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一人ぼっちだ。
紀之はぶすぶすと熱を放ち続ける家の残骸をぼんやりと眺める。家が燃えていると連絡を受け会社から駆け戻った。その時、かろうじて立っていたのは煙にいぶされ黒々とした柱だけだった。
焼け跡から妻と娘の遺体が見つかった。
一人ぼっちだ。
最初に思ったのは、それだった。
生まれてはじめて持った家庭だった。はじめて家族がいる幸せを知った。妻を、娘を愛していた。
二人の葬儀を終えても、紀之は毎日ぼんやりと家の残骸の前に立ち尽くした。焼け残った門柱の前にぼんやりと立ち続けた。
ふいに携帯電話が鳴った。知らない番号からだった。
「……もしもし」
「パパ!」
「……麻里?」
「パパ、どこにいるの?」
「お家だよ、お家にいるよ!早く帰っておいで!」
電話は突然ぷつりと切れた。紀之はいつまでも呼びかけ続けたが、電話はそれ以上何の音も伝えなかった。
翌日も紀之は門柱の前に立った。すがるように携帯電話を両手で握りしめて、目を見開いて見つめ続けていた。
電話が鳴った。昨日と同じ番号だ。
「もしもし!」
「パパ」
「麻里!」
「パパ、どこにいるの?」
「家だ、家にいる。早くかえれ、な?頼むから帰ってきてくれ」
電話はまた突然切れた。紀之は慌てて、かかってきた番号にかけ直した。人工音声がその番号は存在しないと告げた。けれど紀之は何度も何度もかけ続けた。
携帯電話は毎日決まった時間に鳴った。娘が「どこにいるの?」と問い続けた。紀之はいつも門柱の前にいた。だが、娘には紀之の言葉は届いていないようだった。
ある日また電話が鳴り、紀之は静かに通話ボタンを押した。
「パパ?」
「麻里」
「どこにいるの?」
「そこへ行くよ。家に帰るよ」
「パパ、早く帰ってね」
電話が切れた。ようやく麻里に声が届いた。心の底から安堵して、紀之は微笑んだ。
ポケットに携帯電話をしまうと、門の中に足を踏み入れる。今は踏み石だけが残った、玄関があった場所に立つ。見えないドアノブを握り、ドアを開ける。
「ただいま」
声は風にさらわれて、紀之の姿とともに、どこへともなく消えさった。
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