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6
ああ。
この滑らかな手触り。
ビロードのよう。
あたしが、優しく背中を撫でると、可愛らしく喉を鳴らして、柔らかな体を優雅にくねらす。
本当に。
猫って最高!
その日の放課後、あたしは、行きつけの猫カフェにいた。
猫カフェ『利兵衛』は、あたしの憩いの場。
ここに来ると、どんな辛いことも苦しいことも忘れられる。
しかも。
このお店は、この市内では、唯一の黒猫カフェなんだ。
あの子も、この子も、みんな、黒猫。
まじに、可愛すぎる。
黒猫って、誤解されやすいけど、賢くて、大人しい子が多いんだよ。
当社比だけどね。
特に、このお店のNo.1、利兵衛ちゃんは、極上の黒猫なの。
このもふもふ感が、堪らない。
あたしは、しばしの間、全てを忘れてもふもふに身を委ねる。
だけど。
気付いたら、溜息がでちゃう。
利兵衛ちゃんが、その澄んだ瞳であたしを、じっと、見上げて問いかけた。
「どうしたの、マイちゃん」
突然、声がして、あたしは、驚いて振り返った。
そこには、黒髪をオールバックにした少し強もてのスーツ姿の眼鏡をかけたお兄さんがいた。
「マコトさん」
あたしは、にっこり笑った。
つもりだったけど、だめ。
久しぶりに、マコトさんの顔を見て気がゆるんだのかな。
急に、涙が出ちゃった。
慌てて隠したんだけど、マコトさん、しっかり見てたみたい。
「マイちゃん、どうしたの?」
「大丈夫」
あたしは、涙を拭きながら、笑おうとしたけど、無理だった。
マコトさんは、突然、泣き出したあたしに、動揺が隠せなかった。
「大丈夫?マイちゃん」
おろおろしているマコトさん。
だめだ。
あたしは、我慢できずに、号泣しちゃった。
「という訳なんです」
ひとしきり泣いて、すっきりしたあたしは、カフェの隅っこのテーブルでマコトさんにこれまでにあったことを話してから、ミルクティーを一口飲んで溜息をついた。
マコトさんは、黙って、あたしの話を聞いてくれ、頷いた。
「そうなんだ。そんなことがあって、それで、マイちゃんは、悩んでるんだね」
あたしは、うつ向いて頷いた。
マコトさんは、少し、難しい顔をして考え込んでた。
考えている姿もかっこいい。
あたしは、不謹慎にも、そんなこと考えていた。
マコトさんは、あたしの数少ない異性の知り合い。
27歳、独身。
会うときは、いつもスーツ姿が決まってるけど、たぶん、普通のサラリーマンじゃない感じ。
少し、恐い顔だけど、優しくて、素敵なお兄さんなの。
いつも、落ち着いた雰囲気で、やっぱり、年上の大人の男の人って違うなぁって思ってしまう。
あ、ちょっと待って!
放課後に、年上のサラリーマン風の男の人とたまに会ってるっていっても、援交とかじゃないんだよ。
本当に、あたしと、マコトさんは、ただのお友だち。
時々、この猫カフェで会ううちに、どちらともなくお話するようになってた。
マコトさん、ちょっと怖そうな外見にもかかわらず、すごい猫好きなんだ。
でも、猫には、あまり好かれてないみたいで、いつも、寂しそう。
だけど、本当に、マコトさんは、優しくて、いい人なんだ。
そして、無類の黒猫好き。
「目の前を横切っただけで、不吉とか言われてかわいそう」
だって。
ね、優しい人でしょ。
いつも、あたしの他愛もない話を嫌な顔一つせずに聞いてくれるから、いろいろ、相談とかもしちゃうんだ。
今日も、佳人のこと、相談にのってくれた。
といっても、あの、キスしたことは、ナイショだけど。
姉弟で、キスって、まじに、ひかれちゃう。
でも、今日は、なんだか、様子が変。
あたしが佳人の話をし始めると、段々、マコトさんの表情が強ばってきた。
いつも、強もてなんだけど、少し、怖くなるぐらい。
何だか、機嫌も悪くなってきた?
