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ホシノさんは身体を少し離して、俺のネクタイを緩めはじめた。首からそれを抜き取る、シュルッという音が、静かな室内にやけに大きく響く。ブレザーとワイシャツのボタンを外されるのも、前をはだけて胸を剥き出しにされるのも、どこか秘密の儀式めいていておかしな気分になる。ああ、これから食べられるんだなと思うと、不思議と頬が緩んだ。
「…なんで君は笑っているんだい…?」
再び俺を抱き寄せながら、ホシノさんが問う。
「どうしてかな…。分かんないけど、なんかほっとしたんだ」
「ふうん…?」
怪訝そうなホシノさんを抱き返す。剥き出しの肌が更に密着して冷たくなったけれど、体温の方は逆に上がっていくみたいだ。その熱に浮かされたみたいに、するすると本音がはみ出してしまう。
「俺、ほんとにあんたに食べられたいんだ。いつか会えるかも、なんて、いつになるか分かんないのをずっと待つなんて嫌だよ。今、ホシノさんに食べられて、ホシノさんの中で消えていきたい」
ホシノさんは深く息を吸い、すべて吐き出してから呆れたように囁いた。
「三木くん…今、物凄いこと言ってるって解ってる?」
「もう死ぬんだし、いいんだよ。言わないでいて、叶わない方が嫌だ」
そうぶっちゃけた俺は、まだ躊躇しているようなホシノさんの唇に自分の唇を押し当てた。
いや、でも…こっちから魂を口移しってのはできるんだろうか。できなかったら、ただのキスになってしまうけど…それだってどうしたらいいかよく分からない。そこから動けずに固まっていたら、仕方がないなって感じの吐息を溢しながらホシノさんの唇が動いた。啄むように吸われたのに応えるように吸い返せば、自然とそれらしい口づけになっていく。
「はぁ…」
吐息全部を奪われたくて、でもそれだけじゃ物足りなくて、深く重なるように唇を開いた。冷たい舌が滑り込んで、粘膜を撫でるように舐めていく。舌が動く度にそこがチリチリと痺れるようで、肉の下にある魂が舐められてるんだと解った。痺れは少しずつ拡散して、口の中しか触れられていないのに、身体の奥まで内側から舐め回されているみたいな感覚にぞくぞくと震える。
いいように味わってからホシノさんは唇を離し、首筋に口づけてきた。耳の方まで舐め上げられて肩が竦む。冷たい舌はそのまま耳に入ってきて、掻き回すみたいに舐め始めた。
「んんんっ」
舌の感触と湿っぽい音がくすぐったい。身をよじると、今度は耳たぶに歯が当てられた。
「あっ、」
強めに噛みつかれて、小さく悲鳴を上げてしまった。ハッと我に返ったようにホシノさんが顔を上げる。
「ああ…すまない。夢中になってしまって…」
「いいよ…別に痛くない。びっくりしただけだし…、痛くしたって、いいし…」
じりじりと痺れを伴った痛みはほんの微かに感じるほどで、むしろ気持ちいいくらいだった。それに、噛まれたところから魂にホシノさんの痕が刻まれたみたいで、どうしてだかふわふわと嬉しくもあるのだ。
「…君は、……いね」
「……え…?」
彼がなにを言ったか、はっきりとは聞こえなかった。そんなことは今まで一度もない。とても気になったけど、訊き返すことはできなかった。彼の唇と舌が動きを再開して、余裕がなくなってしまったからだ。
「あ…」
ホシノさんの指が、シャツを押しどけながら肌の上を滑る。それを追って唇が胸元に落ちた。ホシノさんが触れたところに無数の魂の粒が集まって、ひしめき合いながらざわついている。触れられることに歓喜して、もっともっととせがんで暴れて、その度にびくびくと身体が跳ねた。
「んんん…っ」
ゆっくりと撫で下ろされた指が乳首に当たったとき、他とは違った痺れに思わず身を震わせてしまった。反応の違いに気づいたのか、通りすぎようとした指先が戻ってきた。形を何度もなぞってから、擦り合わせるように摘まみ上げる。
「ああ…ぁ」
