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「あの、あたしたち、昨日あったばかりですよね」
「そうですね」
何かの間違いであれ、という思いで呟いた言葉は、あっさり頷かれる。
「……だったら、どうしていきなり結婚なんておっしゃるんですか」
「性急すぎる自覚はあります。しかし、一目惚れなのですから仕方がないでしょう。お互いのことは、これから知っていけばいいではありませんか」
(一目惚れ、って)
そんなはずはない、という確信があった。なぜなら、エファは昨日、レオナルトを叩いてしかいない。ちゃんとした会話を交わしたのは今日が初めてだし、顔だって昨日はお互いまともに見ていないだろう。
何より、貴族でこれだけ外見が良ければ、相手は選び放題だ。街娘で孤児のエファを伴侶に選ぶ理由が、まったくもって見当たらない。
(……すっごいきな臭いんだけど、この求婚)
警戒のこもった視線を隠さずに向けると、それに気づいたレオナルトが美しすぎる笑みを浮かべた。
「結婚していただけるのならば、この孤児院への寄付金は惜しみません」
「っ!」
なんという爆弾!
援助をもらう貴族を探すだけでも大変だというのに、惜しみないときた!
レオナルトがどれほど偉い貴族で資産があるのかはわからないが、惜しまないというからには、それなりの財があるのだろう。
だが、だからといってエファが結婚する必要などない。こんな持参金代わりのような寄付をもらって、院長が喜ぶはずもないのだ。
「……エファ、あなたもいい歳だし、よい縁談じゃないかしら」
「院長先生!?」
予想に反した院長の言葉に、エファは勢いよく振り返る。院長はこれまでにないほどに満面の笑みだった。
「だってエファ、あなたもう結婚してもおかしくない歳でしょう? 相手がこんな地位も財産もあっておまけに外見もいい方なら、いいことづくしできっと幸せになれるわ」
「な、な、なにを言ってるんですかっ!」
「実はね、少し心配してたの。あなたもマリアもいい歳なのに、全然結婚する気がないんですもの。とくにあなたはマリアと違って、見た目も口調も少年のようだし。……それに、あなたが結婚すればマリアだってきっと、そういうことに目を向けてくれるわ」
「マリアのために結婚しろってことですか!」
「そこまで言ってないわよ。でも、今度の結婚話、とてもいいお話だとわたくしは思うの」
「いやいやいやいや、さすが院長どのは違いまするなぁ」
いきなり割って入ってきた第三者の低い声に、エファはびくりと身体をすくませた。
慌てて辺りを見回すと、レオナルトの背後に三十代前半ほどの渋い顔をした男が立っている。満面の笑みを浮かべ、両手をこするようにして揉んでいた。
(び、びっくりした。ほかに人がいただなんて、気づかなかったっ!)
落ち着いた灰色の燕尾服を着ているためか、彼本人の存在感が薄いためか。おそらく両方を理由に、気配を読み違えてしまっていた。
「エファどの、我が主君はそれはもうモテるのでございまするよ! 街を闊歩するものなら後ろに列ができまする。なんの列だそれはっ、と思うほどに。……そんな主君が、あなたをたった一人の伴侶に選ばれたのです。これはとてつもなく名誉なことなのでございまするよ!」
「こら、アルノー。そんな話はやめてください。私が遊び人のようではないですか」
「これは失礼を、主君どの。ですがわたくしは、あなたがいかに価値のあるスバラシキ人間かを、エファどのにお伝えしたいのでございまするよ」
「わかりました、黙っててください」
「はいでございまする!」
きゅ、と口元を抑えたアルノーに頷くと、レオナルトは満面の笑みで振り返った。
「話をまとめますと。……結婚後に二人で暮らす屋敷は、あまり広くないいつでも密着していられる屋敷で、子どもは三人……ということでよろしいですか」
「ええ、よろしいですよ。たしかそういうことだったわね、ねぇエファ」
レオナルトと院長が、話してもいない未来について頷きあっているさまを白けた目で見つめ、エファは内心でため息をついた。
もはや、どう反論しても進んでいきそうな結婚話に、お手上げ状態だ。なにより院長が乗り気なのが、エファの口から拒否の言葉を告げるのを躊躇わせている。
院長は、エファが幼いころからお世話になっている、いわば母親代わりの大切な人だ。まるで寄付金でつられたような流れになっているが、院長は決して金で子どもを売ったりしない。
きっと彼女は、本気でエファが幸せになれると思っているのだ。たしかに内容だけを見れば、この結婚はとてもいい話だろう。
貴族の元に嫁げるなど、平民を地でいくエファたちにとってはありえないことなのだから。
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