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二人でえっさほいさと土を掘り返していると、ふいに、院長の声がした。
遠くで聞こえた声に、エファは訝りながら顔をあげる。その間も、鍬を持つ手は動かしたままだ。
「今、院長の声しなかった?」
「したっ、気がするっ」
「だよね。よい、しょっ、と」
どんどん耕かされていく地面に、少しの面白みと完成間際の期待に胸が弾んできたころ。
孤児院の裏口がキィと音をたてて開き、丸眼鏡をかけた痩せ型の年配の女性――院長が顔をのぞかせた。
「ここにいたのね、エファ。あなたを探していたのよ」
「えっ、あたしをですか。あ、はい。もうちょっとで終わるのでっ、待っててっ、もらえませんか」
「それが急ぎの用なのよ。お客様がいらしていてね。エファ、あなたに」
手を止めて、院長を凝視した。
「……あたしにお客様? なにかの間違いじゃ」
エファを訪ねてくる客人など、覚えがない。先週まで働きに出ていた職場の雇い主だろうか。けれど給料はもらったし、雇用の期間も過ぎていてエファには用がないはずだ。
では一体誰だろう。街で暮らす友達の誰かか。いや、だとすれば、院長を通して「客人」などと大層な訪問の仕方をするはずがない。
考えれば考えるほど思い浮かぶ相手がいなくて、口を尖らせる。
「相手は貴族様みたいよ。なにか身に覚えはない?」
ため息と一緒に吐き出された院長の言葉に、エファはビシリと身を固まらせた。暑さのためではない汗を一気に全身から噴き出したエファは、真っ青な顔で鍬を取り落す。
「……覚えがあるのね」
「どうしよう! あたし、罰せられるのかな?」
「あんた、何したのよ」
呆れとともに呟かれた声は、マリアのものだ。
エファはぱくぱくと口を開いて閉じてを繰り返し、やがて諦めたように息を吐きだした。
「昨日街に出たとき、いきなり抱き着かれたんだよ。男のひとに」
「ヘンタイじゃない」
「それでびっくりして辞めてくださいって叫んだんだけど離れてくれなくて、思いっきり頬をひっぱたいたんだ」
「それで正解よ!」
マリアがぐっと拳を握りしめる。院長も一緒になって「正しいわ!」と両手を打った。
同意されたことに嬉しくて少し微笑むものの、エファはすぐに俯いて虚ろな目で足元を見つめた。
「……でも、改めてその人をみると、すごく身綺麗な格好だったんだよね」
途端に、マリアが顔を引きつらせた。院長も軽く目を見張り、口元に手を置いている。
「あー、つまりそれが貴族だったのね」
「うん。どうしようマリア、あたし死刑になっちゃう?」
「死刑まではいかないでしょ。でも、わざわざあんたの居場所を探して訪ねてくるくらいだから、恨みは相当なものかもね」
「……だよね」
公衆の面前で頬をぶたれたなど、醜聞もいいところだ。気位の高い貴族にとって、恥をかかされることは耐えられない侮辱なのだろう。
エファは落とした鍬を畑の横に置きなおすと、汚れた両手をこすり合わせながら歩き出す。
「マリア、ここお願い。あたし行ってくる」
「うん、頑張ってね。いろいろ諦めちゃ駄目よ。あんたが正しいんだからっ」
エファは曖昧に頷き、簡単に身体を清めるために自室に向かった。
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