4. プードル

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4. プードル

俺と松村は、渋谷の人混みを掻き分け、寺本が待つ忠犬の銅像がある広場へ向かう。いつもロリータファッションに身を包む松村は、大学内ではかなり浮いていたが、渋谷の人混みの中では馴染んでいるように見える。 「おまたせー」 人混みの中から寺本を見つけたようで、松村はやる気なさそうに緩く手を振る。 「お〜!久しぶり!…ってほんとに白井じゃん!桃花、よく捕まえてきたね」 寺本も気づいたようで、持っていたスマホから目を離し、軽く手を上げ挨拶した。彼女は松村の後ろにいた俺を見てキャハハと笑う。 "アマヤドリ"のドラマー寺本茜は、金色のショートヘアに目元を強調したけばけばしい化粧といった派手な見た目だ。松村と寺本は見た目や性格が真逆なのに、何故だか昔から仲が良い。 「さっきあっちの通りで眠そうにして歩いてたから」 松村は歩いてきた方向をゆっくりと指差し答える。 「眠そうって…いつもの事じゃん」 寺本は再び俺の方を見て笑う。俺はこれでも7時間は睡眠時間を確保しているつもりだ。 彼女らの会話のテンポについていけず、俺は適当に遇らう。2人は「いつもの店でいいよね」と言いながら歩き出し、俺もそれに合わせて歩き始める。どこにでもいるようなサラリーマンがロリータとギャルに挟まれて歩いているこの状況は、客観的に見ればものすごく異様な光景に違いない。 「あ、そういや土曜日も仕事なんだね」 隣を歩く寺本は、仕事帰りの格好の俺を見て話す。女にしては長身な彼女は、丁度俺と同じくらいの背丈で目線が一緒だ。 「不動産屋だから土日も仕事」 俺が働く不動産会社は、基本的に定休日は無く、年中無休の営業だ。週休2日制だが、休む曜日はその週によって異なる。 今日は土曜日だからか、街中は仕事帰りらしき人はおらず、私服の人が多い。 松村と寺本に連れられてやって来たのは、大通りの外れにある、個人店の大衆居酒屋だった。女同士で行く店といえば、もっとお洒落な雰囲気の店だとばかり思っていた。 引き戸を開けて店内に入ると、「お!いらっしゃい」と威勢の良い店主の声が店内に響く。どうやらこの店主は松村と寺本の事を知っているようだ。 席に着き、俺は壁に貼ってあるメニューを見る。ここはどれも比較的安めな値段設定のようだ。 店員を呼び、飲み物や食べ物を注文する。一般的な飲み会のように何種類か頼んで分ける事はせず、各々が食べたい物を勝手に注文していくという自由なやり方に俺は少し安心する。 それから、各々の近況について話していた。寺本はライブに向けての練習とバイトとの両立で忙しいようだ。そして、松村は保育士として働いているらしい。感情を表に出さない彼女がどうやって子どもたちと接しているのか全く想像がつかない。 しばらくして、注文していた飲み物がテーブルに運ばれる。「お疲れー」と緩く乾杯した。寺本はビール、松村は焼酎だが、俺だけは烏龍茶だ。 「白井は最近どう?…ちゃんと生きてる?」 寺本は冗談っぽく尋ねる。 「…何だそれ。死んでねーし」 「会長、死んだのかと思いました。今日は感動の再会でしたね」 松村は真顔で冷たいのか暖かいのか分からない言葉を口にする。ピンクでフリルがたくさんついた格好は、この小汚い居酒屋には不似合いだが、お猪口に焼酎を注ぐ姿はもっと不似合いだ。 「…勝手に殺すな」 俺も松村と同じ調子で返す。 「殺してほしいんじゃないんですか?会長の言う事はよく分からないです」 松村は、俺が昔書いた歌詞を引用する。彼女が今でもあの歌詞を覚えている事に俺は少し驚いていた。 「…なんかさ、2人ともお似合いだよね。温度感合い過ぎでしょ。…付き合わないの?」 向かい側に1人で座る寺本は、俺と松村を交互に見ながら笑う。"付き合わないの?"とは、大学のサークル内で何度も言われた台詞だった。 松村はサークルには所属しておらず、最初の1年は男4人だけのバンドで、俺はギターボーカルをやっていた。しかし、被虐的で歪んだ自分の価値観をねじ込んだ歌詞は、客観的に見れば女性視点と捉えられる事が多く、男の俺が歌っても反応が悪かった。 そこで、メンバーの1人が女性ボーカルを加える事を提案した。彼と同じ保育士資格の講座を受けていた松村を面白がって誘ったのがきっかけだった。彼女はいつもロリータファッションで1人で授業を受けており、学内では浮いていた。ピアノが弾けるので、キーボードを弾きながら歌う事となった。 松村はバンド加入後もサークルには所属せずに学内のイベントの時だけ顔を出し、演奏が終わったらサークルのメンバーとは一切会話を交わす事なく帰っていた。