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「——先生のことは忘れない。ずっと」
裕はこちらを見ずに静かに言った。
全身の力が抜けるような感覚を覚えた。——それはきっと、その言葉をずっと求めていたからだと思う。
常陸は初めて、裕から求めていた言葉をもらえたのだ。
「……俺、死ぬみたいだな」
「死なないでよ」
「……うん、死なない」
裕の好意が自分に向けられることを、本当はどこかで期待していた。でも、それは海津光軌ただ一人だけのものだった。
それなら——ただ、忘れないでいてくれるだけで、十分じゃないか。
「じゃあ、また」
裕はくるりとからだの向きを変えて、常陸を見上げた。窓から差し込む夕日に顔が照らされて、その白い肌が透けていた。
「“また”?」
その透明な肌に手を伸ばしたくなる気持ちを必死に堪えて、常陸はポケットから新しい煙草を出した。
「どうせ授業で会うから」
裕は不規則にならんだ美術室の椅子をすいすいと避けて、出口へと遠のいていく。
「……ああ、そうだな」
裕は出口でちらりと振り返って、少し微笑んだ。そして、廊下へと消えていった。
彼はまた、この窓際に座るだろうか。それとも、次は、あいつと一緒に座るだろうか。
火をつけた煙草から、煙を吸い込む。もう一度グラウンドを見おろした。
窓際に佇んで、この景色を見つめる裕の眼差しが、常陸は好きだった。
——この窓際に立つたびに、俺は裕を思い出す。
そして裕も、きっと。
沈んでいく夕日を見ながら、常陸は濁った煙を吐く。灰色の空気がゆらゆらと揺れて、いつしか消えていった。
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