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02
コンクリートの床に叩きつけられ、響く革靴の音。
金髪を撫でつけた緑眼、大柄の男――ファーザー・イマトは、銀皿に盛られた塩を舐める。
鍛え抜かれた裸の上半身は、拷問の執行で熱を帯びていた。
「ヤツらがやっていることは単純明快。悪の組織を懲らしめ、金を巻き上げる。それがドッグ・キャラバンだ」
イマトは座り込み、部屋の中央に横たわる長身の男に囁きかける。
「お前は唯一やつらを見た証人だ。マダムに寝返ったって聞いた時は殺してやろうと思ったがよ。全部吐けば赦してやる」
横たわった男は息を荒げ、イマトの囁きに応える。
「俺が見に行ったときはもう……いなかったんだよ……ヤツらは犬の皮を被ったオオカミだ。食い荒らすのも速いが逃げるのも速い……」
イマトは横たわる男の腹を蹴る。
蹴る。蹴りたくる。
「ぐぁッ!」
「俺が何故ここまで上り詰められたか分かるか?」
コンクリートの上に横たわる男は必死に首を振る。
「俺はな、痛みに鈍感なんだ。脳の病気なんだとよ。自分の痛みに鈍感ってことは、他人の痛みも想像できねぇっことだ。子供んころは気味悪がられたがよ。この病気は強みにもなる。マフィアって天職ではな」
「ヒッ!」
横たわる男は床の上を泳ぐようにもがいた。
「ハハハッ! ゴキブリみてぇだな」
イマトは男の襟首を掴み、持ち上げて壁に叩きつけた。
歯が折れて飛び散る。
「ギャ!」
「だがな、痛みに鈍感と言っても全く感じない訳じゃねぇ。ゼロじゃねぇんだ。だから、こうやって」
イマトは何度も男を壁にぶつけた。
その度に肉片や血が飛ぶ。
「何度も打ち、繰り返し、壮絶な苦しみを目の前にすることで、ようやく痛みを想像できるんだ。ああ、こりゃ痛いな。こいつも、俺も生きてるんだなって。ジワジワと実感するんだ。そうすると、ぼやけてた世界の輪郭がハッキリと見えてくる。分かるか?」
男の体は赤く膨れ、肉がただれ落ちていた。
「もう……止めてくれ……」
「そうだなぁ、そろそろ飽きたし、止めにするか」
イマトは男を雑巾のように放り出すと、ベルトに挟んでいた銃を抜いた。
「た、助けてくれ! 全部吐いただろ! もう何も出ないんだよ!」
男の頭に銃が向けられる。
「尚更、用済みだな」
銃声と共に部屋が静かになった。
イマトは金色の髪を整えると、小さく息を吐いて上着とシャツを拾う。
「ドッグ・キャラバン……忌々しいヤツらだ」
イマトはシャツを着ると、窓際に立って眉を吊り上げた。
百二十階建ての高層ビルFAW(ファウ)最上階から見える下界は砂ぼこりが舞い、白んでいる。
革張りのソファに座る若い東洋系の男――ナンサンは右手の中指で眼鏡のズレを押し戻した。
「カジノのマダム、通称フクロウだけではありません。他にもいくつかのマフィアが被害を被り、中には壊滅させられたとの報告が上がっています」
「バカなヤツらだ。俺ら悪人を豚箱にぶち込むことが世直しだとでも思っているんだろう」
「違うのですか?」
イマトが振り返り、ハッと笑った。
「そもそもな。この街では俺たちが経済の三割以上を支えてるんだ。武器、薬、女、殺し。俺らがいなくなれば、貧困層が拡大し、この街の経済バランスが崩れる。貧困層の拡大は暴動、テロ、戦争に繋がる」
「貧困が戦争に繋がる、ですか?」
「今の若い奴らには想像できないか? なるんだよ、本当の貧困を知らない、想像できないだろうがよ。飢えや渇きは死の苦しみだ。当面の飯の為に子供を売り飛ばすなんざ当たり前の景色になるぞ」
ナンサンは顎を触り、少し考えてから唸る。
「必要悪、というヤツですね」
「それに……」
「それに?」
「ピンインの街を見ろ。暴力や略奪なんて日常茶飯事。路地裏は孤児とグレた少年どもで溢れかえっている。ほとんどがアウトローだ。それらを一掃すりゃコロニーは文字通り半壊だ」
「ははは、おっしゃる通りです」
「メンバー一人でも正体を掴めば、どんな手でも使って全員引き摺り出してやるってのによ」