彼女は群れるのが苦手なようだ。 サークルのメンバーは俺があの被虐的な歌詞を松村に歌わせていると思っているので、彼女が帰ってからの飲み会では散々"ドS"だとか"変態"だとからかわれ、挙げ句の果てに俺と松村が付き合っているという噂が1人歩きした事もあった。それでも彼女は顔色ひとつ変える事なく、あのドン引きされるような歌詞を人前で歌い続け、俺の顔を見ては"眠そうですね"と言うだけだった。 「白井会長は駄目ー」 そのお決まりな冗談に対し、松村は気だるそうに即答した。 「俺も駄目」 続けて俺も全力で否定する。無論、異性の松村は恋愛対象ではない。 「あんたら息ぴったりじゃん」 そんな様子を見て寺本はゲラゲラ笑っている。 そして、注文していた料理が運ばれてきた。松村が言うには、ここの炒飯は絶品らしい。酒を注文しなかった俺は早々とご飯物に手をつける。彼女の言う通り、炒飯は居酒屋とは思えない程のクオリティだった。 「…いや、でもさ、白井ってぶっちゃけもう生きてないと思ったよ…この前桃花と話してたところ」 寺本は焼き鳥を頬張りながら少し真面目な口調で話す。俺の隣に座る松村も真顔で頷いている。 「またその話か」 "眠そう"と言われる事は多いが、生きてるのか死んでるのかも分からないだなんて、俺の存在は一体何なんだろうか。 「何というかさ、曲作りにかなり没頭してたじゃん。何考えてるか分からないし、そのうちポックリいきそうだなって…昔あったじゃん。バンドのボーカルが自宅で亡くなったとか…うちのバンドのきょうちゃんもそんな感じだけど、早死体質っていうのかな」 寺本は少し心配そうに語る。 "きょうちゃん"とは、彼女が所属する"アマヤドリ"のベースボーカル菅原桔梗(すがわらききょう)の事だ。文豪のような名前の彼はいつも黒い服を着ていて、ライブの時はずっと下を向いて歌っていた。そんな孤高な雰囲気と中性的な顔立ちから、女性ファンが多かった。しかし、ライブが終わったら打ち上げに参加する事なく、1人で帰ってしまう彼は"近寄りがたい存在"だと言われていた。 しかし、俺はそんな事も知らず普通に話しかけていて、いつの間にか世間話をする仲になっていた。連絡先は聞いていなかったので、バンドが解散した途端、自動的に音信不通となった。 「菅原さんは元気にしてる?」 俺は少し懐かしい気持ちになり、寺本に尋ねた。彼が今どうしているのか純粋に気になった。 「まぁ…相変わらずあんな感じだよ。…そういや、あんたらよく話してたよね。どんな話してたの?」 寺本は不思議そうに尋ねる。 「ほんと他愛もない話だよ。そういや音楽の話は全然してなかったな…」 お互い作詞作曲をしており、好きな音楽のジャンルも近かった筈なのに、何故だか音楽の話題にはならなかった。毎回話す事といえば、日曜日の朝にやっている特撮の話だとか、SNSに上がっている猫の動画が可愛いだとか、そんな程度だった。 寺本は「よくそんなんで話繋がるね」と面白がっていた。 その後も昔話で緩く盛り上がり、22時頃店を出て駅に向かう。 「…じゃ、俺はこの辺で」 地下へと続く階段のところで俺は別れを告げる。松村も同じ方向のようだ。 「うん、じゃあまた!白井、死ぬなよ」 寺本は再び冗談めいた事を言い、井の頭線の乗り場を目指し、颯爽と歩いていく。松村は「またねー」と感情のこもっていない調子で挨拶しながらゆっくり手を振っていた。 別れ際に"死ぬなよ"と言われるのは、初めてではない。梅田と飲みに行った帰りは毎回言われているし、学生時代にもバンドメンバーからよくそんな事を言われていたのを思い出す。しかし、理由は未だに分からない。 俺と松村は途中まで電車が一緒のようで、乗り場まで歩く。 「兄貴から聞きました。会長、引っ越したんですね」 松村は、焼酎を何杯か飲んでいたにも関わらず、顔が白い。人形のような格好をした彼女の口から"兄貴"という言葉が出てくるのは、相変わらず違和感しかない。 「うん、今は世田谷の方に住んでる」 「そうなんですねー。私は今も変わらず兄貴と平間に住んでます」 平間とは、南武線の駅の事だろうか。学生時代からそこで彼女が兄と暮らしているのは知っていたが、土地勘が皆無だった俺は、どの辺りに位置する場所なのか全く分からなかった。不動産会社で働くようになってからは、嫌でも1都3県の土地勘が身につくようになっていた。 「相変わらず仲良いな」 松村の兄とは学生時代から面識がある。彼は俺と同い年で、いつもライブの物販を手伝ってくれていた。学校は違うが、頻繁にドタキャンする彼の友人の代わりに付き合わされて、休日に一緒に出かける仲だった。俺が思うにかなりのシスコンだが、あの歪んだ歌詞を松村に歌わせている事に関しては何も咎められなかった。 