16.佳穂さん

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「あ、……あの、違っていたら申し訳ありません。佳穂(かほ)さんは……その……修太郎(しゅうたろう)さんの許婚(いいなずけ)さんかな?って……そう、思ってます」  グラスにかけたままの指先にグッと力を入れてそう言ったら、それに気付いた修太郎さんが私からグラスを取り上げてしまわれる。 「日織さん。――だとしたら、貴女は僕との交際を諦めてしまおう、とか思っておられますか?」  さっきから私の様子に気付いていらした修太郎さんが、ストレートにそう聞いていらして……。  やはりお二人の関係はそうなのかな?と思ったら、私は息が苦しくて(たま)らなくなった。 「お、お二人は……とてもっ、とてもお似合いだな……って思うのです……。佳穂さん、凄く素敵な女性ですし、私、さっきお会いしたばかりですけど……佳穂さんが……大好きになりましたっ」  佳穂さんをひと目みた瞬間から、ずっと思っていたことを吐き出すように言葉にしたら、鼻の奥が痛くなって、目端(めはし)にジワッと涙が浮いてきた。  私のその言葉を聞いて、修太郎さんが息を呑まれる気配がして。  私は彼が何か言葉を(つむ)がれるのが怖くて……うつむいたまま本当の気持ちを吐き出した。 「……でもっ……でも、ごめんなさいなのですっ。それでも私っ、修太郎さんと一緒にいたいな、と思って……しまいました……っ」  言ったと同時にポロリと涙が(こぼ)れ落ちて、スカートに染みを作る。「あ……」と小さくつぶやいたと同時に、私は修太郎さんにグイッと手を引かれて、彼の胸に抱きしめられていた。  掛けていた椅子がグラリと揺れて、木の脚が床からほんの少し浮いた。私のお尻が座面から離れた瞬間、石目調のフロアタイルの上で、倒れかけた椅子がコトコトと(かそ)けき音を立てる。  佳穂さんと健二さんの眼前なのにいけない、と思う気持ちと、嬉しいという思い。それから涙を隠さなければという目論見(もくろみ)が心の中でせめぎあって、私は頭をふんわりと優しく撫でてくださる修太郎さんから離れることが出来なくなった。  そんな私の胸の内を、修太郎さんが(まと)うシプレ系のコロンの微香が満たしていく。
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