川中さん

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川中さん

(なんで、こんな事になったんだろう…もう、辞めた方がいいのかな…) 私は、課長のパワハラに、心が限界まで来ていたーーー。 時は遡ること10日前。 それは、突然始まった。 「おい、中嶋!お前この計算間違ってるぞ!」 「すみません、すぐ直します。」 「それから、この資料もまとめとけ。」 「…分かりました。」 何てことない指摘と指示。今までにもあったこと。 だけど、何かが違っていた。 朝一に出したはずの書類の指摘を、終業間際にされ、膨大な資料のまとめも指示された私は、明らかな残業に一瞬顔が歪む。 それを見た課長の顔が、見たことも無い程険しくなった。 「何だその顔は!お前はそんな顔しか出来ないのか!ちょっとは鈴原みたいに愛想よくしたらどうなんだ!」 未だかつてない罵声に、私だけじゃなくて、課の全員が押し黙ったのが分かった。 「さっさと取り掛かれ!」 「…はい。」 自席に戻り、書類の束を置いたら、周りの人の気付かうような視線を感じて、泣きそうになった。 (ここで泣いたら、皆に気を使わせてしまう。きっと今日は、課長の虫の居所が悪かっただけ。) 一度深呼吸をしてから顔を上げた私は、すぐに仕事に取り掛かる。 この時、もっとちゃんと周りを見渡していたら、私を見てほくそ笑むある人の姿に、気付けていたのかもしれない。 ********* (これ、いつになったら終わるんだろう…) 周りの人は殆ど帰っていて、残っているのは私と杏子先輩だけだった。 杏子先輩は、私が新人の時の指導係で、今でも大好きな尊敬する先輩。 とても厳しいけど、その分上手くできた時には褒めてくれるし、分からない所は、ちゃんと分かるまで叩き込んでくれる。 今は、他部署と合同の大きな仕事をしていて、毎日とても忙しそうにしているのを見ていた。 時々、こちらを心配そうに見てくるから、大丈夫です、と伝えるように笑うと、先輩も笑って頷いてくれた。 でも、本当は全然大丈夫じゃない。 日付が変わるまでに終わるかすらも怪しい量に、内心焦っていると、靴音が近づいて来て、隣の席でぴたっと止まった。 思わず見上げると、隣の席の川中さんが、コンビニの袋を下げて立っていた。 「中嶋さん、それ手伝うよ。一人じゃ終わらないだろ。」 「え、そんなご迷惑をかけるわけには…いつまでかかるか分からないですし。」 「いつまでかかるか分からないから手伝うんだよ。ほら、貸して。」 「で、でも…」 戸惑う私の手から、半分以上の書類を取った川中さんは、代わりに私の持っていた書類の上におにぎりを一個置いた。 「お腹空いたでしょ?空腹は作業効率下げるから。飲み物も買ってきてるからどうぞ。あ、お菓子もあるぞ。」 「…ありがとうございます。」 「川中~!私の分は無いの?」 少し離れた席に居る杏子先輩が、川中さんに声をかける。 「山本さん残ってると思ってなかったんで。すんません。」 「薄情者~!」 「せ、先輩!私とおにぎり半分こしましょ?」 「あんたは優しすぎ!私もう終わるから、それは蘭子が食べなさい。」 「え、でも…」 「帰ったら、愛する旦那様の手料理が食べられるからいいのよ。」 「だったら最初から聞かなきゃいいのに。」 「川中、なんか言った?」 「イイエ、ナンデモゴザイマセン。」 川中さんと軽口を言い合っていた杏子先輩は、本当にすぐに仕事を終わらせて、颯爽と帰っていった。 残った私と川中さんは、おにぎりを食べながらパソコンと向かい合っている。 「…川中さんって、あんなことも言ったりするんですね。」 「あんなこと?」 「さっき、杏子先輩に。」 「ああ。」 「川中さんって、いつも優しいから、ちょっと驚きました。」 「俺、そんなに誰にでも優しいわけじゃないよ?」 「そうですか?皆さん言ってますよ。川中さんは優しいって。人気者です。」 私の言葉に、何故か川中さんは不服そうな顔をしている。 (そんな表情も初めて見たな。) 川中さんは、私の3つ年上で、社内で1・2を争う人気者。 