいないのが辛かった。オレの見えないところで傷つけられていたら、苦しんでいたらって考えたら……すごく嫌だったんだ」  温かなものが流れていくものをペロリ、と獣の舌が拭い取っていく。どうもくすぐったいその感触に思わず孝が笑うと、アウディオンは前足を孝の両肩にかけたかと思うと一気に体重をかけた。孝はそれで簡単に仰向けに押し倒される。 「……あまり俺を煽るな。コウの笑った顔より愛しく思える顔など俺は知らん。……お前だけは失いたくないと思った。この姿でも触れてくれる者など、もうお前以外にはいない」  アウディオンの深く裂けた口が近づいてくる――と思った瞬間に、柔らかなものが孝の唇へと押し当てられていた。 「コウ。俺の傍にいてくれるか? もう、お前が帰りたいと言っても、帰る方法を見つけられたとしても――帰してやれそうにない」  遠慮がちに軽く触れ合うだけの口づけが終わると、少しだけ顔が離れて人の姿になったアウディオンが真摯な表情で真っ直ぐに見つめてくる。決して逸らされることのない蒼の瞳で。 「……ありがとう、アウディオン。オレはいるよ、ここに」  上体を起こして、いつも与えられるばかりの抱擁を返してやると、少し戸惑ったような反応のあとにしっかりとした腕が細い少年の身体を包み込んできたのだった。
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