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「――…ぅ、ん?」
冷たい。頭から足の先までが冷えきっている。なんとか動かせた手で触ってみれば、腹も冷たい。
先程見た夢はなんだったのだろうか。死後にも夢を見る、とは初耳だ。
……いや、死後ならば私はどうして感覚がある?腕を動かせる?
なんとか力を込めて瞼を持ち上げると、眩しい光が目玉に向かって差し込んできた。眩しい。
…よくよく辺りを見れば、ここは地獄でもなんでもない。私が寝転んでいるのは、ただのフローリング床だ。
「どういう事だ?」
起き上がり、辺りを見渡す。見慣れた部屋だ。カーペットも、椅子も机も、何も変わっていない。
いや、変わっていることがある。私の他に人がいる。奥からごそごそと物音がする。
私は足音を立てないように注意を払い、こっそりと壁から覗き込んだ。
「―――明子、か?」
私の声に気付き、女が振り返る。
長く黒い髪に、いくつかある内のお気に入りの髪留め。そしてその人柄によく似合う、柔らかいピンク色の洋服。
あの格好は、間違いない。あの時の姿だ。隣にいた、私の妻だ。
「哲……さん?」
「……あぁ、私だ。哲だ」
どういうことだか理解が追い付かない。しかし、そういった思考よりも早く、私は妻と抱き合っていた。
温もりがある。先程まで冷えきっていた身体に、ぽかぽかとした陽当たりのような暖かさが伝わる。
私は涙した。ここが地獄なのか、天国なのか、はたまた生きているのかはわからない。だがそれでも、この温もりは本物だ。
「あの、哲さん。おかしな事を言いますけど……神様に、会いましたか?」
私の両腕の中から妻が問う。
「あぁ。私は、『自分よりも妻が生きるように』と願ったよ」
「私、私もなんです。『私よりも哲さんを生かしてください』って。
だからもしかしたら神様は、温情か……手違いか何かで、二人ともを生き返らせてくれたんじゃないでしょうか?」
「そう、かもしれないな」
私も、考えるべきだ。
「あの、事故に遭ったことは覚えていますか?」
「うむ」
「……私たち、どうなってるんでしょう?事故が無かったことになっているのか、はたまた神隠しのように―――」
「明子」
私も本来は、明子のように状況を判断すべきだ。今の自分達を、今後の事を。
だが、今は―――
「今は、いい。二人とも温かい。それだけで、いいじゃないか」
「―――はい、そうですね」
ああそうだ、二人とも温かい。ここには二人分の、命がある。
今はそれだけで、何も要らない。
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