爽やかな見た目と、適度に付いた筋肉に、人好きのする性格で、先輩後輩・同性異性問わず人気だ。特に女性社員には、笑顔が可愛い、と評判だった。 課でも、彼を慕っている女性社員は多いと思う。 そんな彼の、意外な一面を見たようで、私は少しだけ舞い上がっていた。 川中さんの助けもあり、何とか23時までに終わらせることが出来た私は、ホッと息を吐く。 「川中さん、ありがとうございました。」 「お疲れ。家まで送るよ。車で来たし。」 「え?でも、川中さん電車通勤じゃ…」 「あー、うん、そうなんだけど…今日は偶々。」 いつも、割とはっきりしている彼には珍しい濁し方。 不思議に思いながらも、あまり詮索しない方がいいと思って、特に追及はしなかった。 まだ電車もある時間だから、と断ったけど、どうせ帰る方向が同じだからと、結局川中さんに車で送ってもらった。 ********** 翌日から、課長の私に対する叱責は、日を追うごとに激しくなっていき、事あるごとに、去年入社した鈴原さんと比較された。 「先輩として恥ずかしくないのか!」 「…すみません。」 毎日ちょっとしたミスでも烈火のごとく皆の前で怒鳴られ、明らかに残業しなくてはいけない量の仕事を指示される。 課の皆は、私に同情の目を向けるけれど、巻き込まれまいと静観するだけ。 でも、それでいいと思った。 自分の事で誰かを巻き込むのは、私が一番苦手とすることだから。 「川中さん、本当に大丈夫ですから。毎日私と一緒に残らなくても…川中さんの仕事じゃないんですから、残業せずに帰ってください。」 「君が気にすることじゃない。俺がしたくてしてるだけだから。ほら、貸して。」 川中さんは、あれから毎日、私の残業に付き合ってくれていた。 一旦は終業時刻に出ていくのに、必ずコンビニの袋を下げて1時間後に戻ってくる。 おかげで私は、日をまたぐことなく帰宅出来ていた。 きっと、一人でやっていたら日付をまたいでいるだろう。 でも、そんな時間まで川中さんを付き合わせてしまうことが、すごく心苦しかった。 手伝ってもらえて、気にかけてもらえて嬉しい。 でも同時に、迷惑をかけていることが苦しい。 徐々に徐々に、私の心から聞こえる悲鳴が、大きさを増していた。 ******** 部長の態度が変わって10日目、私は何故か鈴原さんに呼び出されていた。 「すみません中嶋さん。急に呼び出してしまって。」 「ううん。話って何かな?」 「あの…中嶋さんが大変な時に、すごく言い辛いんですけど…川中さんの事で。」 「川中さん?」 「はい。私、実は川中さんと付き合ってるんです。ここ最近、彼、私と全然会う時間作れなくて…中嶋さんの残業手伝ってるんです、よね?」 「あ…」 「課長に仕事を沢山押し付けられて、大変なのは分かってるんですけど…彼を突き放してもらえませんか?彼、優しすぎるから、放っておけないんだと思うんです。」 「…分かった。ごめんね、寂しい思いさせちゃって。」 「よろしくお願いしますね。」 私は、川中さんに甘え過ぎていた。 断っても、気にすることないって、優しく笑って手伝ってくれていたから。 その陰で、川中さんの恋人との時間を奪っていたなんて、思ってもいなかった。 「最低だ、私…」 甘えていただけじゃない。 私は、一緒に過ごす内に、彼の優しさと人柄に惹かれていたんだから。 でも、それももうお終い。 川中さんの優しさに甘えないように、今日は、きちんと彼を、鈴原さんの元へ返そう。 私は、ズキズキと痛む胸を抑えて、固くそう決心した。 今日も大量の書類を課長に渡された私は、きっと戻って来るであろう人を待っていた。 「中嶋さん。手伝うよ。」 いつもと同じように、優しく笑いながら、私の手から書類を取ろうとする彼の手を、強く拒む。 「中嶋さん…?どうしたの?それ、貸して。」 「…川中さん、もういいんです。私のことなんて気にせずに、彼女の所に行ってあげてください。」 「は…?え、何言ってるの。彼女って…」 「川中さんが優しいのは、よく分かってます。だから私のことを見て見ぬ振りが出来ないことも…でも、もう気にしないでください。誰にでも優しすぎるのは、彼女を傷つけてしまいますよ。」 