僕はモニタに映された音声解析図から目を離し、被っていたヘッドフォンを取った。
叫び声と銃声ばかりの――いかにもマフィアな会話だった。
「モンボー、もう八時間近く盗聴内容聞いてるみたいだけど……おもしろいの?」
モンボーは新しいスナック菓子の袋を開けながら答えた。
「おもしろいよ。何せマジもんのマフィアの会話だからね。映画を見るよりよっぽどおもしろい。起ること一つ一つにリアリティがあるんだよ」
「それでさっきからゲラゲラ笑ってたのか」
「ついおもしろくって」
モンボーは左手をスナック菓子の袋に突っ込み、右手でヘッドフォンを被った。
机上を右手のグローブでカタカタと叩き、作業を続ける。
「リアリティねぇ。そりゃ実際のマフィアだからなぁ。ま、ターゲットに貼り付いてくれるのは助かるけど」
「ねぇねぇ、ルーファス。オイラたちって世直しの為にこんなことやってんの?」
「あ? んな訳ないっしょ」
「だよねー」
モンボーと僕は顔を見合わせて笑った。
「はははははははッ!」
僕はモンボーのデカい肩を叩いて席を立った。
イマト・ファミリーのボス、イマトは痛みを感じにくい病気と言っていた。
僕と同じじゃないか。
痛みを感じにくいってことは、他人の痛みも想像ができない。
確かにそうかもしれない。
マフィアが天職。
僕もガガンバーに出会っていなければ、ああなっていたのだろうか。
悪ガキに育ったんだから、そんなに違いはないのだろうけれど。
これ以上考えても意味がないことだ。
僕は頭を振って奇妙な考えを振り払った。
モンボーの個室を出た後、僕はリビングに向かった。
アジトは廃家のマンションの一室で、建て替えられず、何年も野ざらしになっていた。ドッグ・キャラバンがアジトにしてからは、ポリタンクや携帯充電器で水や電気も使えるようになったし、即席の基地としては居心地も悪くない。僕はソファに座って、捨ててあったポルノ雑誌を広げた。濡れてしわくちゃだ。
「よぉ、ルーファス」
十時に集合、と言った本人――ガガンバーが一時間遅れで到着。ガガンバーは「詫び」のつもりか、寝ぼけ眼をこすりながらハンバーガーを投げてきた。片手でキャッチして紙袋を開ける。ケチャップで手がベトベトだ。
「ねぇねぇ、僕ら結構稼いでんじゃないの? 何でいつもジャンクフードかカップ麺なの?」
「キャンディー金庫が無駄遣いするなってうるせぇんだよ。んなことより、イマト・ファミリーの様子はどうだ? こっちの動きに気付いたりしてねぇか?」
「全然。僕たちのことを義賊だと思ってるよ」
「そうか、都合がいい」
「悪人ばっかり絞めてきたからね」
「何だか楽しそうな話をしてるわね」
キャンディーだ。趣味の爆弾作りとスパーリングを終えてシャワーを浴びたらしい。
半乾きの癖髪を一つにまとめている。
いつも通り露出の多い服装からは、化学班兼メカニックらしくない、筋肉質な腹筋や腕が見えた。
彼女曰く、爆弾作りと身体作りはセットらしい。変人の考えることはよく分からない。
「ガガンバー、今回が一番のヤマよね……大丈夫なの?」
キャンディーはソファに座って脚を組むと、細い煙草に火をつけた。
「いつも通りやりゃ大丈夫だ」
「ピンイン一のマフィア……ね。ガガンバーがどんな作戦を立てるのか楽しみにしてるわ」
今回のヤマで軍事用ロボを購入する為のクレジットが揃う。
軍事用ロボは文字通り戦争時に製造された特注ロボットで、作業ロボとは異なり、機動性、火力、耐久性、全てのスペックが抜けている。
地上を探す為には必須のアイテムと言える。
そう考えるといてもたってもいられなくなってきた。
僕はエロ本を投げ捨て、ゆらりと立ち上がった。
「ね、モンボー! スパーリングしようぜ!」
ブッ。個室の方で爆音が鳴った。モンボーの屁だ。
リビングまで異臭が漂ってきた感すらある。
「屁で答えるなよー。テンション下がるなぁ……」
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