こうすれば、果肉を絞るみたいに魂も押し潰されて蜜を滴らせるんだろうか。もう片方は直接唇で挟み、きつく吸っては舐められた。そうやって甘く噛みながら吸われていると、頭ん中が蕩けて、ぼうっとしてくる。
「ヤバい…これ、きもちい……」
皮膚越しに魂を舐め取られる感覚はもどかしく、そのくせピリピリした電流みたいに全身を走る。それは身体の奥で火花を散らして、そこでうねっている別の欲望を目覚めさせた。
「もっと…もっといっぱい触って…」
うわ言みたいにせがみながら抱きつくと、触り方が荒々しくなった。堪えていたものが堰を切って溢れ出したかのように、首も、肩も、鎖骨も、脇腹も、乳首も、無茶苦茶に舐めては吸い、噛みついて味わっている。
「あっ、…ぁ…あ」
噛まれて声を上げても、ホシノさんは止まらなかった。一心不乱に俺にむしゃぶりついて、味わい尽くそうとしている。痺れはいっそう強くなって、電流はビリビリした快感に変わっている。どんなに乱暴にされても、全部が切ないほど気持ちいい。追いつかない呼吸に大きく喘ぐ。滲んだような視界に、ひたすらに俺を喰らっているホシノさんがいた。
焼け落ちそうな思考回路は、その光景と、最初に見た彼の“食事”を直結させた。氷を噛み砕き、貪る様は、今の彼の様子と全く同じだった。
餓えているのだ、と俺は思い知った。
いつから彼が魂を口にしていないのかは知らない。けれど、氷じゃ空腹は満たせても、根本的な飢えを癒すことはできなかっただろう。約束したからって、そんな律儀に守っていられるものなのか? そんなに、その子との約束は大事だったのか? そう考えたら、急にひどく胸が苦しくなった。
「…ホシノさん…、ホシノさん、ホシノさん…っ」
何をどう言えばいいか分からないまま、その名を呼んだ。俺だけがもらった、俺しか知らないものだけれど、俺が持っている彼のものはそれだけで、そんなただの偽名ひとつしか、彼に繋がるものがない。
「いやだ……もっと…欲しい…。ホシノさん…!」
ホシノさんが欲しい。
それがどういう意味のものなのか理解できないまま願った。ただ、いつかの子供には与えられなかった何かであればいいとは思う。
涙が勝手に溢れて、ぐしゃぐしゃの顔をもっとひどい有り様にした。感情があっちにこっちにと引っ張り回されて、おかしな具合に掻き乱されている。それは、魂を滅茶苦茶に掻き回されたせいでもあるんだろうか。
「………」
ホシノさんはのそりと顔を上げ、俺の頬に触れた。
部屋はすっかり暗くなっていて、自分の輪郭すらよく判らない。彼の顔だけが月光でも浴びているかのように仄白く、闇を湛えた目を半分ほど伏せて俺を見ていた。表情はない。それでも不思議と、哀しげに見えた。
「……君は、欲張りだね」
柔らかい口調なのに、声色はとても冷たかった。つんと、鼻の奥が凍るように痛くなる。
「与えると言い、欲しがりもする」
ホシノさんの指先が滑って、俺の喉を撫でる。なにか言おうとしたけど、喉の奥がひくっと詰まっただけで、何も答えられなかった。
「…私ができることは、奪うことだけなのに」
だったら全部奪ってくれ。
そう言いたかったけれど、凍ってしまったように喉が動かない。なんとか意思を伝えようと、彼の袖を掴んで引いた。
「……」
俺に引っ張られるまま、ホシノさんは胸に頬を寄せた。心音を聴くみたいに片耳を当てて、形をなぞるように俺の肩から腕、腋から腹へと手のひらを滑らせる。
「君は綺麗で、甘くて、柔らかい。とても…美味しそうだよ」
その声は恍惚としているようにも、無感動にも聞こえた。この部屋を満たしている夜の気配のように冷たくて、透明で、硬そうなのに、薄い布地が被さるみたいに俺を包む。
「…これ以上触っていたら、味見じゃ済まなくなってしまいそうだ」
それでいい、構わない。
相変わらず、声を出すことはできなかった。食べられたい意思はもう揺るがない。信じていない死後の世界なんかに逝くより、ホシノさんの糧になって彼の中に残っていたい。そんな気持ちを込めて髪を撫でると、ホシノさんは哀しそうに呟いた。
「三木くん…違うんだよ。それはね、違うんだ…」
違う?