立ったままの川中さんの背中を、扉に向かってグイグイと押す。 「ちょ、中嶋さん!」 「お願いだから、もうこれ以上、私に優しくしないでください…!!」 扉から川中さんを出した私は、急いで内側から鍵をかける。 溢れてきた涙もそのままに、焦ったようにドアを叩く川中さんを見つめる。 「私、もう限界なんです…川中さんが居たから頑張れたけど…でも、もうそれも出来ない。彼女と、鈴原さんと、幸せになってくださいね。」 精一杯の笑顔でそう伝えると、川中さんの顔が、何故か驚愕の表情になった。 私が、川中さんと鈴原さんの仲を知っていることに驚いたんだろうか。 でも、もうどうでもいい。 「っふざけんな!ここ開けろ!」 怒ったようにドアを叩く川中さんを無視して、私は自分の席に戻って耳を塞いだ。 (もう嫌だ。もう何もかもどうでもいい。) 課長からのパワハラと、失恋に、私の心はもうズタズタだった。 (どうしてこんな事になったんだろう…もう、辞めた方がいいのかな…) ふと気づくと、あれから1時間が経っていた。 どうやら、泣き疲れて寝てしまっていたらしい。 デスクの上には、課長から渡された書類の束。 それを見て、ある決心をした私は、それに手を付けることなく、荷物を持って立ち上がった。 扉の前には、もう川中さんは居なくなっていた。 きっと、鈴原さんの所へ帰ったんだろう。 (これで良かったんだよ。私のせいで、誰かに辛い思いをさせるなんてダメだもの。) そう思ってるはずなのに、芽生え始めていた恋心はすぐには消えなくて、失恋の切なさに、また涙が溢れてくる。 色々な思い出が詰まったオフィスを見つめて、涙を拭った私は、しっかりとした足取りで自宅へと戻った。 ********* 翌朝。 私は、鞄の中に辞表を入れて、出社した。 もう、この道を通勤で使うこともないんだな、と思うと、やっぱり悲しくなった。 会社に着き、フロアに入ると、何故だか人だかりが出来ていて、ザワザワしている。 (どうしたんだろう?何かあったのかな?) 「あの、何かあったんですか?」 近くにいた人に声をかけると、その人が私の顔を見てハッとした表情になった。 「おい!中嶋さんが来たぞ!」 その声に、フロアに居た人が全員、こっちを向いた。 (え、な、何?何なの?) 訳が分からずにいると、人だかりをこちらに駆けてくる人がいた。 「蘭子!ちょっとこっちに来なさい!」 「え、杏子先輩?ちょ、ちょっと待ってください!」 杏子先輩に腕を引かれていった先には、課長と鈴原さん、それから見たことのない女性と、川中さんが居た。 私が4人の前に姿を現すと、課長には目を逸らされ、鈴原さんにはキっと睨まれた。 (え、何で?私、昨日川中さんをちゃんと帰したのに。) 何がどういう状況なのか分からずに、混乱していると、見た事のない女性が、私に近づいて来た。 「中嶋蘭子さん、ですね?」 「あ、はい。そうですが…あの…?」 その女性は、課長の奥様だった。 そこからの話に、私は驚くしかなかった。 鈴原さんは、課長と不倫の関係だったんだそうだ。 入社して半年ぐらいから、課長と関係を持つようになり、仕事でも色々と優遇してもらっていたらしい。 私は知らなかったけど、課のほとんどの人が、薄々気付いていたそうだ。 「この度は、うちの主人が本当に申し訳ないことをしました。あなたには、謝っても謝りきれません。この償いは、きちんと主人とそこの泥棒猫にさせるつもりですので。」 「いえ、あの、奥様が謝ることでは…きっと私が何かしたんでしょうし。」 「いいえ。あなたは何もしていません。すべては、そこのあばずれの、醜い嫉妬が起こしたことです。」 奥様、さっきから鈴原さんの呼称が凄いことになってるんだけど。 それにしても。 「嫉妬…?」 年も若くて、可愛い彼女に、嫉妬されるような覚えはない。 私が嫉妬するなら別だが。 不思議に思っていると、杏子先輩が、川中さんと一緒に私の元へ来た。 「蘭子、あなた覚えてる?この前の飲み会帰り、川中君と二人でカフェに行ったこと。」 「覚えてますけど…それが何か?」 そう。あれは、課長が豹変する少し前。 課の飲み会があった時の事だ。 