12. お勉強、始めました!

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12. お勉強、始めました!

 4人で話をした日から二週間が経った。今日も一日のスケジュールを何とかこなした私は、心底疲れ果てた状態で自室に戻り、深い藍色が美しい子供用の騎士服のまま壊れた人形のようにベッドに倒れこむ。そこにリタが慌てて駆け寄り、私が寝落ちしないように必死で起こしながら湯あみの支度をしてくれる。 「お嬢様、お疲れなのはわかりますが、湯あみを終えるまで眠ってはなりません。身も清めずにベッドに入るなど、淑女のすることではありませんよ、我慢してくださいませ」  くぅ、リタの鬼―! 悪魔―! 日本だったら、もう死ぬほど疲れたらとりあえず寝て、朝シャンすればOKだった私にとって、もう究極にしんどいときにお風呂のためだけに寝られないとか辛い。心の支えの音楽もないし、もうほんと辛い、辛いよ…ううっ、ぐすん。    4人で話をしたあの日、私も含めて4人全員がその後すぐに行動を開始した。まず私はお母様に連れられて、例の歴史の先生のもとを訪れた。すらりと背が高く、背筋の伸びた立ち姿が美しいその先生は、還暦を越えていることを微塵も感じさせない、凛とした雰囲気の持ち主だ。ヴァルナーダと改めて名乗ってくれたその歴史の先生は、私の謝罪を快く受け入れてくれた。しかし、眼光鋭いその眼は全く笑っていなかった。 「おほほほ、成長したお嬢様にこうしてまたお会いできて嬉しゅうございます。女神ハルモニア様のお助けがあったとのことですが、人の助言を素直に受け取るということも一つの才能であり、人生の選択でございます。……ハルモニア様がお助けになるほどの逸材……待っていた甲斐があったというものです。久々に腕が鳴りますねえ、おほほほ」  ヴァルナーダ先生は、私をぐっと値踏みするように見た後、途中からは聞き取れなかった何事かをぶつぶつとつぶやきながら目をギラつかせて笑っていた。私は、この人は絶対に逆らってはいけないタイプの人だと本能的に察した。  私とお母様がヴァルナーダ先生のところから帰ったあとは、お母様とお父様、お爺様で私の先生たちの手配を終え、教育スケジュールを組んでくれたらしい。次の日から、朝6時に起きて、夜9時に寝るまでの間、身体のリハビリをしつつ、負担の少ない座学から授業が始まった。  私の1日はこうだ。朝起きてまずは騎士服に着替える。本当は女の子ならドレスだと思うのだが、この世界のドレスは子ども用でも結構重い。自分で起き上がるのも一苦労な今の私には、着ているだけでかなりの体力を奪われてしまう。  それから、子供用のドレスでは、足先から膝まで広がる呪いの痕が見えてしまう。私は特に気にしていないが、見せたいかと言われたら、別に見せたくない。赤黒い鎖の痕を見るたびに、事情を知っている両親やリタでさえ辛そうな顔をする。他人ならどう思うだろうか。自分はともかく、人に嫌な思いをさせる可能性があるのなら、むしろ見えないように長ズボンを履いていたい。  あとは、我が家はお母様でさえ騎士の家だ。しばらくはドレスではなく、騎士服がいいと試しに言ってみたら、反対されるどころか「ソフィーは騎士に憧れているのね!」とお母様を始め、みんな大喜びだった。あえて否定はしなかった。  そういうわけで、私は子どもの見習い騎士が着る服に似せたものをいくつか用意してもらい、毎日それを着ている。着替えたあとは朝食を摂り、午前はリハビリと文字の勉強、昼食の後、午後からは身体強化の練習と歴史の授業。それが終わったら夕食、お風呂、リハビリをして寝る、といったスケジュールでこの2週間を過ごしている。  まず、リハビリは、この1か月で身体強化無しで歩けるようになることを目標に頑張っている。お母様に習った身体強化を使って、全身を松葉杖で支えるようなイメージで立ったり座ったり、歩いたりの練習をしているが、筋肉を付けるためにリハビリとして動かしているので、痛い。もうこれをやるたびに筋肉や筋がちぎれるんじゃないかと思うくらいだ。そして、痛みで集中力が切れたらその場で糸の切れた操り人形のように崩れて余計痛い思いをする。魔力が切れても同じ現象が起こる。とにかく、魔力を使わなくても日常生活を送れるようにならないと、大変で不便だし、他の魔法も教えてもらえない。2週間で、やっと身体強化無しでも何かにつかまれば立てるようになったところだ。  それから文字の勉強だが、これがかなり難しい。この国の文字は3種類ある。日本語だって3種類だが、日本語と違うのはその3種類の文字が完全に別々に使われるのである。  一番簡単なのは、絵本にも使われていて、一部の平民でも読めるグラーベ文字。例えるなら、ひらがなだ。  次が、商人や職人たちの間で取引等に使われる、グラスゴ文字。グラーベ文字に少し似ているので、カタカナのような感じだろうか。  最後が、王族や貴族や正式な書類等に使うノードレス文字。