3. 社畜の鋼のメンタル

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3. 社畜の鋼のメンタル

「……ほんとうにいったのだ。ソフィーはもうだいじょうぶなのだ」  うまくいった喜びから、自分の中では最高の笑顔で結衣を見送ったソフィーは、結衣が光に包まれて消えた場所を見つめながら、ほっと息をついた。 「ゆい、だましたみたいでごめんなさいなのだ。ソフィーはソフィアのなにふさわしくないのだ。だからしかたないのだ。」  ソフィーは少しだけ笑顔を陰らせたが、すぐに立ち直った。 「でもきっとゆいはソフィーにおこらないのだ。 ソフィーはヘンストリッジ辺境伯爵令嬢なのだ! ソフィーがおこられるわけがないのだ、えっへん!」  誰もいない空間で胸を張って思う存分ふんぞり返った後、ソフィーは夢の世界に戻っていった。  自分の身体が光ったと思ったら、見えない何かに半ば強引に引っ張られた。途中で意識が飛んでしまったが、ようやくぼんやりと意識が戻ってきた。  私は山川結衣。でもこれからは、ソフィアになる。よし、大丈夫。さっきまでのことはちゃんと覚えている。よかった、今度こそ自分という存在が消えるんじゃないかと思った。短期間に超常現象が起こりすぎて、もうお腹いっぱい。そろそろちょっと落ち着きたいわ。  そんなことを考えているうちに、ぼんやりしていた私の意識は少しずつはっきりしていく。すると、 (うっ……なにこれ、重い……!)  急に自分の『意識が重く』なった。  いや、違う。  身体だ。ソフィーの身体に魂が本当の意味でつながったのだろう。ほんのわずかな期間だが、魂だけで動いていたからだろうか。うまく言い表せないが、身体を意識してから身体も頭もとても重く感じる気がする。ジェットコースターで思いっきりGがかかっているような、身体全体をぐっと押さえつけられるような重さだ。  身体を認識するということは、もう少しで目が覚めるのだろうか。まだ辺りは真っ暗だ。  この重さに慣れれば、新しい自分の手足を動かせるだろうか。試しに手足に意識を向けてみる。うん、感覚はある。意識の中でだけど、動かしてみる。ん? なんか変だな。全然動かないぞ? ソフィーは長いことずっと寝てばかりだったからか? あー、あり得るな。  じゃあ、顔、特に目や口はどうか。手足はしばらく動かさないと、すぐ筋肉が痩せて、自分のものじゃないみたいに動かなくなる。昔足を骨折したときに私も経験済みだ。リハビリに1か月かかって、その痛みもしびれも尋常じゃなかった。でも目や口なら手足ほどの影響はないだろう。  ……あれ、動かないぞ? 意識の中でやってるのがそもそも無謀なのか? 起きたらできるのかな? うーん、ソフィーの身体、思ったよりまずい状況なんじゃないの? むしろどうやって目覚めるんだ、これ?  じ、じゃあ、声は? 口が動かなくても唸るくらいできたら、だれか気づいて起こしてくれるかもしれないし! よ、よし!  ……で、出ない。くっそ、ソフィーめ、まさか身体がこんなになるまで寝てたのか?! 意識はあってもこれじゃ植物人間じゃないか! 日本の病院みたいに点滴とか生命維持装置みたいなのがあればまだしも、身体は動かない、意識はあっても目覚められないって既に詰んでるじゃないか!  せっかく借り物とはいえ、もう一回人生を送るチャンスを得たはずだったのに! これじゃぬか喜びの上、ソフィーと約束した、生命維持だってできないじゃん! 約束してすぐ破るとか、私がポンコツみたいじゃないか!  八方塞がりになった私は、段々沸々と怒りが湧いてくるのを感じた。  思えば、突然車に轢かれて、痛い思いして死んだのを怒る暇も悲しむ暇も無かった。  気が付いたら知らない子どもの身体の生命維持を引き受けていた。これは私も同意したけど、最後の「あとはよろしくー」からは、何だか知らないうちに面倒事を押し付けられた気しかしない。契約のことだって事前に聞いてない。これ日本なら詐欺なんじゃないの? 私怒っていい案件でしょ。  で、極めつけは目の覚めない身体だよ! ほんとどうすんのこれ! ソフィーは一度寝たら3日は起きないって言ってたけど、まさか3日1回しか目覚めるチャンスがないってこと? え、それ病気っていうか、なんかの『呪い』なんじゃないの? 『呪い』  意識の中で、今までのことを思い出しながら怒りをまき散らし、ふと思いつきで『呪い』という言葉を発した瞬間、  まだ私の魂とつながったばかりの身体の足先から、じわじわと鎖のようなものが這い上がってきて、私を締めつけようとする気配を感じた。まるで、気づかれたから、予定より早いけどやっちまうか! とでも言うかのように。  ふーん、とりあえずこの状況の犯人はお前だな。こいつをなんとかしないと、身体(ソフィー)が死ぬのが先か、私が死ぬのが先かってとこか。  呪いよ、喜べ。私は今とても暇で、ものすごく機嫌が悪い。お前なんか、こんな鎖なんか、ちぎって捨ててやるわっ!  私は、身体とつながった自分の意識の足を締め付けながら、蛇のように這い上がろうとする鎖をがっちりと両手でつかんで、思いっきり左右に引っ張った。鎖は思ったより脆く、すぐにちぎれた。しかし、ちぎれた部分からまた這い上がってくる。  普通は呪いに殺されそうな状況とか、パニックになるだろう。しかもここは意識の中。武器なんてない。でも、それが私には好都合。 「伊達にブラック企業で社畜やってないんだよ。