その日は、課長はお家の事情で参加してなかったから、平社員だけで和気藹々とした飲み会だった。 私もいつもより飲み過ぎたから、二次会には行かずに帰ろうとしていた所に、川中さんが声をかけてくれたのだ。 (お酒を飲むと甘いものが食べたくなるけど、一人で行くのは恥ずかしいからって誘われたんだよね。嬉しそうにケーキを食べるのを見て、可愛いなって思ってたっけ。) 思えば、あの時から、私は川中さんに惹かれ始めていたのかもしれない。 「蘭子に声をかける前に、鈴原は川中に声をかけていたのよ。二人で何処かに行きませんか、って。」 「それを、俺は素っ気なく断った。君と二人きりになるのはごめんだ、ってね。」 「え?でも、二人は…」 (付き合ってるんじゃなかったの?) 思わず鈴原さんを見ると、こちらを涙目で睨みつけていて、思わず、といった風に叫んだ。 「だってありえないでしょ!何で私があなたなんかに負けるの?!私と二人きりは嫌だって言った後で、あなたとは二人になるなんて…どう見たって私の方があなたよりも可愛いのに!」 「だから課長に、中嶋さんに苛められてるなんて嘘ついて、彼女をこんなに苦しめたのか?俺と付き合ってるなんて嘘ついたのか?」 「そうよ!あなたみたいな平凡な女が、いい男を捕まえるなんて許せないもの!身の程を知ればいいのよ!!」 「お黙りなさい!!身の程を知るのはあなたよ!さっきから聞いていれば、あなたのそれは駄々をこねる子供と同じ。恥を知りなさい!」 課長の奥様の叱責に、鈴原さんは口を閉じたけど、それでもこちらを睨み続けている。 私は、彼女からはっきりと向けられる敵意に、呆然としていた。 「中嶋さん。お分かりの通り、この件は、あなたには何の落ち度もないんです。あなたを苦しめてしまったこと、本当にごめんなさい。私がもっと早くに主人の浮気に気付いていたら、ここまでにはならなかったかもしれないのに。」 「そんな!私よりも、奥様の方こそ…」 自分の夫が不倫をしていたあげく、部下にパワハラしていたなんて、そっちの方が余程苦しい筈。 なのに、奥様は気丈にも、私に謝罪し、頭を下げてくれた。 それでもう、十分だった。 いつのまにそこに居たのか、部長が中心に出てきて、課長と鈴原さんに社長室へ来るように、と告げた。 奥様は、部長に着いていく前に、もう一度私達に頭を下げてくれた。 「蘭子。ごめんね。」 「何で杏子先輩が謝るんですか?」 「鈴原と課長の不倫の事知ってたのに。課長のパワハラは、鈴原が原因だって何となく分かってたのに、何もしてあげれなかった。」 そう言って涙を浮かべる杏子先輩を見て、私の視界も霞んできてしまう。 「先輩は何も悪くないですっ…もし、先輩が私に巻き込まれて、同じように辛い目にあってたら、私きっと、自分を許せなかったと思うから。」 「蘭子…。」 泣きながら二人で抱き合っていると、ふと、そばに佇んでいる人の気配があった。 「二人で抱き合ってるところ悪いんだけど、山本さん。俺と中嶋さん、今日早退で。」 「え?」 「はいはい。部長には言っといてあげる。そのかわり、ちゃんとバシッと決めなさいよ?逃がした場合は、私、蘭子に紹介する相手用意するからね。」 「ご心配どうも。まあ、そんな相手、用意するだけ無駄になりますけどね。逃がすつもりはないんで。」 「昨日逃がしかけて焦ってたくせに。」 二人の会話が理解できない私は、きっとマヌケな顔を晒していたことだろう。川中さんが、私の顔を見て、フッと一瞬笑った気がした。 ********** 当事者だった私は、あれから、部長や更に上の役職の方に、色々と事情を聴かれた。後は、社長達の判断に任せるのみ。 やっと色々と落ち着いた午後、私は何故か、川中さんに連れられて会社を出ていた。 車に乗せられた私は、助手席から、流れる外の景色を眺める。 運転している川中さんは、ずっと無言だった。 いつも優しい彼にしては珍しく、少し不機嫌そうな顔。 どうしたらいいのか分からず、何を話すべきかも見当が付かない私は、黙っているしかない。 そうしている内に、車は、あるホテルの駐車場に滑り込んだ。 「中嶋さん、降りるよ。」 