これはとても難しい。例えるなら、漢字だ。形が複雑だし、似通っているものがたくさんあるので、まず一つ一つ覚えるまでが大変だそうだ。  まずこの2週間はグラーベ文字で書かれた絵本を使いながら、文字の勉強と貴族としての話し方を少しずつ習っている。しかし、この国のひらがなに当たる文字も書けないのに、全文漢字で書くレベルのノードレス文字を使いこなせる日が本当に来るのか、甚だ疑問である。でもこれ使えなきゃ貴族としてダメって言われたもんなあ……うちの脳筋一族はどうやってこれ習得したんだろう……チートとかないのかなあ、はあ。  最後に歴史だ。私はもともと歴史の勉強が好きなので、これはかなりうまくいっている方だと思う。決してヴァルナーダ先生が、いつも恐ろしい笑みを浮かべて私の出来をチェックしているからではない。クラオタに歴史は必須だからだ。そうだ、そうに違いないんだから。  そして疲労困憊だった私は、お風呂に入ったことでちょっとさっぱりして気力を取り戻し、明日に向けて今日勉強したこの国の歴史の簡単な概要を復習している。リタが私を寝かせようとしてくるが、明日までに暗記していないとヴァルナーダ先生に何を言われるかわからない。30分だけ、と頼み込み、植物紙にペンを走らせる。  ミネルヴァ王国は現在建国から416年目を迎えた、現存するこの大陸の国家では最古の国の一つ。現在国王には、正妃、2人の側妃、5人の王子、2人の姫がいる。  ミネルヴァ王国ができる前は、大陸全体が長い戦争と争いを続けていたそうだ。人同士、魔物同士、そして人対魔物で争うこの世界の中でも、特にこの大陸は混迷を極めていたらしい。  その状態を見かねた創造神デュオディアイラスが、調和を司る女神ハルモニアをこの世界の管理者とし、争い合うものたちを止めるために、それぞれを物理的に引き離すことにしたのが約400年前だ。  創造神デュオディアイラスは、種族や部族ごとに住まわせる場所を分け、その間に高い山や深い森、大河や海を新たに創り、それぞれが簡単に行き来できないようにすることで、衝突を避けさせようとした。  ミネルヴァ王国は、そうして人族のために場所を分け与えられた数多くの国々の一つであり、北部が暗黒龍の住む広大な森、東部は海、南部は大河、西部は標高の高い休火山に面しているため、世界の再編以来、一度も他国や他種族との戦火に巻き込まれていない。  また、創造神デュオディアイラスは女神ハルモニアが管理しやすいよう、各地に現在は『祈りの塔』と呼ばれている場所をいくつも作った。祈りの塔は、もともと女神ハルモニアを始め、なにかあった時に神々が下界に降りられる場所として作られたものだそうだ。しかし、我が国の平穏が保たれている現在は、神々が降りてくるようなことはなく、民衆の祈りの場として使われているためその呼び名が定着したらしい。  ミネルヴァ王国の各領地は、街をつくる際に『祈りの塔』を中心として整備していったため、王都や領都はもちろん、どの街に行っても必ず祈りの塔がある。そのためか、この国の民の創造神デュオディアイラスや女神ハルモニアへの信仰心はとても篤い。国民の多くが、毎日、最低でも週に1回は祈りの塔に足を運ぶ。私は目覚めてからまだ行ったことがないが、それは病み上がりだったからであり、例外中の例外なのだ。  私は今日習ったことを思い出しながら、丁寧に紙に書き出した。復習のために書いている文字はグラーベ文字だ。文字の練習にもなる。授業を受けて、寝る前に復習するなんて、なんだか学生みたいだな、と懐かしく思いながら植物紙を片付けたところで、ふと頭の中で何かが引っかかった。 「女神ハルモニアかあ……。ん? なんか大事なこと忘れているような……」  私は、片付けたばかりのごわごわした植物紙を取り出して、もう一度目を通した。 『女神ハルモニア』  この2週間、リハビリとか新しいことを学んだりして、忙しくて忘れてたけど……そもそも私はみんなを説得するために、女神ハルモニアの名を嘘に利用して…… (あーーーーー! しまった! 嘘に利用したのを謝っても無いし、事件のこともハルモニア様に伝えてないじゃん!)  やばい、これめちゃくちゃ大事なことだよ! 神罰とか意外と何もなかったから完全に忘れていたけど、そのせいで事件に間に合わなかったらどうすんだ! ああ、なんだかソフィーに居候転生してから、私もアホ度が上がってる気がするわ……  つい、声に出してしまいそうになるのをぐっと堪える。この部屋にはまだリタがいる。聞かれるわけにはいかない。  ……いや、そんなことより、明日絶対祈りの塔に行こう、そして届くかどうかわからないけど、まずは謝ろう。  私は待っていてくれたリタにお礼を言い、黙ってベッドに入って部屋の灯りを落とした。リタが退室するのを確認し、そっと目を閉じた。  ……明日、神様に一体どうやって謝ればいいのか、頭を悩ませながら。
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