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01
ジャラジャラと鳴るコイン・サウンド。
電子音、頭を揺さぶるようなうるさい音に目覚めると、目の前にはワインレッドのドレスを身にまとった黒髪の女が立っていた。
女の背後、壁に投影されたビジョンは、黄金色に輝く部屋でスロットを回すスーツ姿の男やドレス姿の女、ルーレットを回し、赤いチップを投げる老人、人と人が殺し合うのを熱狂して楽しむ人々――原色のライトが明滅し、見ているだけで目眩がする光景が広がっていた。
女は僕が気を失っている間、ずっと僕の顔を覗き込んでいたのだろうか。
火照って赤らんだ頬、口角を吊り上げたニヤケ顔でワイングラスを回していた。
僕は腕を動かそうとして、自分が置かれている状況を知る。
ロープで椅子に括りつけられているようだ。身動きがとれない。
「ようやく、お目覚めね」
女はスリットの効いたスカートの中から白い脚を上げ、僕の左の太腿にヒールを突き立てた。
「うふぅん、いい肉づきね。筋肉量もベスト。ビューディフォー、私好みよ」
「やっぱ全員倒すのは……無理だったか……」
「そうね、でも、うちの護衛ほとんど全員ダメになったわ。たった一人で大したものよ」
女は甘く囁くと、ワイングラスを落とし、長い指を僕の胸に走らせた。グラスの割れる音がやけに頭に響く。
「私はね……うふふ」
何か薬を打たれたらしい。
視界が白くぼやけているし、気を抜くとまた意識が吹っ飛びそうだ。
「いい男を電子レンジで溶けていくのを肴にお酒を飲むのが好きなの」
日常生活では聞けない、強烈なセリフだ。
「ハハハ、趣味が悪いオバさんだなぁ」
「あら、これを聞いてもビビらない男がいるだなんて……オバさん感激だわ」
女は目を見開くと、鼻と鼻がひっつくくらい顔を近づけて吐息を漏らした。
「でも、いいわ。どんなに屈強な男でもね、最後はおもらしして助けを乞うのよ。死が目の前に来た途端、人は素直になるの。どうせあなたもそうなのでしょう?」
女は自らの肩を抱き、眉を八の字に曲げて震えた。
「あぁ、あなたが助けを乞う姿を想像しちゃった! やだ、ちょっと漏らしちゃったじゃない。ふふふ、ビューディフォー」
恍惚の笑みを浮かべる女は、整った顔をしているものの、歪み切っていて正視できるものじゃない。
「ハッ、ド変態じゃん。きっつ」
「おしゃべりはこれくらいにして、準備をしましょうか。もうね、待ちきれないわ」
女の背後にあるのは、人一人が入りそうな巨大な白い箱。
話の流れから察するに電子レンジなのだろう。
自分がその箱に入れられて焼かれる想像を巡らせるが――僕の心に変化はない。
身震いすらしない己の性質――「痛み」の欠落、死に対する感情の希薄さに嫌気が差す。
「おい、クソババア。香水臭いから今すぐ消えろよ」
女は振り返り、右手を二回振った。
手品のように、鮮やかに、彼女の手には、いつのまにかナイフが二枚並んでいた。
「私ね、料理は得意だけど、ストレスが溜まると食材で遊ぶ癖があるのよねぇ」
「ふぅん、で?」
「今、何て言ったのかしら? 復唱なさい」
ここで「あいつ」が助けに来なかったら、僕は目の前の女に切り刻まれ、レンジでチン。
聖夜の七面鳥に早変わりしていただろう。そのリスクは、頭では分かっている。
それでも、僕の軽口は止まらない。
いや、むしろ何かを試すかのように――もう一歩、もう一本と、危ない方向へ突き進む。
それは「あいつ」を信じているからだろうか? それとも――。考え切る前に口が開く。
「二度と言わせるな。消えろ、クソババア」
プッツン。
女の頭の血管が切れる音が聞こえた気がした。
女の顔は真っ白になり、豊かだった表情が消える。
殺意の塊が、死神の吐息が、なまぬるく全身を撫でた気がした。
それでも、僕の心は静かな水面のようで、何も感じない。
ただヘラヘラと笑っていた。
女が僕の頬にナイフをあて、生ぬるいものが頬を伝わる。
その刃が食い込もうとした瞬間、勢いよくドアが蹴破られた。
「チェックアウトだ、マダム・ローズ」
現れたのは、タバコを咥え、銃を構えた男――ガガンバーだ。