「兄貴は友達です。明日一緒に競馬観に行くんです」 「まじか。お前競馬とか観に行くんだな」 ロリータファッションに身を包んだ彼女が親父だらけの競馬場にいる様子を想像するのは、勝ち馬を予想するのと同じくらい難しいであろう。 「茜ちゃんとも3人で行きますよ。兄貴はビリの馬当てる天才です」 松村は長い睫毛をゆっくりと上下させるように瞬きし、抑揚のない声で答える。寺本が競馬を観に行っているという事実もまた意外だった。 「…褒めてるんだか貶してるんだか」 「もちろん褒めてます。ただ、直感の逆を信じれば当たるのに、勿体ないなと思います。馬鹿ですよねー」 彼女は真顔で辛辣な事をさらっと口にした。 「…思いっきり貶してるじゃん」 そんな事を話していたら、東横線のホームに到着した。3番線の元町・中華街行きに乗る。始発とはいえ、車内は神奈川方面に帰る人たちで混み合っている。俺と松村はドア付近に立っていた。 「…会長、煙草辞めたんですか?1度も吸ってなかったですね」 学生時代、煙草を吸ってばかりいた俺が店内で1度も吸わなかった事を松村は不思議に思っているようだ。 「数年前に辞めた」 「…音楽も辞めたんですか?」 「辞めた。解散してからギター弾いてないし、曲も作ってない」 「そうなんですか。会長の体は煙草と音楽でできてると思ってたのでびっくりです」 そう言う松村は依然として顔色を全く変えずに喋るので、びっくりしているようには見えない。 バンドが解散してから俺はずっと音楽から離れた生活を送っている。 最初は自分自身の価値観を曲にして発信する事にやりがいを感じていた。気づけば"メンヘラバンド"としてそこそこ有名になり、観客は松村目当ての男性ファンばかりになっていた。俺の本心を書いた曲を歌い、観客に届けてくれた彼女の事はとても感謝している。 しかし、俺がやりたかったのは"メンヘラバンド"ではない。ただ思った事、感じた事を歪んだ音に乗せて発信したかっただけだ。 俺のせいで松村に変なファンがついてしまった事への罪悪感、そしてこのまま"メンヘラバンド"として続けていても消化不良のままだという事、そんな心の中の痼が取れず、当時作っていたアルバムを最後に、音楽との別れを決意した。そして、レコ発が終わってすぐに脱退を申し出た。 もう少し続けていればメジャーデビューもそう遠くはなかったであろう大事な時期に自分勝手過ぎると思ったが、誰かに止められるわけでもなく、ラストライブもやらずにそのままバンドは解散となった。 実際、俺以外のメンバーは全員就職して仕事と両立しながらバンドをやっていた事もあり、解散するタイミングでもあったのかもしれない。それから今日まで梅田以外のメンバーとは一切顔を合わせていなかった。 そして、自由が丘に到着するアナウンスが流れた。 「でも、会長は会長のままで良いのではないでしょうか。…煙草は引き続き吸わない方がいいと思いますけど」 しばらく黙っていた松村は何かを思い出したかのように、意味のあるような無いような事を口にする。 「なんだよそれ」 突然謎めいた事を言われ、俺は思わず鼻で笑う。相変わらず松村は何を考えているのか分からない。 電車が停車し、反対側の扉が開く。降りる客がぞろぞろと扉付近に集まる。俺も扉の方へ向き直す。 「そのままの意味です。では、どうぞご無事で」 松村は昔と変わらない挨拶で、下車する俺を見送った。 そして、ホームに降り1番線の溝の口行きに乗り換え、数分で最寄駅に到着した。 駅から5分程歩き、見慣れたマンションが見えてきた。それと同時にもう匠海はここには住んでいなくて、俺の帰る場所は抜け殻になったあの部屋なんだと実感し、また胸が痛んだ。 帰宅後、シャワーを浴びて寝る支度をする。ルームシェアしていた時は、2人でどこか出かけるような事はほとんどなかったが、1日の終わりにその日の出来事を話していた。当時はそこまで意識していなかったが、匠海がこの家を出て行ってから、その何気ない時間の大切さに気づく。もしも彼が今もここにいたら、俺は今日の出来事を話していただろう。 目線を落とすと、床にはクレーンゲームでとった大量のぬいぐるみが散乱しており、そろそろ足場がなくなっていた。匠海が生活していたこの空間には、今後も醜い妄想の結晶が溜まっていくだけだ。 俺は何を思ったのか、床に放置された水色のプードルのぬいぐるみを拾い上げる。そして、今日の出来事や彼に伝えたかった想いをぬいぐるみに向かってつらつらと語る。こんな事をしても彼には伝わらない。分かっているのに、言葉が止まらなかった。
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