序章

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序章

 男は、刺された胸を押さえてうずくまった。  見慣れた石畳に広がる真っ赤な鮮血を信じられない目で見つめたあと、目の前に立つ「陽天使」を見上げた。  純白の長髪を持つ彼は、ひどく乾いた目で自分を見下ろしている。 「私を裏切るのか、陽天使」 「あなたを愛しています。けれど、僕は生きたい。大切な人たちと、生きていきたいんです」 「そのために私を殺すと? 愚かな。神である私を殺すなど、大罪もいいところだ!」 「けれど、もうあなたは終わる」  陽天使はこの世のものとは思えないほどの美貌に強張った笑みを乗せ、純白の髪を揺らして顔を近づけてきた。 「もう、あなたに味方はいない。閉鎖的な空間で暮らしてきたのが、仇になりましたね」  男はさっと辺りに視線をすべらせた。自分の世話役であった姫巫女が血を流して倒れているのが見えて――諦めたように、歯を食いしばった。 (ここまでか)  どうやら自分は、ここで殺されるらしい。 「あなたはとても、可哀そうな人です。せめて来世では、大切な人が出来ればいいですね」  はっ、と顔をあげた。刹那、ごぼりと口から血を吐いて口元を右手で押さえる。胃をせりあがってくる鉄の味に吐き気を覚えながら、それでも陽天使を睨みつけることは忘れなかった。 (こいつは、私を哀れんでいる。ただの陽天使でありながら、神である私を!)  それが男の矜持に傷をつけた。 (……いつか、復讐してやる)  最後の力で、現世の記憶を魂に刻みつけよう。  生まれかわっても――来世でも、今生のことを忘れないように。そして、生まれ変わった自分は、陽天使に復讐するのだ。 「あっ、あははははははっ、陽天使、お前をいつか滅ぼしてやる! あははははははっ、がはっ、あぁあああああっ、あ」  壊れたように笑う男に、陽天使は手をかざした。殺されようとしているのは男のほうだというのに、陽天使は苦痛に耐えるように顔を歪めて歯を噛みしめる。 「……さようなら」  それが、男が聞いた最後の言葉だった。
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