一、

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一、

 いつものように、何食わぬ顔をして表通りに出る。  駅から吐き出された人々の群れが、速やかに制服姿の僕を隠してくれる。  周囲に溶け込むように気配を消して歩きながら、フレームの細い黒縁眼鏡をかける。  誰一人として僕に注意を払いはしない。  反対方向から接近してきた黒い影が、すれ違いざまに僕から袋を受け取って消える。  任務完了。  最初の頃と違って、もうドキドキすることもホッとすることもない。すべて仕事として割り切る。  僕はそのために育てられたのだから。 「おはよう」  昇降口で上履きに履き替えていると、同じクラスの女子に声をかけられた。 「おはよう」  僕は小さく挨拶を返して背を向ける。 「ね、もしかしてコミュ障なの?」  女子は追いかけてきて無遠慮な質問をした。僕は無視して足を速める。 「逃げなくたっていいじゃん」  女子はしつこかった。 「あたし友達になってあげるからさ、ちゃんとお話できるように練習しようよ」  こいつは何を言っている?  僕は立ち止まり、まじまじと女子を見た。自分の申し出を親切と信じて疑わない傲慢(ごうまん)さの裏に、(よこし)まな下心が見え隠れしている。だらしなくゆるんだ口元が不潔そうで、思わず眉をひそめた。 「いらない」  冷たい声ではっきり告げる。 「そういうの必要ないから」  女子の顔色が変わり、醜く(ゆが)む。僕は目を(そむ)けた。 「はいはい、そこまで」  後頭部を叩かれたのと同時に、聞き慣れた大地(だいち)の声が降ってきた。 「海斗(かいと)、女の子にそんな言い方しちゃだめだろ」  大地は僕の髪の毛をもみくちゃにした。この男とは幼馴染の腐れ縁、ということになっている。 「ごめんね、こいつ人嫌いなんだ」  女子は大地に声をかけられて赤い顔になる。  ほら、やっぱりそういう魂胆。僕は心の底からこの女子を軽蔑した。  大地は何でもそつなくこなせてしまう優等生で、生徒会の役員を務めながらテニス部でも活躍していて、とにかく目立つ存在だ。当然よくモテる。こんな風に僕を大地への足掛かりに利用しようと近寄ってくる女子は、今まで何人もいた。 「余計なこと言っちゃって……ごめんね」  女子は()びを含んだ表情を作って僕を見たが返事をするつもりはない。  大地に乱された髪を手ぐしで直しながら、僕は教室に向かった。 「おまえ、高校もずっとそれで通すわけ?」  すぐに追いついた大地が呆れ声で言う。 「別にいいだろ。誰に迷惑かけるでもなし」 「迷惑とかそういう問題かよ。彼女とか欲しくね?」 「欲しくない」  大地はフーンと鼻を鳴らし、僕の耳に口を近付けた。 「まさか蒼空(そら)が好きとか?」  温かい吐息が耳にかかり、僕はぞくっとして身を震わせた。 「感じてんじゃねーよ」  大地は可笑しそうに笑って僕の肩を叩いた。 「違うよ、ばーか」  僕も笑って誤魔化し、大地の脇腹を小突く。 「蒼空に惚れてんのはおまえの方だろ」 「まあな」  しれっと言ってのける大地が眩しかった。  蒼空とは家が隣同士の幼馴染で、僕が口をきく唯一の女子だ。小さい頃から大地と三人でいることが多かったが、最近この二人が付きあい始めたため、僕はあまり近寄らないようにしている。 「なんてったって、蒼空は命の恩人だしな」  僕の胸の奥深いところでベリッと、かさぶたの()がれる音がした。 「俺、よく(おぼ)えてんだよな」  大地は僕の変化には全く気付かず耳元で囁き続ける。 「人工呼吸とは別に、やたら濃厚なキスされたの」  傷口からどす黒い血がドクドクと流れ出してくる。 「蒼空が俺にとって特別になったのって、あのキスのせいかも」  耐えがたい苦痛により、僕は歩を止めた。 「どうした?」 「トイレ」  後ろで大地が何か言っていたが、僕の耳はもう限界を超えてシャットダウンしている。  急いで個室に駆け込み、洋式の蓋の上に突っ伏した。涙腺が決壊(けっかい)する。嗚咽(おえつ)()らすまいと拳を噛んで耐えた。  胸の奥から()き出す熱い血が、僕を内側から焼いている。  どうして?  どうして?  どうして?  外側に向かって吐き出すことのないどろどろした感情が、下腹へと集中し痛いほどに熱く脈打つ。  ホームルームの始まりを告げるチャイムを聞きながら、僕は泣きながらベルトに手をかけた。 
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