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第一話 運命の邂逅
それはある麗らかな春の日のことであった。
とある公立高等学校は、さして長くもない春休みを終えて始業式を迎えようとしていた。生徒達は半ばだるそうに、半ば鬱陶しそうに…いや、そうした本音を隠しつつ、年に一回行われるクラス替えの結果を楽しみに嬉々として登校している。
我らがヒーロー、礼戸 亜河は、青春に輝く純真な瞳をまっすぐ前へ向け、学校の門へ真実一路足取り軽く前進していた。彼は学校が楽しくてならないのだ。授業は難しいし、部活動は厳しいが、その分何もかもがやりがいに満ち、今を生きていることを実感できるからだ。
「ああ、今日から学校だ。頑張っていこう!」
拳を振り上げ、亜河は気炎を上げた。
その隣で、亜河を五月蠅そうに眺めて肩をすくめたのは彼の友人、武楽 久呂だ。彼は亜河とは対照的に学校を嫌っている。
「…フン、くだらない。」
言葉少なに今日に対する感想を述べたが、情熱に満ちあふれる若き少年亜河にはその言葉は届かない。だが、代わりに後ろから久呂の肩をぽーんとかなり強く押した者がいた。
「へーい、朝から暗い顔してないで楽しもうゼ!学校には女の子がいっぱいだ!」
耳の下辺りまで伸びた長髪は根本数センチ以外栗色に染まっている。今はピアスは刺さっていないものの、耳にはピアス穴が確かにあいている。微かなオーデコロンのにおいをまき散らし、さり気なく着崩したカッターシャツの胸元から素肌にかけた銀ペンダントを覗かせている辺り、今時風おしゃれ度はかなり高いと言えよう。彼の名は布留宇 阿緒。この高校でも名高い色男である。尚、この評価は自己申告によるものなので、客観的指標は存在しない。
外見も性格もテンでバラバラの3人であるが、何故か仲はよい。他愛もない話をしつつ、彼らは共に学校へ歩を進める。
そんな彼ら3人の周りには、彼らと同じように学校へ向かう高校生が増えつつあった。学校が近付いているのだから当然である。他人の迷惑になかなか気づけないお年頃の若者達は、ご近所の方々への騒音などという概念など持ちよう筈もなく、和気藹々と大声で語らいながら歩いていく。
「朝早い時間だというのに、こんなに騒いではいけない!」
亜河は一人、正義感に燃え立って拳を握りしめた。その声自体が辺りをはばからぬ音響であることに彼は気付かない。彼は周囲の高校生に一喝すべく、立ち止まり、辺りを見渡した。
その時、これは運命のいたずらであろうか、彼の視界に一人の女生徒の後ろ姿が映った。緑なす長き黒髪を束ねることすらせずに背へ流し、また、それを時折春の薫風にそよがせれば、絹糸よりも細き髪は華麗に舞う。亜河は思わず一瞬見とれ、己の胸中に存在していた使命をつかの間忘却の彼方にとばしてしまった。
すると、どうしたことか、亜河が見とれているその女生徒がハンケチーフをひいらりと道に落としたではないか。亜河は我知らずハンケチーフに駆け寄り、恭しい手付きで拾い上げた。仄かに花の香水が香る、真っ白なハンケチーフであった。
「あ、あのっ!」
「はい?」
うわずった声で亜河が呼び掛けると、女生徒はくるりと振り向いた。明眸皓歯、羞月閉花、見返り美人も振り返るのをやめてしまいそうなほどの美人である。
「お、おハンケチーフを落とされましたよ。」
「まあ」
女生徒は小さく声を上げ、口元を手で覆う。仕草の一つ一つが楚々としており、上品である。彼女はハンケチーフを持った亜河を目にすると、何故か羞じらうように頬を赤く染め、暫しもじもじと躊躇ってから声を掛けた。
「あの…あなたがハンケチーフを拾って下さったのね。ありがとう。」
女生徒は緊張のあまり電信柱の如く突っ立っている亜河からハンケチーフを受け取り、頭を下げた。亜河は耳の先から両手の指まで、傍から見える部分はことごとく真っ赤に染めてそれを見つめる。
「私、浜倶 桃です。あなたは?」
「れっ、礼戸 亜河であります!」
「このハンケ「チーフ、とても大切にしているものなの。拾って下さって、本当にありがとう、礼戸さん。」
そう言って、桃は婉然と微笑んだ。
嗚呼、この世にはこれほど美しい人がいるのだとは知らなかった…亜河は桃が背を向けて歩き出し、角を曲がってとうとう姿が見えなくなってもまだ茫然自失と感動の余韻に浸りきっていたのであった。
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