9 出発《でっぱつ》の桜餅

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あたしは帰りの道中に何をすると言うわけも無く、トボトボと帰宅の途に就いていた。 あたしに暴言の限りを尽くしてきた嫌いな男がこの春にはフランスに行き、おそらくは二度と会えなくなるとのこと。リエの言う通りせいせいしたと言う以外に感想がない。 スキップでも刻みながらルンルン気分で帰る…… はずがなかった。心の中ではもう二度とあいつに関わらなくていいことを喜んでいるはずなのに、胸の真ん中にぽっかりと空洞が出来たような気分になっているのは何故だろうか……  そう言えば、お菓子戦争はあいつの完全一人勝ちで終わっていたな。 あれはあたしのお菓子があいつの舌に合わなかっただけだと自己正当化を図るがやっぱり悔しいものは悔しい、けど、もう終わったこと。いつまでも終わったことをグチグチグネチネチと引っ張るのは極めて愚かなことだ、気にすることはやめよう。 あたしは道中の公園で何をするわけでもなく、天童紘汰のことを考えながら、ブランコの上でボーッとしていた。この手の暇つぶしは意外に時間が流れるのが早いもので、辺りはすっかり夕方となり、町中の風景も夜の帷が降りかけ、宝石箱を散りばめたような風景に近づいていた。 「遅くなってしまったな」 あたしは勢いをつけてブランコから降りて足早に家に向かった。その道中、去年行った夏祭りの行われていた神社の前を通りすがった。当たり前だが、祭りも何もない今の時期は閑散としている。 あたしはそこで足を止めて財布の中身を見た。高校生らしく、小遣い程度にお札が数枚に小銭はチャラジャラと少ないながらにある。 消費税がキリのいい数字となって一円玉が必要になる端数の商品は減ったが、それでも何故か一円玉は財布の中にヌルリスルリと侵入してくる。数えてみれば一円玉は八枚…… そう言えばこの辺りは天童赤鷹の近所、この神社はおそらく天童赤鷹の氏神様にあたるだろう。あいつがどんな少年時代を過ごしていたかは知らないが、おそらくはここの氏神様もあいつのことを昔から守護(みて)いるだろう、今更あたしがお願いすることでもないとは思うのだが、天童紘汰の無事をお願いすることにした。あいつのことだからもっと大きい神社でお願いしてるかも知れないが、地元の氏神様にお願いしても損はない。 あたしは末広がりの八円を賽銭箱に投げ入れて、天童紘汰の無事と成功をお願いした。お願いと言うよりは「あいつは凄いやつでこうなります」と言うことを氏神様の前で代理で約束した形になるだろうか。 夕方の神社は本当に閑散としている。環境音も神社の前を通る車の音と、カラスの鳴き声だけとなっていた。この独特の雰囲気の中、参道を歩いていると、脇道があることに気がついた。 「ここは……」 あたしは何を考えたのかその脇道に入った。夏祭りの日、天童紘汰におぶられて通った道、そこを自らの足で歩くのは初めてだ。そして辿り着いたのはあたしの住むこの市を一望出来る小高い丘の上、近頃は地球温暖化が進んでいるのか、三月の下旬にしてこの小高い丘の上に植えられた桜の木は桃色の花を咲かせ、その桜の花びらと共に葉っぱすらもはらりひらりと舞い落ちる。 夕方の桜と言うのも風流で乙なものだ。あたしは宝石箱を散りばめたような夕方の夜景と、それを彩るように舞い散る桜の風景を堪能した。 夜の神社を女子高生が一人…… それこそサファリパークを肉持って生身で物見遊山するようなものだ。あたしは足早に神社を後にすることにした。小走りで足を動かすと、ローファーにコツンと何かがぶつかった。ぶつかったものは桜の一枝だった。地面に落ちていた割には綺麗な葉っぱとまだ散っていない桜の花、玄関前のインテリアには丁度いいと思い、頂いて置くことにした。今や使っていない金魚鉢に水を入れて挿しておけばいいインテリアになるだろう。
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