湯につかる

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 どこからどこまでが一で、どこからが二なのかよく判らなかったのだが、僕はとにかく抜き手を切ってやみくもに奥に進んでいった。  前に進むのに夢中だったが、ふと目をやる岩かげごとに、ほんのりと光る人影をいくつか見かけた。影はどれも静かにちんまりと湯に浸っていた。  三ノ湧きに入ったあたりで僕はようやく気づいた。  岩の大きな出っ張りと窪みとで、淵のようになっているのがどうやら、ひとつずつの区切りのようだった。  一ノ湧きでは、肌にやんわりと当たる、はじめは湯なのか湯気なのかがよく判らない風呂であったのに、二ノ湧きではそれがもう少し、ぴりりと肌を刺す感じだった。  三ノ湧きは急に湯が熱くなって、僕はケンケン跳びみたいに湯を渡っていった。  四ノ湧きでまた、ほっとひと息つく。ここはかなり温度が低く、もしかしたら沢の水が入り込んでいるのでは? とまで思えるぬるさだった。  どこかしら、湯には花の香りが含まれているように、湯気がかすかに甘かった。  どの湯にもだいたいひとりくらいは、先客がいた。  それぞれの眼らしき緑色の光に向かい、僕は軽く会釈しながら通り抜けていった。  甘い湯気のいっとう奥、大きく張り出した岩と岩との、今までで一番せまい合間をすり抜け、ようやく、元ノ湧きらしき処に入り込んだ。  入り込んだ、というのはあながち嘘ではない。湯気を透かしてみても、そこがこの温泉のいっとう奥まった場所であるのは、一目瞭然だった。  湯は熱すぎもせず温すぎもせず、『ぬくい』ということばがしっくり来そうだ。あたりは今まで以上に白く(もや)っているが、五ノ湧きまで徐々に増していた岩場の空気の重さが、急にふっと軽くなった気がした。  ごつごつした岩肌のいくつもある窪みの、もっとも奥に近い処に、ぼやりと淡い緑色がふたつ、光っていた。  僕はゆっくりと近づいていって、「どうも」とお辞儀をすると少し離して脇についた。  ここまで来て、やっと気づいたのだ。  案内の男が妙に小さかったこと、  猫を探していると知っていて、ここに招いたこと、  脱衣所のカゴが自分のを除いてどれも小さかったこと、  そして。  元ノ湧きの、目病みの湯にいるのが誰かってことも。
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