なにがだろう。
うまく回らない頭では、それがなんのことなのか全然思い付かなかった。ただ、とにかく彼が欲しくて堪らなくて、ホシノさんの頭を抱きしめた。はやくはやく、全部喰らい尽くして、と魂が焦れて皮膚の下で騒ぐのが辛い。ずっとその胸の中で飼っている誓いを今すぐに破って、そこに俺を受け入れて欲しい。
「……」
ホシノさんは身体を起こし、俺を見下ろした。青みがかった闇色の瞳が、静かに近づいてくる。目を閉じると、唇の合わさる感触がした。
「……っ」
熱っぽく舌を絡ませながら、ホシノさんは指先を腰の方に滑らせた。小さな金属音がどこか遠いところから聞こえて、それがベルトを緩める音だと気づいた頃には、もう下着の中に手を入れられていた。
「あぁ…っ!」
触れられた途端、感電したみたいに身体が跳ねた。その拍子に外れた唇から、自分の声とは思えないほど高い声が勝手に漏れる。
「あ、ああ…あっ」
手のひら全体で撫で上げられて、背筋を這い上る快感に身体がしなった。そこに意識とか魂とか色んなものが集中して、すぐにも溢れ出てしまいそうになる。
「だめ…、それ…っ」
反射的に伸ばした手は阻まれ、しっかりと握られてしまった。抵抗を抑える手の代わりに、いつのまにか下着から引っ張り出された部分をぬるりとした冷たい感触が覆う。
「ぅああっ!」
ホシノさんが俺のを口に含んでいた。湿った音を立てながら丁寧に舐め上げられて、がくがくと腰が浮いてしまう。
とんでもないほどの快感だった。怖いと感じるほどに。
「やだ…、あっ、あ、っ、おかしくなる…って…!」
身体も頭もどうにかなりそうで、悲鳴のように声を上げながら頭を振った。気持ち良さを求めるのと、未知の快楽に抗うのが、全身でせめぎあっていて苦しい。身体の中身が全部沸騰して、ぐずぐずに熔けて流れ出していきそうだ。
「も…だめ、だめだから…」
自分の声じゃないみたいなのが、なにかを懇願していた。終わりにしたいのと続けたいのと、どっちを願っているのかもよく判らない。だから、唇が離されたのにほっとしながら、中断されたことに切ない苛立ちも感じた。
ホシノさんは俺の手を離し、下着とスラックスを脱がす。両足を大きく開かされると、また咥えられて身悶えた。
「あああ…っ」
急激に高みに登りながら、別の感触に息を飲む。誰にも触れられることはないと思っていたところをまさぐられ、戸惑う間もなく、指を押し入れられた。
「なに…? なにこれ…?」
中で蠢いている指が、直接魂を撫でては引っ掻いているような感覚。目の奥で火花がチカチカして、もうなにも考えられなくなった。
「あ、ああ、あぁ、あっ」
俺はそのまま達して、吸い出されるままその口の中に放った。かつてないほどの快感に気が遠くなる。落ちようとする意識を引き戻すように、すぐまた別の快感が襲ってきた。脳天まで響く痺れに一気に貫かれて、全身全霊が歓喜に震える。
「あ…あ、ああああああ…!」
俺の中にホシノさんが入っていた。
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