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関わりたくないと思っていたのに、その翌日の夕方、俺は早速隣人と顔を合わせてしまった。製氷機の修理に来たらしい人と通路ですれ違ったあと、ドアを閉めようとしているホシノさんと目が合ったのだ。さすがに知らん顔も良くないと、愛想笑いを浮かべて挨拶した。
「こんにちは。製氷機、直ったんですか?」
すると、ホシノさんはビックリしたように目を見開いた。
「え…? 君、見えるの?」
「は?」
見えるって何がだ?
予想外の挨拶返しに、俺の目も丸くなる。
「私が見えるのかって訊いてるんだ」
ヤバい、やっぱりこの人変だ。
昨日のホラーな食べ方が脳裏にちらつく。いや、でも、食べ方が凄いだけなんだろ? 修理の電話してあげたし、なんかされる理由もないはず…──と、うろたえながらも動けずにいると、ホシノさんは神妙な顔つきになって俺をまじまじと見つめ、
「少し、話がある」
そう言って部屋に引っ張り込んだ。抵抗どころか悲鳴を上げる隙もなかった。病的な見た目に反して、凄い力だったからだ。
「あの…?」
そう声をかけるのが精一杯だった。心臓がバクバク言ってて、背中が冷たい感じがするのに冷や汗も出ない。何が起こってるかよく解らないけど、とにかく危険な気がする。
ドアを閉め、ホシノさんが振り向いた。恐る恐る顔を見上げると、彼はなぜか酷く哀しそうな顔をしていた。暗くて青い瞳と目が合う。
「本当に…私が見えてるんだね」
ホシノさんは片手を額に当て、ため息をつく。
「静かに見守っているつもりだったのにな…」
やっぱりこの人危ない人なのかな。氷食症っていうより、中二病みたいなこと言い出したし。声なんかかけなきゃよかった。無事に帰れるかな、壁一枚向こうがやけに遠いよ。なんて、一気にいろんなことが脳内を駆け巡った。
「えっと…、話って…?」
とりあえず、「話がある」と言われたのだから、この状況では聞くしかないだろう。なんでもいいからとっとと語ってくれ。そしてさっさと解放してくれ!
俺が焦りまくって身構えてるのに反して、ホシノさんは静かだった。ただじっと俺を見て、特に何かしてくるわけでもない。
「用がないなら帰らせて…」
一か八かの提案に、冷たい声が被った。
「助けてくれたから」
「え?」
急に近づかれて怯む。無意識に後ずさったけど、下がれるほどの距離なんかない。玄関という狭い空間で、あっという間に壁際に追い詰められた。透き通るような、冷たい声が落ちてくる。
「助けてくれたお礼に、ひとつ教えてあげる。君、もうすぐ死ぬよ」
「……はい?」
顔が──目が近い。青みがかった、冷たい瞳に釘付けになる。
「あの、ちょっと何言ってるのか…」
「普通の人間には私が見えないんだ。私が許可した人間か、寿命が尽きそうな者にしか見えない」
氷を連想させる、冷たく透き通る声で、抑揚なく淡々と続けられる話には、まるで現実味がなかった。からかわれているのか? どう反応していいか分からずに黙っていると、ホシノさんは、ふと口許を緩めた。
「…って言っても信じないよね」
「…冗談なんですか」
緩い言い方にムッとした。なんだこの人、やっぱりからかってるんだ。まんまと怖がってしまったのを笑われて、腹立つやら恥ずかしいやらで顔が熱くなる。こんな奴、一発殴って逃げてやろうと拳を握った。
「冗談じゃないよ」
反撃の隙を伺う俺から、ホシノさんはやっと距離をとった。
「私はねえ、死神なんだ」
吟うようにそう言って、ホシノさんは微笑った。
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