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「ありがとうございます。イザベラさん、食事とても美味しかったです」
イザベラのおかげで心が少し晴れやかな気分になった。食堂を後にすると、これから彼女が向かうのはシルヴァがいる執務室。彼はルーナの叔父ではあるが、ギルドでは公私混同を良しとしていない。それはルーナも同じで彼を叔父ではなくギルドマスターとして接する事を心掛けている。
執務室の前に立ち、三度扉を叩くと彼の声が聞こえて中に入る。レイトルバーンの代表として毎日仕事に忙殺される彼ではあるが、それを誰かに文句を言う事は決して無い。
「失礼します。以前レイト様が受けていた依頼の調書が仕上がりました。確認をおねがいいたします」
「そこに置いてくれ」
彼女に視線を向ける事なく、羊皮紙に何かを書き込んでいるシルヴァ。そんな彼の表情からは疲れが見て取れる。レイトがギルドを有名にしてから、団員が増加し依頼もかなり増えたとは聞いていたが、彼一人でその数の依頼を確認する作業は正直かなり厳しい。今日も今の彼の表情を見る限りは徹夜明けだと思われる。
「あ、すまん。下がっていいぞ」
「少し、休まれたら如何でしょうか?」
「そうしたいのは山々だが、今日中に片付けなければならない物も多くてな。だが、依頼があるというのは幸せな事だよ」
そうは言っても、ギルドマスターである彼が倒れる様な事があればそれこそレイトルバーンは大変な事になってしまう。それを思うと少しでも彼に休んでもらいたいとルーナは思う。
「倒れては元も子もありませんよ?」
「気持ちだけ受け取っておこう。そういえば、最近は黒狼とはどうだ?」
「叔父様……! 別に彼とは何もっ!」
「ん? 依頼の話だぞ? お前達のプライベートの話ではない」
「あ……」
イザベラと先程まで話していた内容が頭から離れていなかったルーナは、シルヴァの問いかけに対して動揺しながら全く質問の意図を汲み取れずに違う答えを口にしてしまう。
「大方、イザベラと話していた内容が頭から離れなかったんだろうな。しかし、今の私とお前はギルドマスターと団員の関係だ。公私混同はしないと言った筈だ」
「申し訳ございません……」
「とは、言いつつも……お前の言う通りだな。少し休憩にしよう。ルーナ、コーヒーを淹れてくれるか?」
「あ……はい!」
彼が彼女をヴィンセントではなく、ルーナと呼ぶ時は叔父として接する時だけだ。執務室に二人だけという空間だからこそ叔父と姪の関係に戻ることが出来るのだろう。
「ルーナ、レイトと最近うまくいっていないのか?」
互いに向かい合わせにテーブルを挟んでソファーに腰を下ろした二人。コーヒーカップに口を付けようとしていた彼女にシルヴァは言った。
「え? そんな事はないと思う……」
彼女は基本的にはレイト含め全ての団員達に敬語を使って話す。それは勿論ギルドマスターであるシルヴァも例外ではないが、今は叔父と姪の関係で話している。
「『そんな事はないと思う……』か。イザベラと何か話してたんじゃないのか?」
「ええ。でも、そんな大した事じゃないの。たまたま、団員の男の子に告白されちゃってまた断っただけ……」
「相変わらず、お前は大人気だな。さすが、ドラゴとイヴの娘だ」
「笑い事じゃないわ。こうやって毎日毎日断るのがどれだけ苦しい事なのか、叔父様には分からないでしょうね」
高笑いしているシルヴァにコーヒーカップをテーブルに置いて悪態をつくルーナ。
「それだけお前が魅力的な女性だという事だ。その辛さもお前を育てた両親の賜物だという事を忘れてはいけないよ」
「勝手な事ばかり……。私、もう叔父様と他のギルドに顔を出すのが嫌になってきたわ」
「それは困るな。お前はレイトルバーンの優秀な私の部下だ。逆に考えてみろ、お前じゃなくレイトを連れて行ったらどうなると思う?」
考えるだけでも背筋が凍る。彼が他のギルドに顔を出すような事になれば、必ず敵を作る事になる。言いたい事を好き勝手に言った挙句に「文句があるならかかってこい」と相手を挑発するのは目に見えている。
「駄目……。彼に叔父様と一緒に他のギルドに行かせられる訳がないわ」
「そうだろう? あれは、今のままで良いんだ。人間的に成長しなければならない時は、私がギルドマスターを退く時で良い」
やはり、シルヴァとしては彼に後にレイトルバーンを背負っていく人間になって欲しいらしい。確かに彼は間違い無くこのギルドを背負って立つ器を持っている。それに、このギルドに所属している者なら誰もがそれを望むだろう。
彼がそれを受け入れるかどうかというのは分からないが、彼がもしレイトルバーンの頂点に立つ事を拒否するのならばこのギルドは解散となるだろう。
「でも、彼が叔父様の跡を必ず継ぐとも私には思えない時がある」
「それはあいつ次第さ。それに、まだ私はギルドマスターを退くつもりはないからな。あと、私の気が変わらないとも言えないだろう?」
その言葉に頷きながら、またコーヒーを一口運ぶ。彼はそれこそシルヴァに恩を感じているからこそこのギルドにいるが、シルヴァが退いた時には彼はどうするのかは分からない。
出来ればレイトルバーンを継いで欲しいとルーナとしても思うが、彼は周りに言われてやるような人間でもない。彼がそれに興味を持つかどうかそれだけなのだ。
「ま、もしかしたらあいつのせいでギルドが無くなる可能性もあるから何とも言えんな!」
「……」
大笑いするシルヴァだが、そんな冗談にしても笑えないような内容を当たり前のように言ってしまうシルヴァは何とも楽観的なのかと、ルーナはため息が出てしまった。
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