水底

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 先生も、日差しに目を細めた。そして、ほら、と空を差す。  黒っぽく霞んでいる。 「どこ」  と見えているのにわざと俺はかがんで、先生の顔のそばに自分の顔を寄せた。 「暑いよ」  ぐいっと肩を押されて遠ざけられた。  逃げるようにファミレスの外階段を降りていく。さっきまでの惨めな気持ちが少しだけ消えて、 「せんせえー、やっぱトイレ行ってくるから待ってて」  と細い背中に叫んだ。  わかった、と彼女が叫び返す。  俺が戻って、車が走り出すと、 「来週も、伊佐には行けないかもしれない」  と彼女は真剣な顔で言った。 「わかりました。でも英語は先生に教えてもらいたい。俺がまた、鹿児島に来ます」 「往復4時間かけて?」 「夏休みの間なら、それくらい」 「啓太くん、自分がどこを受けるのかわかってる? 鹿児島大だよ? 今いる高校から、何年かに1人合格するかしないか、でしょう? まだまだレベルは足りてない。寝る間を惜しんで、すべてを注ぎこまないと無理だよ。勿論、それをするだけの価値はあると思う。だから私にこだわらないで。勉強方法とリズムはもう身に着いたはず。LINEでなら、質問してくれていいから。無理に私に合わせるのは、無駄だよ」  先生の言葉に、俺は思わず頬を緩めた。 「何?」 「いつもの調子、やっと出てきたと思って」 「普段はもっと優しいでしょっ?」  先生は澄まして言い、ふたりで声をあげて笑った。  自宅が近づくと、俺はもう一度、先生に教えてもらいたいと、だだをこねた。 「わかった。じゃあ、何とかする」  また連絡するね、と言い残し、先生は去って行った。  家に帰ると、父も母もどこかへ出かけていた。母は遅番の勤務かもしれなかった。台所で麦茶を飲みながら、そういえば先生にそうめんが好きか聞くのを忘れたと思った。
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