夕焼けメダル

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夕焼けメダル

 陽の傾き始めた街を、おかあさんが走ります。 「はあ、はあ、はあっ…!」  汗まみれになった顔を、拭う余裕もありません。 (私のせい…! あの子がいなくなったのは、私の……!)  おかあさんは後悔していました。  ぼうやがジュースをこぼした時に、ついキツく言いすぎてしまったのです。 ”なにやってんのもう! 早く拭きなさい急いで!”  怒った後で、おかあさんはぼうやから目を離しました。  自分が見ていると、ぼうやが甘えてしまうかもしれないと考えたのです。  おかあさんは心を鬼にして、ぼうやではなくスマートフォンの画面を見ていました。  しかしそのまま刺激的な世界に没入してしまい、ぼうやがそっと出て行ったことに気づきませんでした。 (どこ…! どこにいるのっ!?)  おかあさんは、あちこち走って探します。  しかしぼうやはどこにもいません。  近くのコンビニにもスーパーにも、それらしき人影がないのです。  おかあさんの心は、だんだんと乱れていきました。 (ウソでしょ……誰かにさらわれたりとか、ないわよね…?)  悪いことばかりが、頭の中に浮かびます。  それを振り払うため、息が苦しいのも構わずさらに走りました。 「ぜえっ、ぜえっ、ぜえ……」  やがて行き着いたのは、小さな駄菓子屋さん。  夕方ということもあり、子どもたちが何人かいます。  おかあさんは意を決して、店主のお婆ちゃんに尋ねてみました。 「あ、あの…! この子、見ませんでしたか!?」  スマートフォンにある、ぼうやの画像をお婆ちゃんに見せます。  お婆ちゃんはしばらくじっと見ていましたが、やがて首をかしげるとおかあさんに謝りました。 「すまないねえ、ここいらでは見てないね」 「そう…ですか……」  がっくりと肩を落とすおかあさん。  お婆ちゃんは気の毒に思ったのか、子どもたちにも声をかけます。 「みんな、ちょっと来てくれないかね? この子を見てないかい?」  お婆ちゃんの呼びかけに、子どもたちが集まりました。  おかあさんは、一縷の望みをかけて彼らにぼうやの画像を見せます。 「この子、近くで見てないかな…?」 「ん? うーん」 「見てない」 「知らない子!」  子どもたちも知らないようでした。  それを聞いて、おかあさんだけでなくお婆ちゃんもつらそうな顔になります。  と、外から何やらガチャガチャと音が聞こえてきました。  お婆ちゃんはレジ前の椅子から立ち上がると、お店の外へ出ます。  自販機のそばに、ジュースを補充するお兄さんが来ていました。 「あっ、お婆ちゃんどもッス」 「お兄ちゃん、ちょっと訊きたいことがあるんだけどいいかい?」 「え? なんスか?」 「奥さぁん、こっちおいで!」  お婆ちゃんは、ぼうやの画像を見せるようおかあさんに言いました。  おかあさんはハッとするとすぐに、お兄さんへスマートフォンを見せます。 「私の息子なんです! どこかで見てませんか…?」 「ああ、この子見たっスよ」 「本当ですか!?」 「ちっちゃい子がひとりで歩いてるから、変だなーとは思ったんスけど…ちょうど信号が青になっちゃったんで、声かけらんなかったんスよ」 「どこで見ました? どこで!?」 「川の土手あたりッス」 「ありがとうございます! 行ってみます!」 「あ、ちょっと待った!」  お兄さんはおかあさんを呼び止めると、ペットボトルのジュースを差し出しました。  しかし、おかあさんにはジュースを買った覚えがありません。  不思議そうにしていると、お兄さんがへこんだラベルを指差して、にっこり笑ってみせました。 「これちょっとへこんじゃってるんで、売り物にならないんス。よかったら水分補給しちゃってください」 「あ…!」 「お子さん、見つかるといいッスね」 「ありがとう…ありがとうございます!」  おかあさんは何度も頭を下げて、ジュースを受け取ります。  キャップを開けて飲むと、走り続けた体においしさが染み渡りました。  それからおかあさんは、お婆ちゃんや子どもたち、お兄さんに別れを告げて再び走り始めます。  ぼうやを見つけるため、川の土手へと向かうのでした。  夕暮れ時は、逢魔が時。  何かよくないものが、この世に現れ出る時。  