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――拝啓 麗春の候、益々ご清栄のことと存じます。先般、定年退職なさったと伺い、お手紙申し上げました。――
恭しく始まった紗英子の手紙には、簡単な近況と、若い頃に仕事を通して俺から学んだこと、それらがその後の人生にどう活きたかと、感謝の言葉が丁寧に綴られていた。
あの頃の関係性になど全く触れておらず、どこからどう読んでもただの元部下からの手紙にしか見えない。これが紗英子ではなく男からの手紙でも違和感がないほどだ。
俺は心から安堵して、堂々と妻のほうを振り返った。
「ほら、昔の部下からだ。お前が考えていることなど全くの杞憂だ」
妻に紗英子の手紙を渡す。
妻はそれに黙って目を通す。
そして――。
「何よ、この最後の言葉!」
そう言って、俺に手紙を突き返した。
「最後の言葉?」
俺はもう一度最後を読み返す。
――お体を大切になさって、どうぞ奥さまとお幸せに。 かしこ――
「何がおかしい?」
かしこ、だと不自然なのか? と、手紙のルールをよく知らない俺は首を傾げる。
「私はこの方と面識が無いのよ? 個人的なお礼の手紙に、どうしてわざわざ“奥さまとお幸せに”なんて書く必要があるのよ!?」
妻は声を荒げた。
「それは、残りの人生、夫婦円満にという……」
「だから、どうしてわざわざそんな言葉が出てくるのよ!? まるであなたを私に返すかのような言い方だわ!」
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