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建物の中に入ると、薬のツンとした空気に包まれる。
病室までの足音はいつもよりも冷たく無機質に感じた。
階段を上がり、琴の眠る病室へと向かう。
二人だけの病室は、静かで、白くて、無と言う文字が似合う空間だった。
「琴、久しぶり。」
楓がふわりと優しい口調で呼びかける。
琴からの返答はない。
二度目の対面だ。
擦り傷が目立たなくなったからだろうか。
眠る顔は一度目の対面の時よりも柔らかいものに感じた。
しかし、目覚めることは無いだろう。
彼女が眠りについてもう三週間近く経っている。
植物人間となり、呼びかけにも答えることができない琴に楓は、話しかけた。
爽介は、その様子を病室のドアから見つからないようにひっそりと覗き、楓の声に耳を澄ます。
「琴、俺……吹けなくなったよ。」
吹けなくなった。
確かに楓の演奏は以前のものとは全く違うものに聴こえる。
「お前の事故の後、なんとか、自分の演奏をしようって、何度も手探りで吹いてた。」
琴が居なくても今まで通り演奏しようとしていた。
「でも、無理だった。」
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