そんな時間に、ぼうやはひとりで川の土手に来ていました。 「はーあ…」  口からため息が漏れます。  その小さな足取りは、時間がたつごとに重くなっていきました。 「………」  ぼうやはつまらなそうな顔で、道端の小石を蹴ります。  いつもならすぐに追いかけるのですが、今はそんな気持ちになれません。  でも蹴りたい気持ちはあるので、別の石を探します。  川の土手ということもあり、新しい小石はすぐに見つかりました。  しかし、ぼうやはそれを蹴らずに立ち止まります。 「……」  ぼうやはポケットに手を入れ、何かを取り出しました。  それは、おとうさんからもらった銀色のメダル。  ぼうやはメダルを見つめながら、元気のない声でつぶやきます。 「おかあさん、もしかして…おとうさんのこと、キライなのかな……」  ぼうやが家を飛び出したのには、理由がありました。  怒られる少し前のことです。  ぼうやとおかあさんは外にいました。  おかあさんは近所の人と、こんな話をしていました。 ”ほんっと、ウチのダンナって何もできないグズで…家のこと手伝おうとするのはいいんだけど、不器用だからよけいな仕事が増えちゃうのよね” ”わかるー! それでそれで?”  楽しげな声はどんどん大きくなります。  その大きさは、道行くお爺さんが驚いてきょとんとするほどでした。  おかあさんの話がおもしろいのか、近所の人はもっともっとと話を広げようとします。  でも、ぼうやは全然おもしろくありません。 ”ねえ、もうかえろうよ”  ぼうやがそう言っても、 ”忙しいんだからちょっと待ちなさい。いい子にしてて”  おかあさんはまともに取り合ってくれません。  ぼうやはなんだか、心がもやもやしてしまいました。  もやもやは、家に帰った後もずっと消えずに残り続けます。  どうしたらこのイヤな感じが消えるのか、考えていたその時。 ”あっ”  ぼうやは手を滑らせ、ジュースをテーブルから落としてしまいました。  おかあさんはカンカンになって怒ります。 ”なにやってんのもう! 早く拭きなさい急いで!” ”ご、ごめんなさい”  ぼうやはあわててこぼれたジュースを拭きます。  拭きながらふと、おかあさんの方を見ました。 ”……くそっ、くそ…!”  おかあさんはスマートフォンを見ながら、ぶつぶつと文句を言っています。  それを見た瞬間、ぼうやの中でもやもやが爆発してしまいました。  そっと家を出て、ここまで歩いてきたのです。  お腹が空いてのども渇きましたが、帰りたいとは思いませんでした。 「グズ、って…ダメってことだよね。おとうさん、ダメなひとなのかな……」  ぼうやは、視線をメダルから小石へ移します。  小石のそばには、大きな石がふたつ。  家族のように寄り添う石たちを見ていると、ぼうやはなんだかたまらなく寂しくなってきました。 「おかあさん、もしかしたら……おとうさんもぼくのことも、キライ…?」  ぼうやの目に、じわりと涙がにじみます。  その時でした。 「はあーっはっはっはあ!」  突然、誰かの笑い声がこだましました。  ぼうやが驚いて顔を上げると、そこには黒いモーニングコートを着たお爺さんが立っています。 「見つけたぞ、スーパーガラピシャマンの息子め!」  お爺さんは強い声で言うと、ぼうやに近づいてきました。  手に持っている杖を、まるで剣のように振り回してみせます。 「お前がひとりになるのをずっと待っとったんじゃ! さあ、このドクマムシ博士と一緒に来い!」 「えっ? い、いや!」 「嫌だと言ったところで、お前には守ってくれる者など誰もおりゃせん! 父親の虹色仮面だけでなく母親もおらなんだでは、わしを止めることなどできんぞ!」 「……???」  ぼうやには、ドクマムシ博士と名乗ったお爺さんが何を言っているのかさっぱりわかりません。  しかし迫力がすごく、逃げ出すこともできませんでした。  ドクマムシ博士はぼうやに近づくと、杖を素早く反転させます。  持ち手をぼうやの首に引っかけ、無理やりに引き寄せました。 「あっ!?」 「怪傑ドバットの息子よ、今からわしの秘密基地に行くのじゃ」 「ひみつ…きち?」 「そうじゃ。そこで手術を受けてもらう…お前はワルイワルイマンになって、悪いことをしまくるのじゃ!」 「えっ! そんなのやだ!」  ぼうやは逃げ出そうと後ろを向きます。  その時、ドクマムシ博士が杖を引っ張りました。 