「大丈夫ですか?」
立ち上がったらしい椅子の音とともにそんな声が背後から聞こえたけれど、私は彼に一瞥もくれなかった。
「大変失礼いたしました」
バッグを掴んで立ち上がり、威厳を保って──少なくとも自分ではそのつもりで──部屋を出る。
本当は叩きつけたかったけれど楚々とドアを閉め、そこからは足を引きずりながら猛然とホテルから飛び出した。
こんなホテル、二度と来るものですか。
あんな男がいる会社なんてこっちから願い下げよ!
しかし、鼻息荒く帰途についた私の勢いはしだいに萎み始める。
お父さん、ごめん……。
私、役に立てなかった。
いや、それで済めばいいけれど、ついに橘ホテルグループから白川が切られてしまうのかもしれない……。
帰宅してみるとスカートのスリットが裂けていた。
転倒後〝威厳を保って〟退出した私のうしろ姿はさぞ滑稽だったことだろう。
自分の無様さをあらためて思い知り、また落ち込んだ。
ところが二日後、面接の顛末を両親に言えずに部屋で悶々と膝を抱えていた私のところに母が、受話器を握って大喜びでやって来た。
「乃梨子! 一次面接合格ですって! かなりの倍率だったらしいわよ」
それからはトントン拍子に進み、あっという間に最終面接も通過したのだった。
あんな会社は願い下げだと言っていたくせに私も単純なもので、採用が決まったときは飛び上がるほどうれしかった。
面接のたびに目にするホテルの雰囲気にすっかり魅了されてしまったのだ。
あの無礼な面接官は、あれきり見ていない。
人事なんて、どうせこの先は顔を合わせることもないだろう。
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