一章  不審者、のち猫ばか

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「猫ちゃん、家から逃げちゃったんですか?」 「いや、キャリーから。病院の帰りだったんだけど、俺、さっきバランス崩してこけちゃって。キャリーが落ちたときに扉が開いて……」 「びっくりしてあそこに逃げこんじゃったんですね」 「そう。臆病なの、あいつ。だから刺激しちゃダメなのにさ……飼い主失格だ、俺」  しゃがみこんだ彼が、ため息で顔を洗うように手のひらを両頬に押しつける。  このピンチにけっこう参っているみたいだ。  気持ちは分かる。  わたしだったらこの状況にとっくに泣きだしている。  なんだか他人ごとに思えなくて、わたしはスカートの裾を膝の裏に折りこみ、彼のとなりに寄り添うようにしゃがみこんだ。 「自分を責めることじゃないと思いますよ。身体の大きい猫ちゃんだったら体重もあるから、よろけることもあると思うし。――あ、やっぱり大きい猫ちゃんじゃないですか」  ウッドデッキの下をのぞいてみると、かなり引っこんだところに猫特有の光る二つの目が確認できる。  暗くてはっきりは見えないけど、なかなかのビックシルエットだってことは分かる。キャリーに入れて運ぶにしても、かなり力がいりそうだ。 「猫ちゃん、どれくらいあそこにいるんですか?」  彼の方を振り向きたずねると、彼はびっくりしたようにあごを引いた。 「あー……今三十分くらいかな」 「三十分!」  けっこう長い。その間彼がひとりでねばったのなら、そうとうながんばりだ。 「ぜんぜん動かないんですか?」 「うん。本当はエサとかでおびき寄せたいけど、持ってないし。うちに帰ってとってくる間に外に出てきて、他のとこに逃げちゃったらよけい困るし……。しかもこんなときにかぎって家族も誰も捕まらなくて、どうしようかと思ってたところで……」  お尻のポケットにさしていたスマホを確認し、がっくりと肩を落とす彼。  わたしは、立ちあがった。 「じゃあ、わたし家からなにか持ってきます!」  えっ――と、彼が半端に腰を浮かす。  驚いたその顔に、わたしはにこっと笑いかける。 「家、近いので。十分以内には戻ってこられると思います」 「いや、でも。迷惑じゃ……」 「ぜんぜん! 猫ちゃんのためですから!」  戸惑う彼にそう宣言して、わたしはカバンを脇に抱えこんで家の方向に走り出した。  人見知りのわたしだけど、そんなこと言っていられる場合じゃない。  だってわたしは猫が好きだ。  猫とその飼い主が困っているのを見過ごせない。
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