私の一番の取り柄は、鋼のメンタルだからなっ!」  私は、ふんっ、と鼻を鳴らしながら、自分にまとわりつく呪いと思しき蠢く鎖をもう一度つかんだ。また引きちぎろうとして、ふと手を止めた。  ……そういえば、この鎖ってどこからきたんだ? ちぎっても生えてくるってことは、生える元があるんじゃないの?なら、いちいちちぎるの非効率的だし、もったいないな。うん、作戦変更。 「ふっふっふっ、いいこと考えたー! 私天才かもしれない!」  真っ暗で何も見えないし、私以外の気配もない。でも、私はわざとらしく大きな声で、目の前の暗闇に向かって、嫌な笑顔を浮かべながら言い放った。つかんだ鎖が、私の手の中で動きを止め、ぴくりと震えた気がした。よし、作戦続行だ。 「誰か知らないけどさ、これって暴力だよねえ。人に暴力振るうってことはさ、当然自分が逆に暴力振るわれてボコボコにされる覚悟があるってことだよね?」  念のため勘違いしないでほしいが、私は基本無害だ。妹の件でいじめなんか大嫌いだし、そもそも他人をこちらから害しようなんて思わない。そんな趣味はない。  でも、やられたらやり返す。これ当然でしょ? 日本にいたらそのままやり返せないから、どうやったら合法的にやり返せるのか、社畜の時に色々調べたなあ。ふふふ。  いや、それは置いといて。今は、私の命その2がかかってるんだよ? そしてここは意識の中。日本でもない。手を出してきたのは相手。だったら遠慮なんかいらないよね?  私の言葉に、手の中の鎖がカタカタと震えだす。呪いさんも、まさかやりかえしてくるやつがいるとは思っていなかったのだろうか。ふんっ、甘いわ。 「震えたって許してあげないから。先に手を出したのはあなた。だったらまず、一発やりかえしたっていいでしょう? 一発で許してあげるかどうかは、わからないけれど」  私は手に持った鎖に、とびきりの笑顔で微笑んだ。真っ暗で鎖も自分も目では見えないけど、もし見えたら、今の私からはどす黒いオーラでも出ていそうである。あれ、これじゃあまるで、私が悪役みたいじゃない? 今は身体は辺境伯令嬢のソフィーだし、なんだかこう、悪役令嬢って感じ? ん? 悪役令嬢って響きがなんか引っかかるような……  ……いや、今はとりあえずこいつをぶん殴ることに集中しよう。うん、そうしよう。  私はちぎらない程度に、思いっきり鎖を引っ張った。私を絞め殺そうとしていた鎖は、震えながら力なくされるがままになっている。  ある程度の長さの鎖を引っ張って手繰り寄せ終わった私は、その鎖両手でしっかりと握り、全身で振りかぶって長い鎖を鞭のようにしならせ、真っ暗な空間を叩きまくった。何かに当たった手ごたえはなかったが、叩くたびに握っていた鎖が細くなっていくのを感じた。何かしらの効果があったのが嬉しくなって、一発どころか、嬉々として叩きに叩きまくってしまった。 「呪いなんだもん。やらなきゃやられちゃうし、仕掛けてきたのは相手。ほんとにボコボコにしちゃったけど、私は悪くないはず。うん」  叩きすぎたのか、砂のように粉々になって手から零れ落ちていく元・呪いの鎖(仮)を見ながら、自己弁護していると、 『呪詛:睡魔と拘束、及び、呪・禁術:死の鎖を呪術師のもとへ返しました。これにより、ソフィア・ヘンストリッジの状態異常は解消されました。また、この呪い返しによる呪術師への呪の致死率は100%です。』  あ、また、あの声だ! ソフィーと別れる前に契約がなんとかとか言ってたやつ! あなたには聞きたいことがいっぱいあるんです、と天の声(仮)に話しかけてみるが、返事はない。こう、アナウンスだけの一方通行ってことなのかな。わからん。  いや、それもだけど今回のは何? 禁術とか物騒なこと言ってたけど、あの叩きまくったやつが死の鎖ってことか。致死率100%とかさ、いやいや、あの呪い私に怯えるくらいあんな弱っちいのに、そんなの無理でしょ。呪術師だって呪い返しくらい想定してるはず。私のせいで人が死んじゃった、とか後味悪くて嫌だからほんと頼むよ。まあ、万が一があっても私はその呪術師に謝らないけどね、自業自得だもん。  さすがに疲れてその場に座り込みながら、先ほど流れてきた天の声(仮)の言葉について考える。そういえば、天の声(仮)は一回目は何て言ってたっけ、と思い出し始めたところで真っ暗だった世界が明るくなり始めた。  なんとなくだけど、もうすぐ目が覚める気がした。  ここで目が覚めたら瞬間から、私は5歳のソフィーになる。そして私の知る人も、知る世界も、もうどこにも無いところで生きていく。そう思うと怖い。目を開けるのが怖い。 「あとはよろしくなのだー!」  ふと、さっきまで鋼のメンタルだったくせに、急に豆腐メンタルになった私の背中を押すようにソフィーの笑顔にあの尊大な声が聞こえた気がした。ちょっと笑ってしまった。 「約束は約束だもんね。それに私の敬愛するモーツァルトは、『旅をしない音楽家は不幸だ』って言ってた。ここから先は異世界の旅だと思えばいいの。ここから出ないことが一番不幸なんだから」  異世界にはどんな音楽や楽器、素敵な曲があるのかな、という期待で気を持ち直し、覚悟を決める。  そして、ゆっくりと目を開いた。  居候転生した私が、記念すべき最初に見たもの。それは、涙や鼻水やらで顔がぐちゃぐちゃになった男女が、私を見て目を見開き、息をのんだところだった。
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