10 エピローグ、太陽の中心で交わしたキスは甘くて苦い

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10 エピローグ、太陽の中心で交わしたキスは甘くて苦い

あれから三ヶ月…… 俺はパリの街を一望できるアパートの出窓でアンニュイな気持ちになっていた。 俺、天童紘汰のパリでのパティシエの修行と学生生活は正直辛いものがあった。高い志(自分で言っていい言葉ではないが)を持ってパリに修行に来たはいいが、夏休み中の留学はあくまで「お客様」であったために甘く見てくれていたと言うことをここ最近の厳しさをもって知った。 まだ太陽も沈まなく、パリの街に太陽のような黄金のイルミネーションが輝いているような早朝から俺の一日は始まる。パティシエとはお菓子作りの職人のことを言うが、実はお菓子以外にもパン作りも行っている、俺も早朝は主にパン作りの仕事を任されていた。と、言っても日本から来た世間知らずの新米(ペーペー)に任される仕事なんか掃除ぐらいだ。ここでは天童赤鷹の主任なんて肩書はパンの上に眩したザラメ砂糖の一欠片以下の価値でしかない。 これが終われば学校に行く準備だ。一応16歳の学生と言うことで、朝から昼の修行はやらなくていいことになっている。キジバト(フランスにいるのか?)も珍妙な歌を歌うどころか熟睡しているような時間から起きていると、昼間の高校生活は生あくびが耐えることがない、この高校の製菓科には似たような生活をしてる奴らが多いのに、何故にあくびの一つもかかないのだろうか、真剣度が違うと言うことか…… 学校生活も俺は個が強いフランス人同士のグループに入ることが出来ずにぼっち状態になっていた。グループに入ることが出来たところで俺は片言のフランス語しか話せないから特にさしたる問題では無いが。実質、友達はいないみたいなものだ。 学校が終わればパティスリーに行きお菓子作りの修行だ。修行と言っても下働きだ、厨房の掃除から果物のカットからメレンゲの作成まで多岐に渡る。メレンゲの作成で機械の泡立て器は無いのか聞いてみたら「甘えんな」と言われてしまった。必死に手を動かして作ったところで「硬すぎる」「柔らかすぎる」と言われ、やり直しを何度もさせられる。酷い時には一日中メレンゲを作っていたこともあった。この様な感じで毎日が進み、お菓子らしいお菓子を作ったことは一度もない。
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