わずか五年、43,5kbの世界の中で何が起きたか。

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繰り返すが、知っているのは名前と住所だけである。それ以外は何もわからなかった。顔も、容姿も、年齢も、性別に到るまでも、である。 空気を好きになった、という表現はもはや比喩でもなんでもない。実態も得体も何も知れない、神様より曖昧で感情より具体性のないものに、恋をしてしまったのだから。 今、俺はありのまま起こったことを話している。何を言っているのかわからねーかもしれないが、俺も何が起こったのかよくわからなかったのだから仕方ない。 まだ恋愛ゲームのキャラに本気で恋する限界オタクの方が、二次元でも実体のあるものに好意を向けているだけ理解ができることだろう。俺の場合は虚無だ。虚無とジェリーだ。果たして人類かどうかも怪しい何かが相手だったのだ。 で。で、である。 俺は中学三年間、そのひょっとしたらエイリアンか何かかもしれない何かに対して、一日も欠かさず、しかも長文の、想いをコレでもかと刻み込んだラブレターを、 一日18通近くそいつに送りつけた。何故か、住所だけは知っていたからだ。そういう事実を踏まえていえば、もはや俺はアドレスに恋をしていたと言っても過言ではないかもしれない。恋するアドレス、なんか聞いたようなフレーズではあるが割愛。 実体の知れないもの、住所しかわからないものに対しての愛情表現の方法がラブレターぐらいしかない、というのはあとから考えれば道理………道理?であって、ある意味妥当な行動であるという見方もできるのかもしれないが、当時の俺がそこまで理性的にラブレターを送っていたのかと問われれば、それはまるでノーである。ノンである。ニェットである。ナインである。 例によって妥当な表現が難しいところだが、極めて近い感覚で言うのであれば、 ラブレターを送らなければならないというある種の強迫観念に迫られていた、というものだろう。 無論、誰からのプレッシャーかは定かではない。実体の知れない『東前門むぎ』からのものではなかったし、彼女との唯一の繋がりを失いたい、などという一途な感情によるものでもない。 わからないのだからしかたない、というしかない。とにかくあの頃の俺は、ラブレターを送らなければならない、と思っていた。これまた正確ではないが、その圧力の強さを例えるとするなら、 それをしなければ明日地球が終わる、というくらいの激しいものだった。 ……住所がわかっているなら凸ればよかったんじゃないか、という常識的な諸氏の声が聞こえてくるようではあるが、これがそうもいかなかった。例によってそうもいかなかった理由も説明ができない。それはダメだという強い観念に迫られていた。ラブレターと同じ説明になるので以下略である。 まるで、そうすることを定められていたかのような。そうするためにお前は生まれてきたのだ、といわれているかのような。敷かれたレールを爆走する芥川龍之介『トロッコ』の良平が乗ったトロッコの如く、俺はラブレター送信街道をばく進した。来る日も来る日も、指にタコもイカもできるまで書き続けた。同じ内容になろうが、ストーカーメールのように『好き』の羅列になろうが、おかまいなく。
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