9 出発《でっぱつ》の桜餅

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数日後…… 天童紘汰がフランスに発つ日がやってきた。桃の花が開き、桜の花が咲いているのと蕾が半々となった薫風と春の陽気で暖かく感じる日だった。 あたしはプンプンと怒るリエの電話を受けていた。 「ちょっとー! 今日の見送りこないの?」 「あたしだって暇じゃないの」 「不人情だなぁ」 何とでも言えばいい。あたしはやることあるのだ。 「梟首くんはバイトだから仕方ないとして…… バイト先は空港なんだからちょっと顔出すくらいはしてくれてもいいのに」 「人気の回転寿司なんだからそんな暇無いんでしょ?」 そもそもアルバイトをちょこっと抜けること自体がありえない。リエもアルバイトをすればその辺りのことは分かるだろう。あたしもアルバイトはしたことはないが、社会の常識として職務放棄が駄目なことぐらいは分かっている。 天童紘汰はクラスの皆の見送りを受けた。まさかのサプライズに嬉しく感じその場で泣いたらしい。しかし、その涙もクラスメイトの万歳三唱の恥ずかしさでピタッと止まってしまった。 天童紘汰は顔から火が出そうな勢いで出発口のエスカレーターを降りた。 あたしはその姿を確認し、エスカレーターを降りたところで天童紘汰を待ち伏せた。 そんなあたしの姿をエスカレーターを降りる途中で確認した天童紘汰は目を何度も擦る、何度擦ってもあたしがエスカレーターの下にはいるのは夢でも幻でも無くて現実。 あたしはエスカレーターを降りきった天童紘汰に駆け寄り、叫んだ。 「天童紘汰ァ! 最後の勝負よ!」 そう、あたしは最後のお菓子戦争を仕掛けることにしたのだ。最後のお菓子は桜餅。しかし、普通にやっても「美味しい」と言わせることは出来ない。そこであたしはいくつかの布石を打った。 「これ、あんたんとこの桜餅。進学とか就職とかの縁起物らしいね」 「あ、ああ…… 誰が言い出したのか知らねぇけどな」 「はい、今朝並んで買ってきたのよ」 「おいおいおい、これ、俺が作ったんだぜ? フランスに行く前の最後の仕事として桜餅を作らせて貰ったんだ」 「そう。自分で作ったんだから美味しいのは当たり前よね」 「お前、俺に美味しいって言って貰うためにうちで桜餅買ってきたわけ?」 「そうよ」 「そうよ。って…… お前…… 他所様、それも他所様本人のお菓子で美味しいって言わせてプライドとかないの?」 「プライド? そんなのはカラリと揚げて弟に食べさせちゃいました」 「つまらねぇオヤジギャグみたいなこと言いやがって。まぁいい、とにかくいただくよ」 天童紘汰は桜餅を入れた容器を縛っていた紐のちょうちょ結びを解いた。いつもに比べてスルリと解けた紐に違和感を覚えた。うちのお菓子の容器を縛る紐はキツくしておけと言っているのに…… 緩いとはけしからん。俺が今からフランスに行くんじゃなかったら、包装のスタッフ集めて説教してやるものを…… フランスに行く前に不機嫌にさせるんじゃねぇよ。 天童紘汰は不機嫌な顔をしながら温かい桜餅の蓋を開けた。餅とあんこと桜の匂いが辺りに広がる。やっぱり、うちの土地の桜の匂いが一番だ。そんなことを考えながら桜餅を口に入れる。すると、天童紘汰は驚いたような顔を見せながら言った。 「やっぱり俺の作る桜餅は美味しいわ」 あたしはそれを聞いた瞬間にガッツポーズを取った。あたしが一日千秋の思いで待っていた瞬間が来たことに心からの喜びを覚えた。 天童紘汰はそれを見て呆れたような顔を見せる。
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