三章  お別れなんて嫌だった

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「ごめん、早かった!」 「ううん。わたしこそ、遅くてごめん」 「いや、俺が悪いよ」  お互いに急いで距離を縮め合って、苦笑い。 永人くんは藍色の傘の下ではーっと大げさにため息をつく。 「ホントごめん。女の子に慣れてないの、一瞬でバレるなー」  ぐしゃぐしゃと前髪を握りこむ永人くんを、わたしはきょとんとして見上げる。 「たまたまでしょ?」 「……え?」 「だって、永人くん絶対モテる人だから」 「はあー? モテないって言ったじゃん!」  すごい勢いで否定されたけど、わたしこの前から、永人くんの「自称モテない」はぜんぜん、まったく、これっぽっちも信じてない。    だって永人くんは背も高いしかっこいいし、清潔感もある。  なにより、やさしい。  モテないわけがないのだ。    でも、わたしが納得していないことが分かったのか、永人くんは「ホント、モテないから!」としつこく強調する。 「俺、中学でバスケ部だったんだけどさ。部の決まりで全員丸刈りで、制服は第一ボタンまでしめてないと怒られてさ。チャラチャラしてるヒマがあったら練習しろって言われるし、実際遊んでるヒマないからもうダッサい集団で……あ、丸刈りの俺の姿想像しないでね」 「う、うん……」  一瞬想像しそうになってた。  ちょっとかわいいんじゃないかって思ってしまったけど、心にしまっておこう。気を取り直して歩き出す。 「またバスケ部入ったの?」 「ううん。高校ではやんない。たまにやれればいいかな。バイトもしたいし、進学したいし」 「進路、もう考えてるんだ?」 「いちおうね。獣医目指してるんだ。簡単じゃないけど」  くるっと傘を回転させながら永人くんは言う。  わたしはひっそりと感心してしまった。  彼が思い描いていることが、具体的だったからだ。    それに引き換え、わたしは――と考えて、思わず足元に目を落とす。   手放した猫のことや、離れ離れになった友だちのこと。新しい環境になじめないこと。  今のことさえ手いっぱいで、先のことなんか考えられない。  永人くん、えらい。 「マルちゃんは? 中学で部活やってた?」 「わたし? わたしは美術部だったよ」 「へー。俺、絵とかすげー苦手。美術部入るの?」 「どうかな。まだあんまり余裕ないし……」  そう言って、苦笑いしたときだった。  わたしは目の前の風景に今度こそはっきりと見覚えがあって、足を止めた。    永人くんがわたしの視線の先を追って、「ああ」と声を明るくする。 「あれあれ。俺が来たかったとこ」  永人くんが見ているのは、猫のシルエットがあしらわれた看板が出ている店だ。  猫カフェ『まひる』。 「マルちゃん、猫に飢えてないかなーと思って。――って……マルちゃん?」  にこにこする永人くんの前を素通りして、わたしはその店の前に立った。    猫のシルエットの看板。  扉の上についたベル。  猫の足跡の形をした玄関マット。    はじめてそれらを見たとき、わたしの視界は涙でゆがんでいて、正直ありのままの形で目に入っていなかったと思う。    でも、分かる。ここは――この店は。 「マルちゃん?」  戸惑う永人くんを置いて、わたしは乱暴に傘をたたんで入り口の取っ手に手をかけた。  頭上でカランコロンと鳴るベル。  ガラスの内扉の向こうには大きな木をイメージしたキャットタワーがあって、三毛猫や白猫、サビやキジトラ……と、いろんな種類の猫が思い思いに過ごしている。    わたしは、店員さんがこちらに気づいて駆け寄るよりも早く、ガラスの内扉を開け放った。 「ハチ!」  呼ぶなり一匹の猫が顔をあげ、しっぽを真っ直ぐ立ててこちらに走ってくる。  全体がまっ黒な中で顔の真ん中とおなかと手足の先だけが白い、ハチワレの猫。  必死にわたしの脚に頭をすりつけてくるかわいい子。    たちまち目頭が熱くなった。    かと思うと自分でも驚いてしまうくらい大きな涙がこぼれて。 「ハチ……ハチ!」  永人くんが硬直しているのに、他のお客さんも注目してるのに、わたしはわたしの大事な猫を抱きあげ、声をあげて大泣きしてしまったのだった。
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