助手席のドアを開けた川中さんは、私の手を引きフロントへと向かうと、鍵を受け取り、チェックインする。 部屋に着くまでの間、やっぱり川中さんは無言だった。 部屋に入ると、窓からは海が一望できる。 バルコニーも付いていて、そこから景色を眺めるのも良さそうだ。 「中嶋さん、こっち。」 川中さんに手を引かれ、ソファーへと座る。 「あの…どうして、ホテルに…?」 「あまり、聞かれたくない話だから。」 「話?」 何の話だろう。 「鈴原さんの話。どうして、彼女のあんな嘘信じたの?」 それは、鈴原さんが、川中さんと付き合ってるって言ったことだろうか。 「それは…川中さんと鈴原さんなら、お似合いだと思ったし…川中さん、優しいから、私の事放っておけないだけだって…」 「俺、前にも言ったよね。誰にでも優しいわけじゃないって。」 でも、実際川中さんは、基本的に優しい。 だから今朝、あの飲み会の日に、鈴原さんにあんな事言ったと聞いて、少し驚いた。 「もう一つ。何で俺は、鈴原さんと二人きりにはなりたくなかったのに、君とは二人でカフェに行ったんだと思う?」 「あ…」 確かに、少し疑問だった。 男の人なら、誰でも鈴原さんに誘われたら行きそうなのに、素っ気なく断った上に、何で私なんかを誘ったんだろうって。 「どうして…?」 「分からない?」 思わず彼の顔を見上げると、その瞳にドキッとした。 そこには、嘗て私が恋人に向けられていたような、甘さが含まれていたから。 「あ、の…」 「やっと気づいた…?俺が、君を好きだってこと。」 彼の言葉に、一気に顔が熱くなる。 「俺はね、本当に誰にでも優しいわけじゃないんだよ。好きでもない女性に好意を向けられたら、素っ気なくするし、愛してる人を傷つけられたら、手段を選ばない。そういう男だよ。」 「川中さ…」 「それに、卑怯なんだ。君が苦しんでいるのに、残業を手伝いながら、君と二人の時間を嬉しいと思ってた。最低だろ?」 「そんなこと、ないっ…私は、本当に川中さんに助けられてた…!川中さんが居なかったら、私、もっと早くにダメになってましたっ…」 ボロボロと零れる涙を、彼が親指で拭ってくれる。 「昨日、君が俺を追い出して鍵をかけた時、心底後悔した。それで、計画を実行しようって決心したんだ。」 「計画?」 「俺はね、鈴原桃子が課長と不倫していたのも知っていたし、今回の件が、あの飲み会の俺の態度がきっかけだって薄々気付いてた。だから、二人の不倫の証拠を、山本さんと一緒に集めてたんだ。それを昨日、あの後、課長の奥さんに全て見せたんだ。」 「もしかして、それで…?」 「昨日の君の様子じゃ、今日あたり辞表を出してもおかしくない雰囲気だったし、何よりも、鈴原桃子のついた嘘が許せなかったから、なりふりかまってられなくなった。」 杏子先輩と一緒に、そんなことをしていたなんて、全然知らなかった。 「もっと早く、君を助けることも出来たのに、君と二人きりの残業が嬉しくて、君を限界まで傷つけた。本当なら、そんな俺に、君にこんなこと言う資格はないんだけど…それでも、君が好きなんだ。君が許してくれるなら、何でもするから…俺の事、好きになってよ…」 もう、素直になってもいい…? 諦めなくちゃって、忘れなくちゃって、思わなくてもいい…? だって私… 「もう、好きです…」 「…本当に?」 「甘い物を嬉しそうに食べる川中さんも、少し口の悪い川中さんも、全部好き…んぅっ…」 腕を引かれて、彼の唇が私の言葉を奪うように口づける。 「はっ…ぁ…」 「っ…蘭子っ…」 激しい口づけに、思わず彼の胸に縋りつけば、名前を呼ぶ切ない声。 その声に、下腹部が疼いた。 「蘭子…いい?」 乞うような目で私を見る彼に、小さく頷く。 それを見て、彼は私を抱き上げると、ベッドへと運んだ。 ベッドへ行く途中で中途半端に脱がされた服が、私達の興奮を表わしているようで、きっと終わった後に、ものすごく恥ずかしくなるに違いない。 でも今は、そんなことも気にすることが出来なかった。 ブラをずらされると、さほど大きくはない膨らみが、ふるん、っと彼の目の前に現れる。 