吸血円舞曲

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「え?」  あたしは振り向こうとしたが、相手はあたしがそうするよりも早く、あたしを後ろから抱きすくめた。 「私のことを、知ってるか?」 「知らない! 離してよ」 「私は、吸血鬼だ」 「はあ?」  あたしは全身の力を抜き、だらりと男にもたれかかる。 「うわ、」 「ふーん。それで?」  あたしのところにくる男の子はみんな、話を聞いてくれるお人形さんがほしくて、ヒステリー起こしてるだけなのだ。あたしはそんなどうしようもない時間を、いつも本物のお人形みたいになってやりすごす。 「あ……吸血鬼というところには驚かないんだな?」 「……」 「いや、その……実は、私はな。かれこれ50年はここらに隠れ住んでいるんだが。動物の血だけでは、もう満たされなくてね。君の血を、少しでいい、私に分けてもらえないか」 「血を?」  吸血鬼はあたしを抱き締める腕を片方離し、後ろから小瓶を見せた。 「そんなに多くは必要ない。この小瓶に、血を、入れてくれないか」  吸血鬼の手の中には確かに小瓶があった。星の砂が入っていそうな、ハンドメイドの店で売ってるような、コルクの栓がされた空の硝子の小瓶。 「わかった」  あたしがするするとワンピースの裾をたくしあげると、吸血鬼は「うわ!」と大声を出した。 「な、な、何をしてるんだ、お前は!」 「何って、こういうえっちなことしたいんでしょ? 吸血鬼とかなんとか言っちゃってさ。いいよ、別に誤魔化さなくても」  パンツを下ろしてあげようとしたとき、手首を吸血鬼男に掴まれる。 「失礼だとは思わないのか?」 「なにが?」 「血でしか生きられないんだぞ、私達は。人間が性的な満足を得るためだけに、尿や精液や愛液を求めるのとは訳が違う。変態共の汚らしい嗜好と、私らの吸血行為とを一緒くたにされてはかなわない。それに」 「それに?」 「若い女が、男の前で簡単に肌を見せるものではない。ましてやこんな月の明るい夜に」  あたしは堪えきれなくなって、腕を振りほどき、後ろを向いて、砂利の地面の上に男を思いきり押し倒した。 「なっ、」  吸血鬼は簡単にあたしの下になり、月光がサーチライトのように、戸惑うその顔を照らした。見た目は少し間の抜けた、ふつうの20半ばの男の人に見える。ずっと森に隠れ住んでいるというわりには、小綺麗な格好をしている。髭はちゃんと剃られているし、不潔な匂いもしない。服装だって今風のペラペラしたシャツとパンツだった。普段は人間に擬態しているのかもしれない。 「ねぇ、吸血鬼さん。あなたは本当に、血が飲みたい?」  あたしは、ぐっ、とワンピースをはだけて首筋をさらけ出すと、吸血鬼の目の前に差し出した。あたしは色白なのが自慢だ。淡い月の光も相まって、あたしの首筋は、最上級霜降りA5ランク和牛みたいに、細い血管がたくさん透けて見えることだろう。そんなことを思っていたら案の定、ごくり、とつばを飲み込む音が聞こえた。 「いいよ。あたしを、たべて」  あたしはそう囁いて、ちらりと男の顔を見た。  男の目は本当に、いってしまってる。  視線はまっすぐ首筋に釘付けにされていて、1ミリも逸れない。顔面は病人みたいに青ざめて、唇はわなわなと震えている。口の中に隠れた白い歯が、今にも噛みつかんばかりにちらちらと見え隠れしている。  さあ、あたしをたべて。  そうしたら、あたしはようやくあたしをやめられる。どうしようもないあたしの時間を、貴方というどうしようもない人の中に埋もれさせて、ぐちゃぐちゃに終わらせることができる。濁流のように迸る血液の中にすべてうやむやにして、意味不明に混ぜて、あたしはこの世から消え去るのだ。  その時、ちいさな嗚咽が聞こえた。 「え」  見れば、男は泣いていた。涙をぽろぽろとこぼしていた。まるでどうしようもない子供のようだ。彼は低い声でぼそりと、それでも断固とした調子でこう言った。 「駄目だ」 「なにが、駄目なの」 「私には、君の未来を奪うことなんてできない。まだ若くて可能性のある君に、私のように何年も何年も闇の中で、ずっと孤独に生きていかせるなんて、そんな酷なことを、強いられる訳がないだろう……? ただ自分が延命したいがために、君のかけがえのない一生を台無しにすることなど、絶対にできない」    ぷつんっ。  その言葉を聞いた瞬間、あたしは考えるより先に手元の砂利を握り、先の尖った石で、自分の手首を思いきり切っていた。 「お、お前、何してるんだ!」  あたしは無視して、さらに傷を抉った。だくだくと血液が体から抜けていくのを生々しく実感した。あたしは出てきた血を、狼狽える吸血鬼の口元に流し込んでやろうと、腕をぐいぐいと近づけた。けれど、どんなに鮮血吹き出る傷口を見せつけても、彼は唇を固く結び、頑なに飲もうとしない。あたしはあげくの果てに貧血を起こしてくらくらとしながら、「へんなの!」と笑った。 「あたしには、血がとてもおいしかったのに。貴方は、血が好きじゃないの?」  吸血鬼は不思議そうに目を丸くしたけれど、すぐに呆れたように笑った。 「なんだ、そんなことか。ならば教えてやろう、小娘。この世の中にはな、血なんかより美味いものがごまんとあるんだ。私など、焼肉弁当が毎日食べられたらと、そう願わない日はないほどだ……!」 「はぁっ?」  なにそれ。  焼肉弁当?   どこの? コンビニ?  いずれにせよ、あたしはもうばかばかしくって、拍子抜けしてしまって、そのままふっと、気を失った。            
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