やっぱり、こんなこと、相談したりするから、マコトさん、怒っちゃったのかな。
「ごめんなさい。こんな話をマコトさんにしちゃって」
あたしが言うと、マコトさんが、にっこり笑って言った。
「いいんだよ。マイちゃん」
あ、マイちゃんっていうのは、この猫カフェでのあたしの呼び名なの。
あたしたち、この猫カフェの中でしか、お互いを知らない。
本名も、何もかも。
まあ、あたしは、制服だから、学生だってわかってるだろうけどね。
だけど、マコトさんは、顔は怖いけど、いつもジェントルマンだし、聞き上手だから、ついつい、いろんなこと話しちゃうんだ。
マコトさんは、どんな話でも優しく笑って、素敵なアドバイスをくれる。
本当に、いい人。
そんなマコトさんが、今日は、険しい表情で言った。
「マイちゃんは、その弟さんと離れた方がいい」
「え?」
「すまない。でも、その弟さんが、マイちゃんに悪い影響を与えるかもしれないと、私は、心配しているんだよ。出来れば、マイちゃんは、すぐに、その弟さんに出ていってもらうか、マイちゃんが別の場所に移るかした方がいい」
「ええっ?」
あたしは、すごく驚いていた。
「そんな。少し、おおげさだよ、マコトさん。無断外泊っていっても、実際には、何もなかったかもしれないし」
「いや、マイちゃん」
マコトさんが、きっぱりと言った。
「男の勘だが、間違いなく、弟さんは、やってるよ」
「や、やってる?」
「いや、その」
マコトさんは、言葉を濁した。
「とにかく、その弟さんには、あまり、マイちゃんの側にいてほしくないな、私は」
マコトさんが、あたしに真剣な顔をして言った。
「とりあえず、私が、何処か部屋を用意するから、マイちゃんは、しばらく、そこで暮らした方がいい」
はい?
あたしは、耳を疑った。
弟の不良化、および、不純異性交遊疑惑の話から、なんで、こうなっちゃうの?
まあ、話してないけど、キスしちゃったけど、それは、アメリカ帰りだから、かもだし。
そんな、心配しなくても。
あたしは、言った。
「マコトさん、大丈夫だよ。何も、実害は、ないんだから」
まあ、ほとんど、ね。
あたしの心の声が聞こえた訳ではないだろうけど、マコトさんが言った。
「何かあってからじゃ、遅いんだ。私は、その、マイちゃんがそんな奴に、少しでも、汚されたらと思うと」
「マコトさん?」
汚されたら、って。
ひいちゃうぐらい驚いているあたしの手をマコトさんが握り締めた。
「本当は、マイちゃんが学校を卒業するまで、待ってるつもりだったんだが、もう、そんな悠長なこと言っていられない。マイちゃん」
「はい?」
「私と結婚を前提としたお付き合いをしてもらえないだろうか」
え?
ええっ?
あたしは、しばらく、フリーズした。
なんですって?
マコトさんとあたしが、結婚を前提に?
お、お付き合い?
確かに。
あたしは、ちょっとマコトさんのこと、いいなって思ってたかも。
ていうか、好き、なのかも。
でも。
だって。
あたしたち、お互いの本名も、知らないんだよ。
ショックで、口もきけないあたしに、マコトさんは、言った。
「返事は、今すぐでなくてもいいから、考えてみてほしい」
マコトさんの真剣な眼差しに、あたしが、思わず頷くと、マコトさんは、席を立った。
「じゃあ、また、ここで会おう」
マコトさんは、それまでに連絡したくなった時のためにって、名刺をくれた。
なんだか、わからないけど、すごく仰々しいことが書かれた名刺。
取締役社長?
何、これ?
「あの」
あたしが顔をあげると、すでに、マコトさんは、店を出るところだった。
イロハ フォールディングス?
それって、あたしも、知ってる会社、だ。
マコトさんは、手を振って去っていった。
もしかして。
マコトさんって、すごい人だったの?
というか。
あたしたち、マジで援交じゃないよね?
じゃなくて。
あたし、もしかして、プロポーズされちゃったの?
やだ、どうしよう!
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