つめたいひと

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 吉田さんの葬儀はしめやかに執り行われた。風もない、穏やかな晴天の午後、彼女は空に旅立っていった。  俺はなんとなく登校する気になれず、葬儀に顔を出してみた。学校をサボってまで行く必要はないのだけど、どうしても気になることがあった。  ホシノさんは葬儀に現れなかった。焼香を済ませたあと、誰にも見つからないように注意を払って隣室を訪ねたけれど、ここにも彼の姿はない。台所には製氷機が置いたままになっているから、どこかに出掛けているだけか──もしくは本当に別の場所にある自宅に帰ってるのかもしれない。  そろそろオレンジ色になり始めた陽射しが、カーテンのない窓から差し込んでいる。なんだかとても静かだ。現実と離れた遠い場所に来てしまったみたいに思えて、自分の想像力に苦笑する。  俺は彼に渡すための紙袋を抱え、空っぽの部屋に座り込んだ。いつもなら真正面にいるはずのホシノさんに問いかける。 「…ほんとに、人間じゃないの?」  答える相手のいないまま、質問は冷たい空間に消える。誰も居ない部屋。最初から、誰も住むことのなかった部屋。  ──この部屋は、建てた当初からどうしても玄関の鍵がかからなかった。何度付け替えても、直しても駄目で、結局鍵のかからないまま誰にも貸せずにいるのだという。鍵無しでは無用心で物置にもできず、以来、空っぽのまま今に至る。 「代わりに棲みついていたのは死神でした、って? 馬鹿げてるよなあ」  ホームレスが住人のふりして雨露をしのいでるとか、そういうのであってほしいとも思った。現にホシノさんは偽名を名乗っているし。  でも、そうじゃない。なぜなのか上手く説明できないけども、まとっている雰囲気にどこか人間臭さがないような気がするのだ。  ホシノさんはよく笑うし、表情も豊かではあるのだけれど、テンプレをなぞっているような嘘っぽさがあった。演技とかではなくて、こんな声色や表情をつければ見えるだろうと考えて動いているような…あの妙にわざとらしい感じは、人じゃないことを隠すためだったのかもしれない。 「…酷い言い草じゃないか」  不意に、正面から冷たい声がした。視界の端に裸足の爪先が現れて、床板がみしりと軋む。顔を上げると、困ったような微笑みを浮かべたホシノさんがいた。 「信じてもいないくせに」  ホシノさんは手にしていた氷を口に入れ、噛み砕いた。今日はボウルを持っていない。 「信じられるわけないじゃん」  普段起こらないようなことが重なって、惑わされてるだけだ。吉田さんは高齢だったから、急に亡くなったのだっておかしな話じゃない。  あれは全部、俺をからかうための嘘だったと、そう言ってほしい。真実なら、俺も近々死ぬのだ。 「君が信じなくても、私というものはここに居る」 「……」 「受け入れられなくても、否定されても、私がそういうものであることは変わらない。死を受けとるもので、死に見放されたものだ」  ホシノさんは抑揚なく語り、俺のすぐ前まで歩み寄った。 「ところで、君が大事そうに抱えてるそれは何?」  しゃがみ込みながら、紙袋を指差す。 「…吉田さんから」  近い距離にいつもよりも戸惑ったのを隠して、ぶっきらぼうに答えた。ホシノさんは紙袋を受け取り、貼り付けられた名前を見て苦笑した。 「よく私だって判ったね。…ああ、会ったことがあるって、言ったからかな」  紙袋の中身は、紳士物のコートだった。オーソドックスで落ち着いたデザインは、年配の方が好みそうなものだ。 「あぁ、これ、幸助君のだ。懐かしいな。」  コートを広げて掲げ上げ、裏表と翻している。その度にほんのりと樟脳の匂いがした。それは多分吉田さんの旦那さんの物で、亡くなった後も大事にしまってあったんだろう。 「寒くないから平気だって言ったのに」  ホシノさんは、そんな形見の品をぐるっと丸めると、無造作に紙袋に突っ込んだ。 「親切でくれてんだろ」 「親切を受ける筋合いでもないよ」 「それはあんたが人間じゃないから?」 「そう」  売り言葉に買い言葉なノリで口にした言葉は、あっさりと、かつ冷ややかに肯定された。 「親切なんか、無駄にしてしまうだけだから」  ホシノさんは、紙袋に視線を落とした。暗く、冷たい瞳から感情を読み取ることはできない。 「だから、お葬式にも来なかったのか?」  意識したわけじゃないけど、責めるような声になった。ホシノさんは一瞬目を丸くして、それからやや自嘲気味に口許だけ緩めた。 「それは、そうじゃないよ」  口許を指で押さえ、目を伏せる。 「傍にいたら、我慢するのがしんどいから」 「我慢?」  訊き返すと、ホシノさんは瞼を上げ、虚空を見つめながら答えた。 「死が近づくほど、その魂は熟して芳醇な香りを放つのさ。身体から離れる直前と、離れたあとは特に強烈でね。欲望を抗いきれないほどに薫るから、逃げてたんだよ」  それっぽく芝居がかった口調と仕草で言われていたら、逆に信じなかったのかもしれない。ため息混じりに淡々と述べられた言葉は、素っ気なく、むしろ珍しく苛立っているように聞こえた。 「食べて、しまわないように…?」  愚鈍にも、そんな質問で返してしまった。 「そう。…今の君も、相当なもんだよ」  口許を押さえ、少し嫌そうに彼は言った。俺は、泣きそうになっていた。 「……俺、死ぬのか…」 「もうそろそろね」  否定はされなかった。
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