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07 約束
「ちょっと失礼!」
あたしは小走りで鍛錬所を出た。メリルリアが帰る前に急がねば……。
「クリスティーナ様、どこに行かれるのですか?」
エリーの声は聞こえていたが、立ち止まるわけにはいかない。ごめんね。
さて、どこか人目につかない場所は――。
「うん、あの大きな木の影なら……」
あたしは木陰に隠れるように身を潜めた。
そして、おもむろにかばんの中から化粧品を出す。
「はぁ……まさか、フィーネに無理やり持たされてる化粧品が役に立つなんてね。人生何が役に立つか分からないもんだ」
手早くあたしは『ルシア=ノーティス』の顔を作る。もうこれは慣れたものだ。
「あとは、鎧だけど……」
あたしはアーツエルヌ王国の紋章が入った白銀の鎧を見ながら少しだけ思案した。
さすがにこれをこのまま身に着けるのはまずいし……。
「まぁ、短時間なら誤魔化せるかな。えいっ――」
あたしは髪の色を変えた要領で鎧の色を漆黒に染めた。ちょっと厳つい感じかもしれないが、仕方ない。
これならあたしだと判らないだろう。
さて、それじゃあメリルリアと接触しますか。
あのまま、『ルシア』を探されたらおちついて買い物も行けないし……。
せっかくだから、この状況を利用して憂いを2つとも消しちゃおう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「本当に誰もご存知ありませんのね。仕方ありませんわ、他をあたりましょう」
メリルリアはため息をついて諦めようとしているみたいだ。彼女の物悲しそうな表情に、騎士団の面々も神妙な顔つきになっている。
これだから、男の人は……。美人に弱いんだから。
「メリルリア様、お探しの戦士の情報が手に入り次第、すぐに連絡は入れますので」
普段は面倒なことは部下に丸投げする騎士団長のエルヴィンは恭しい態度で頭を下げながら声をかけた。
まぁ、バーミリオン家は多額の寄付を騎士団にも入れてるって話だし無碍には出来ないか。
「そうですか。では、お願いしま――」
「その必要はない。あんたが探してんのはオレだろ?」
あたしは騎士たちをかき分けて、メリルリアの前に出た。彼女はフィーネが『気になる男性がいる』と熱弁しているときの表情みたいになる。
いわゆる“恋する乙女”ってやつだろう。あたしが出来なくなった表情だ。
「ルシア様……お会いしたかったです。わたくしは、貴方を忘れることが出来ずにずっと……ずっと……」
メリルリアは目を潤ませながら、声を震わせてあたしの手を握る。うわぁ……、手が小さくて柔らかい。
苦労知らずという感じだけど、こういうのが理想の令嬢の手だよね……。
「そうか忘れられないのか……。じゃあ、頑張ってオレのことは忘れるんだな。それがあんたの為だ。不幸になりたくないだろ?」
あたしはメリルリアの瞳を見つめながら宣告した。
彼女は一瞬だけハッとした表情になったが、直ぐに真剣な目をする。
「嫌ですわ! 貴方ほどの殿方を忘れられるはずがございませんの。身分の差なら気にされずとも大丈夫です。お父様も、わたくしの命の恩人の強い戦士様なら婿養子に迎えても良いと仰って下さいました」
メリルリアははっきりとした口調でそう言った。
ああ、彼女はあたしが身分の差を理由に“忘れろ”と告げたと思っているんだ。自分がまさか、好かれていないなんて夢にも思っていないんだろう。
分かるよ。その自信……。愛されることしか知らないんだろうから。
つまり、この娘は他人から好意を寄せられることが当り前だったってわけ。
だから、タイガーファミリーに襲われかけた経験は恐怖そのものだし、それを助けたあたしは英雄みたいなものなのだ。心理的に……。
まぁ、元より簡単に諦めるとは思ってないし、作戦を開始するとしよう。
「そうか、わかった。――そういや、あんた、お礼がしたいとか言っていたな。ひとつ聞いてほしいことがあるんだが……」
あたしは取り敢えずメリルリアの告白に近い宣言を流した。会話の主導権は握っておきたいからだ。
こういう言い方をすれば必ず彼女は……。
「なんでも聞きますわ。バーミリオン家が総力を上げれば、不可能はありませんの」
そう答えると思っていた。しかし、凄い自信だ。さすがは王族以上の金持ち貴族。
「ははっ、別に大したことじゃない。城下町にある最上級のレストラン、“マーベラスキッチン”があるだろ? オレは死ぬまでに1回そこで飯を食うことが夢でな。ご馳走してくれよ。あんたなら簡単だろ?」
あたしは、誕生日にだけ連れて行って貰えるアーツエルヌ最高級のレストランの名前を出した。
あそこのモンブランは至高の一皿、天使の口づけと言われる程の絶品で、食べたあとは妹の誕生日を指折り数えるほどである。
「えっ、そんなことでよろしいのですの? 確かに、美味しいお店ですね。特にあそこのモンブランはオススメですよ。わかりました。都合の良い日付を教えて頂ければ、ご馳走させてもらいます」
あら、気が合うじゃないか。あそこのモンブランの良さをわかっているとは。
いかん、そうじゃなかった。気が合うからってそんなのは関係ないのよ。
「悪いな。じゃあ、5日後で頼む。可愛くしてきてくれよ。期待してるからな」
あたしはメリルリアの髪の毛を軽く撫でながら、顔を近づけた。フィーネ情報だと、最近の男はこういう口説き方をするそうだ。
あたしはお断りだけどね。気持ち悪いし……。
「ああ、ルシア様ぁ……。畏まりましたわ。わたくし、精一杯のおもてなしをさせて頂きます!」
かくして、メリルリアとの食事の約束を取り付けた。さて、これで作戦の第一段階は成功である――。
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