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「君が認識している死神とは、ちょっと違うと思うんだけど」
そう前置きしてホシノさんは語りだした。与太話に付き合う羽目になったのは、彼が未だ出口の前にいて逃げられないからだった。変なことをいきなり言われて、殴るタイミングを失ったせいでもある。
「私は魂を刈り取る者ではないからね。寿命の尽きた人間から出た魂を糧にしているだけで、食べるために殺したりはしない。でも、私が食べた魂は天国にも地獄にも行けなくなるんだ。消滅しちゃうのさ。だから来世もない」
「俺は…死後の世界とか輪廻とか信じてない」
だからそんな話に付き合うつもりはない、そういう意味で言ったんだけど、相手は反応があったことに気を良くしたようだった。逆効果だ。
「そう? でもお葬式とか法事とかするでしょ。信じてなくても、習慣として受け入れてるなら同じだよ」
「そりゃあ…まあ」
もう二度も経験した辛い場面を思い出さされて、苦い気持ちになる。どこに魂が向かったとしても、もう会えないのは同じじゃないか。
「でもねえ、ある子供にそういうの駄目だって言われたんだ。来世がなくなるなんて可哀想だって。だから、今はもう食べてないんだけどね」
馬鹿みたいなエピソードをさらりと告白して、自称死神はまた笑った。
「酷いだろ。私は食べなくても死なないけど、飢えはするのにね」
「じゃあ、なんで馬鹿正直に実行してるんだよ」
ボロが出るのを期待して突っ込んでみたが、この設定はよく作り込まれているらしい。
「小さな子供の純粋さに打たれたんだよ。そうだ、そうしなきゃって思うほど、綺麗な目をしてたんだ、その子」
「ああ、そう」
俺は相手に常識を求めることを諦めた。胡散臭い独白を全部聞き終わったら帰れるかもしれないし、そうじゃないかもしれないが、ここは大人しく頷いているのが得策だろう。
「で、魂の代替え品として探し当てたのが氷なんだ。魂は冷たくて、味のないものだから。試してみたら、食感も似てるし、水と電気さえあればガンガン作れるし、最高なんだよね」
「……」
魂ってあんな感じなのか。っていうか、氷についてそんな語られてもなあ。結局どうしたいんだ、この人。氷の味でも思い出しているのか、ホシノさんは胸に手を当て、うっとりと目を閉じている。
「…で、俺は今死ぬの? そんで、あんたに食べられるの?」
業を煮やした俺は苛立ちながら訊いた。俺が死ぬって、確かそんなところからこの話は始まったのだ。すると、ホシノさんは目を丸くした。
「食べないよ。話聞いてた?」
なんかいちいちムカつくな。話し方もそうだけど、ちょっとした仕草やなんかにもイラッとする。笑ったり困って見せたりっていうのがなんだか作ったような…そう、わざとらしいんだ。
そのわざとらしい、でも芝居がかったというのとも違う、変な調子で彼は続けた。
「君が死ぬのは今じゃない。近いうちに、だよ。先に知っておけば心の準備ができるだろう。そのために教えたの」
「はあ?」
「最近の人間は“終活”というのをするんだって、一階のおばあちゃんが教えてくれたからね」
会ってるじゃん、人に。俺は一気に脱力した。
「はいはい、分かった。じゃあ、俺帰るから」
やっぱり作り話なのだ、全部。俺は家に帰るために、目の前の痩せた肩を押し退けようとした。が、触れた瞬間、その手を引っ込めてしまった。
「冷た…!」
真夏だというのに、その身体は体温がないみたいに冷たかった。
冷えた片手をもう片方で包んで固まった俺を、“死神”が見下ろしている。
「えぇー、もう帰っちゃうんだ?」
残念そうに言われてゾクッとした。その瞬間、どうして彼の仕草や表情がわざとらしい作りものに見えたのかが解った。
目が、笑っていない。
冷たく暗い、青みがかった黒い瞳には、ほんの一欠片も感情が乗っていなかった。
まさか、帰さないって言う気じゃあ…。
身を強張らせる俺に、彼は少し情けない顔を向けた。
「じゃあ、また氷くれない? 最初のが出来るまで、後二時間くらいかかるんだって」
……完全に暇潰しに使われたことに、俺はやっと気づいた。
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