「綺麗だ…もうここ、起ってる…」 先端はすでに硬くなり、彼の指でクリクリと捏ねられると、甘い刺激が体に広がった。 「んっ…あ…川、中さ…あっ…」 「蘭子、名前で呼んで。」 「あっ…修哉さん…」 名前を呼ぶと、嬉しそうに笑った彼に、先端を口に含まれ、舐られる。 もう片方を指で弄られると、それだけで下が濡れてくるのが分かった。 吸ったり舐めたり甘噛みしたり… 楽しそうにそこを弄ぶ修哉さんの頭を抱き込む。 「んっ…あっあ…」 「気持ちいい?」 小さく頷けば、嬉しそうに笑ってくれる。 「可愛い。好きだよ」 そう言って、再び落とされる彼の唇は、とても優しくて。 顔中にキスの雨を降らせた後、首筋に吸い付いた。 「俺の恋人っていう印」 愛おし気にそこを撫でられて、胸がぎゅうっとなる。 「いつ、から…?私の事…」 「ん?そうだな…いつからだろう。気が付いたら、いつも蘭子の事目で追ってた。」 大切そうに頬を撫でられて、額と額をくっつけられると、目の前には優しく微笑む彼の顔。 「気使い屋さんで、優しくて…自分の事になると背負いこんでしまう蘭子を見てて、俺に甘えてくれたらって、頼ってくれたらいいのにって、いつも思ってた。」 それは、杏子先輩にも言われていた事。もっと他の人を頼りなさいって。 「これからは、俺の事だけ頼って、甘えて?間違っても、他の男を頼るなよ。蘭子は自分では気づいてないかもしれないけど、モテるんだから。」 「え…!?」 驚愕の事実に目を見開く。 いや、私モテる要素ないと思うんだけど。 修哉さんに好かれてることにさえ、驚きで一杯なのに。 「自覚がないのが本当怖い。俺がどれだけ牽制してきたか。いつか蘭子を掻っ攫われるかもって、冷や冷やしてた。」 「そう、なんだ…知らなかった…」 「他の奴のことなんて気付かなくていいけど、俺の気持ちには早く気付いてほしかった。」 「だって…修哉さんモテるし、そんな人に好かれてるなんて思うわけない…」 「じゃあ、これからは自覚して。俺に愛されてるって。」 小さく頷くと、再び落とされた口づけは、最初から深い物で。 お互いの熱が、急激に上がったのが分かった。 修哉さんの手が、徐々に下へと向かっていく。 手が這わされる部分から、甘い痺れを感じて、下腹部に熱が溜まっていった。 焦らすように這う手が、既に蜜を溢れさせている場所へと辿り着く。 「すごく濡れてる…蘭子感じやすいんだな。」 「やっ…言わないで…」 「恥ずかしい?俺は嬉しいよ。こんなにされたら、もっともっとしてやりたくなる。」 彼は私の下着を素早く脱がせた後、あろうことか、そこに顔を近づけて、突起を舐め始める。 「ああっ!やっ…汚い…からっ…やめっ…」 「汚くない。いいから感じてて。」 「やっ…ああっ…あっ…んん~っ」 突起を舐めながら、時々蜜を吸い上げる音がして、私の感度は高まっていく。 恥ずかしくて、止めてほしくて、でも気持ちいい… 混乱する頭の中で、快感だけが溜まっていく。 そして、突起を甘噛みされた瞬間、それが弾けた。 「っああああ!」 全身で荒い呼吸をする私の目に、いつのまに服を脱いだのか、修哉さんの猛った雄が映る。 「蘭子…いい?もう、入りたい。」 「ん…私も、修哉さんのが、欲しいです…」 私の返事に、修哉さんは猛りきったものを、一気に奥まで突き入れた。 「あああっ…!」 「はっ…蘭子が悪いんだぞ…最初は優しくって思ってたのに、煽るようなこと言うからっ」 「んあっ…あっあっ…やっ…激しっ…ああっ」 「っく…はっ…蘭子…蘭子…」 最初から奥をガツガツと突かれ、激しく揺さぶられて、私は声を上げる事しか出来ない。 「やっ…だめっ…修哉さ…もうっ…!」 「ああ、俺も…くっ…蘭子、愛してる…一緒にっ…はっ…出るっ」 「あああああ!」 幕越しに、温かい熱を感じた私は、色々あった疲れもあり、そのまま意識を手離した。 この時の私は、知る由もなかった。 翌日には、何故か社内公認の恋人になっていて、課の皆から生温かい目で見守られることも、彼から怒涛の求婚を受け、逃げられないように囲いこまれることも。
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