「うえっ」  持ち手がぼうやののどに食い込みます。  走り出そうとしたところにものすごい苦しさがきたので、ぼうやは思わずその場に座り込んでしまいました。 「けほっ、けほ…」 「さあ、今すぐつれていってやるぞ…!」  背後から魔の手が迫ります。  もうダメだと、ぼうやが目を閉じたその時でした。 「ぐあうっ!?」  いきなり、ドクマムシ博士が苦しみ出したのです。 「な、なんじゃこれは…! なぜ触れることができん!? まさかこの子ども、父親のエキセントリックマンから何らかの加護を受けているとでもいうのか!」 「!?」  ぼうやは驚き、目を開けて振り向きます。  ドクマムシ博士が苦しむ姿を見て、自分が何を持っているのか思い出しました。  それはおとうさんからもらった、銀色のメダル。  夕焼けの光を受けて輝く、ぼうやの宝物でした。 「も、もしかして、これが……?」 「ぬぅうっ!」  ドクマムシ博士もメダルに気づきます。  恐ろしくドスのきいた声で、ぼうやを怒鳴りつけました。 「小僧! 今すぐそれを捨てろ! さもなくばひどいぞ!」 「い、いやだ!」  ぼうやは負けじと言い返します。 「これはおとうさんからもらった、だいじなものだっ! すてたりするもんか!」 「それかあっ! それこそが、怒髪天ライダー・バルトシアロンの力が込められたメダル…! まさか息子に持たせておったとは! うぬぉあっ!」  ドクマムシ博士は、苦しみながら後ずさります。  それを見たぼうやは、手にしたメダルをドクマムシ博士に向けてかざしました。  輝きを増すメダルに、悪党はなすすべもありません。 「ぐああああっ! くそっ、覚えておれよっ!」  ついに、ドクマムシ博士は逃げ出しました。  おとうさんからもらったメダルと、それを捨てなかったぼうやの勇気が、勝利を呼んだのです。 「……」  ドクマムシ博士の姿が見えなくなった後で、ぼうやはメダルをまじまじと見つめます。 「へへ…!」  その小さな胸は震え、なんだかとても誇らしい気持ちになりました。 「あっ!」  そこへ、おかあさんがやってきました。  おかあさんはぼうやをすぐさま抱きしめ、涙声で謝ります。 「ごめんね…! おかあさん、キツく言い過ぎたね。ごめんね……!」 「ねえ、おかあさん」  ぼうやは、ドクマムシ博士が逃げていった方を見て、こう言いました。 「おとうさんって、ヒーローだったんだね…!」 「…え…?」  何のことかわからず、おかあさんは顔を上げます。  ぼうやはおかあさんに顔を向けると、興奮した様子でこう言いました。 「おとうさんがぼくをたすけてくれたんだよ! ぼく、おとうさんがだいすき!」 「…? そ、そう…おかあさんは?」 「おかあさんは、おとうさんのことわるくいわなかったらすき」 「!」  おかあさんは、自分のグチがぼうやの心を傷つけていたことに、ここでようやく気づきます。  きゅっと唇を噛むと、何度かうなずいてからこう言いました。 「そうね…おとうさんのこと、悪く言っちゃいけないわよね」  ぼうやの前ではもう絶対にグチを言うまいと、おかあさんは固く誓ったのです。  一方、ぼうやの興奮は全く冷めません。 「ねえ、おとうさんがヒーローだったこと、なんでおしえてくれなかったの? ぼくぜんぜんしらなかったよ!」 「え、ええ…? ヒーロー? さっきも言ってたけど何の話…」 「そっか、やっぱりひみつなんだ…!」  ぼうやは、メダルを強く握りしめます。 「ぼく、おおきくなったらおとうさんみたいなヒーローになる! わるいやつをやっつけるんだ!」 「そ……そう…」  おかあさんはなにがなんだかわからず、目を丸くするばかりです。  そんなふたりを、ドクマムシ博士が遠くから見つめていました。 「フン、世話の焼ける…」  小さくつぶやくと、杖の先端で地面を叩きます。  するとドクマムシ博士の体は闇に包まれ、一瞬にして消えてしまいました。  ぼうやとおかあさんが、それに気づくことはありません。 「走り回ったらおなかすいちゃった…晩ごはん、何にしよっか?」 「おとうさんがすきなのたべたい!」 「じゃあ…ハンバーグかな?」 「やったー! ハンバーグ、ぼくもだいすき!」  夕焼けの中、ふたりは手をつないで家へと帰っていきました。    >おしまい。
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