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「猫ちゃん、家から逃げちゃったんですか?」
「いや、キャリーから。病院の帰りだったんだけど、俺、さっきバランス崩してこけちゃって。キャリーが落ちたときに扉が開いて……」
「びっくりしてあそこに逃げこんじゃったんですね」
「そう。臆病なの、あいつ。だから刺激しちゃダメなのにさ……飼い主失格だ、俺」
しゃがみこんだ彼が、ため息で顔を洗うように手のひらを両頬に押しつける。
このピンチにけっこう参っているみたいだ。
気持ちは分かる。
わたしだったらこの状況にとっくに泣きだしている。
なんだか他人ごとに思えなくて、わたしはスカートの裾を膝の裏に折りこみ、彼のとなりに寄り添うようにしゃがみこんだ。
「自分を責めることじゃないと思いますよ。身体の大きい猫ちゃんだったら体重もあるから、よろけることもあると思うし。――あ、やっぱり大きい猫ちゃんじゃないですか」
ウッドデッキの下をのぞいてみると、かなり引っこんだところに猫特有の光る二つの目が確認できる。
暗くてはっきりは見えないけど、なかなかのビックシルエットだってことは分かる。キャリーに入れて運ぶにしても、かなり力がいりそうだ。
「猫ちゃん、どれくらいあそこにいるんですか?」
彼の方を振り向きたずねると、彼はびっくりしたようにあごを引いた。
「あー……今三十分くらいかな」
「三十分!」
けっこう長い。その間彼がひとりでねばったのなら、そうとうながんばりだ。
「ぜんぜん動かないんですか?」
「うん。本当はエサとかでおびき寄せたいけど、持ってないし。うちに帰ってとってくる間に外に出てきて、他のとこに逃げちゃったらよけい困るし……。しかもこんなときにかぎって家族も誰も捕まらなくて、どうしようかと思ってたところで……」
お尻のポケットにさしていたスマホを確認し、がっくりと肩を落とす彼。
わたしは、立ちあがった。
「じゃあ、わたし家からなにか持ってきます!」
えっ――と、彼が半端に腰を浮かす。
驚いたその顔に、わたしはにこっと笑いかける。
「家、近いので。十分以内には戻ってこられると思います」
「いや、でも。迷惑じゃ……」
「ぜんぜん! 猫ちゃんのためですから!」
戸惑う彼にそう宣言して、わたしはカバンを脇に抱えこんで家の方向に走り出した。
人見知りのわたしだけど、そんなこと言っていられる場合じゃない。
だってわたしは猫が好きだ。
猫とその飼い主が困っているのを見過ごせない。
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