「何なの、あなた?」
女は不機嫌そうに尋ねる。
僕は薄れる意識の中で、顔を上げて言った。
「ガガンバー、一言だけ言わせてくれ。チェックアウトじゃない。チェックメイトだ」
最後に見た光景は赤面するガガンバー。
失笑とともに、僕の白濁とした意識は途絶えた。
薬を盛られていたせいか、その後のことはあまり覚えていない。
病院の一室で目覚め、顔面に浴びたのはガガンバーの汚いツバだった。
「ルーファス、てめぇ、バカヤローッ! 何一人で敵の本拠地に突っ込んでんだ」
顔が近い。僕は表情を変えず、ガガンバーの顔を押し返した。
「あの変態女はどうなったの?」
ガガンバーは眉を寄せ、煙草の箱の底を叩いた。
――が、ここが病院だと気付いたのだろう、苛立ちをぶつけるように箱を投げ捨てた。
「……マダム・ローズは捕まったよ。違法カジノも仕舞いだ」
「お金は?」
「たんまり盗れたぜ。クラックでイカサマしまくったからな」
「軍事用ロボの購入には足りそう?」
「あと半分くらいかな」
「まだ遠いなぁー」
「お前がマダムの部屋に突っ込んで行ったセイだろ。ホントはもっと稼げたのによ」
「イカサマが途中でバレたんだから、ガガンバーたちを一旦逃すしかなかったじゃん。僕が囮になってなきゃ、ガガンバーは今ごろ聖夜の七面鳥だよ」
「はぁ? 何だそりゃ。てかな、そもそもイカサマがバレたのはルーファスが……」
いつも通りの言い合いを止めたのは、見舞いにきていたキャンディーの溜め息だった。
「結果オーライでしょ? ケンカなんて止めなさい」
気だるそうな声と半目で雑誌を読むキャンディーは、一言で言えばボンキュッボン。
何着ても胸元が強調される彼女は、常夏のピンインに相応しく、薄手のパーカーを羽織り、ショートパンツの涼しい格好だ。
女性にしては背が高く、たまに煙草を吸う姿は、鋭い三白眼と相まって渋く似合っている。
うちのチームのメカニックやら爆弾作りなどを担当している。
「キャンディー、だってガガンバーがさぁ」
「これ以上ケンカ続けるなら私が相手するけど?」
キレると何をするのか分からないキャンディーが眉を上げ、ベッドを叩いた。
以前、キャンディーを怒らせた際の悪夢が蘇り、僕もガガンバーも口を噤む。
静寂を破ったのは、ドアの向こう側で響いた低い声――。
「よぉ、ガガンバー。ルーファス。開けるよー」
身長190センチを超える巨漢、モンボーだ。
坊主に髭面、縦だけでなく、横にも大きい身体。
見た目だけで言うと「ヤバいヤツ」だが、実情はもっとヤバい。
走っているトラックを正面から止めただの、一人でマフィアを壊滅させただの。
危ない噂しか聞いたことがない。だが、モンボーがやったと言われると、妙に現実味があるから恐ろしい。
盗聴マニアにして、ガガンバーのハッキングをサポートする腕利きで大食漢だ。
僕とガガンバー、キャンディー、モンボー、ドッグ・キャラバン――仲間全員が揃ったって訳だ。
「で、これからどうするの?」
僕は点滴のチューブを外してベッドから降りた。
病院着を脱ぎ捨て、モンボーから渡された服に着替える。
「決まってるだろ、軍事ロボ買う為の金を稼ぐ」
僕は分かり切っている質問をした。
「それで?」
「地上を目指す!」
「地上には何があるの?」
「金銀財宝! 自由! 全てがあるッ!」
「ギャハハハハッ!」
僕は腹を抱えて笑った。
そう、僕らは「全て」を得る為にマーカーになった。
子供の頃に交わした約束で、僕らの合い言葉みたいなものだ。
クソッタレみたいな世界からの脱却。
奪われる側から、満たされる側に回る為の革命。
「はぁ、また始まった……」
溜め息をつくキャンディー、ポテトチップスを頬張るモンボー。
僕たち4人なら――必ず地上に辿り着ける。
全てを、自由を手に入れられる。
そして、僕は妹のレットゥを幸せにできる。
そう信じていた。
これは、僕たち小さなマーカー集団「ドッグ・キャラバン」にとって、最後の大仕事となったある事件の物語だ。
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