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第一章
さわやかな風が吹き抜けるブルディーラ神国の神王殿で、ジルヴェスターは一人掛けの椅子に座って本を読んでいた。
太古の森をそのままにした新緑が美しい春の木々からは、チチチと小鳥のさえずりが聞こえてくる。
背中に垂らした地面につくほどの長い白髪を一つに結んだ彼は、ぺらりとページをめくって組んでいた長い足を組み替えた。
「神下」
呼びかけに顔をあげれば、よく見知った淡い金髪の青年がこちらに向かって歩いてくる。
「私をお呼びですか」
すぐ目の前で屈んで頭をさげた青年に、ジルヴェスターは柔和に微笑んでみせた。
「ああ、来てくれてありがとう。待ってたんだ」
「礼などと、恐れ多いことです。神下の命令とあらば、どこへでも参上いたします」
「それは心強いね。きみの忠誠心には感服するよ――僕に仕えて、何年だったかな?」
淡い金髪を揺らしながら、すっと青年が顔をあげる。
「はい。今年で十五年になります」
「五歳のときに引き取ったから、もう二十歳か。……あの子も、二十歳のはずなんだけど」
「……神下?」
「なんでもないよ、こっちの話」
ジルヴェスターは読んでいた本を閉じ、組んでいた足を戻して、すっと身を屈める。
そしてぐっと声を落とし、誰にも聞こえないだろう内緒話で話を続けた。
「実は、ある娘を探してほしいんだ――」
*
「あふー」
「……なにそれ」
「暑いからつい。息を吸い込んだらへんな声が出た」
エファは額の汗を簡素な灰色のドレスの袖でぬぐい、うーんと大きく伸びをする。
ぎらぎらと痛いほどの陽光を全身に受けて、土にまみれた両手を簡単にはらった。
「まぁ、暑いのは暑いけど。っていうかむしろ、信じらんないくらい暑いわ」
「マリア、暑い暑い連呼しないでよ。余計に暑くなるじゃん」
「それが夏ってもんでしょー」
ドレスが汚れるのも構わず乾いた土のうえに座り込んだマリアは、そこが木陰になっているのをいいことに、頭に被っていた日よけの布をはずした。汗の浮いた額に張り付く赤毛を手でさっと払い、後ろで一つに結んでいた髪をほどく。
「あ、休憩するの?」
「髪を結い直すだけ。あー、汗でベタベタよ。早く身体を洗いたいわ」
エファは苦笑して、両手で鍬を持った。
少しでも早く仕事を終わらせたくて、勢いよく地面に鍬を突き立てては土を掘り返していく。
畑仕事は、ここドンケル孤児院では大切な仕事だった。
国や貴族らからの寄付金があるため、それだけでもここに預けられている孤児たちは生活していけるが、あくまでそれは「生きていける」程度の基準でしかない。
だから、エファたち孤児院で暮らす孤児は、日中は個々に仕事を持ち、少しでも生活が楽になるように働きまわっているのだ。
マリアが「よいしょ」と呟きながら立ち上がり、布を被りなおし、鍬を持つ。同じ歳とは思えない豊満な胸部を揺らしながら畑仕事に勤しむマリアを、エファは少し複雑な思いで眺めた。
つと、自分の胸に視線を向ける。
(……なくは、ないんだけど)
あえて言うなら、普通くらいだろうか。別に彼氏や夫がいるわけではないので胸の大きさにこだわってはいないが、このままでは一生独身かもしれない。胸で決まるわけではないけれど――と、思いたい。
「どうしたの?」
「え、いや、その。……マリアと一緒だと、仕事がはかどるなぁって」
「そりゃ、一人より二人のほうが効率いいに決まってるじゃないの」
呆れたように言われて、エファは苦笑した。
「最近、外での仕事が多かったからさ。マリアとこうして二人きりになるのさえ、久しぶりだよね」
「そういえばそうね」
「そういえば、って。マリア、ちょっと冷たい」
「私たちってここに捨てられたときから一緒じゃない? だから、なんていうか、ずっと一緒にいるって思いこんでるっていうか。離れてても、近くにいるように思えちゃうのよ」
マリアもまた苦笑して、そんなことを告げた。
エファとマリアは、同じ日に同じ場所で拾われた。拾ってくれたのはドンケル孤児院院長であり、エファたちの母親変わりのひとだ。
ここにきてから、十五年が経つ。
赤子だったエファも、十五歳という妙齢の女性に成長した――多少発達不足ではあるけれど。
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